牛丼カードバトル #せりふ三題噺
約2100字・ショートショート
国道沿いに建つ牛丼屋は、看板の「牛」の字は濁点が脱落しかけ、いまや「午」になりかけている。
明日には、ここは牛丼屋ではなく、午丼屋に変貌するのだろう。
自動ドアをくぐった瞬間、鼻腔を突いたのは煮込まれた醤油の芳醇な香りと……そして、明らかに飲食店にそぐわない濃厚な殺気だった。
「俺のターン! ドローッ! 『紅生姜、三連打(トリプル・ジンジャー)』を発動!」
客席の男が叫んだ。
使い古された安スーツの背中には、哀愁ではなくデュエリストのオーラが立ち上っている。
彼は牛丼の脇に、鮮やかなカードを叩きつけていた。
「くっ……ならば私は『つゆだくの咆哮(ハウリング・ソース)』で応戦だ。甘みを三割増しにし、お前の紅生姜の酸味を中和する!」
迎え撃つ店員は、白髪混じりの渋い男だ。
レードルを操る手つきは、さながら聖剣を振るう騎士の如し。琥珀色の汁が、暴力的なまでのしぶきを上げて丼へダイブした。
(……なんで牛丼屋で対面式カードゲームが始まってるんだ? それに店員さん、あなた審判じゃなくてプレイヤー側なのか)
僕は、その狂気から目を逸らすように空いた席に座った。
仕事に追われ、食事を楽しむ余裕などとうに失っていた。味など二の次、ただ腹を満たせればいい。そんな無機質な日常を送りたかっただけなのに、目の前のポップが僕の正気をさらに削りにくる。
『【新規入会】今なら並盛一杯の価格で「はじめてのトッピング・スターターデッキ」無料配布中!』
(……もう乗っかるしかない。やっぱり吉野家にしとけばよかった)
「これ、一つ……。あと、牛丼の並を。ねぎ多めで」
「かしこまりました。デュエル・スタンバイですね」
「いや、ただの注文です。普通に食べさせてください」
店員は無言で頷くと、銀色の厚手なパックを添えたトレイを置いた。
袋には勇ましい金文字で『牛丼・タクティクス:ベーシックセット』とある。
「開けるがいい。それが、この弱肉強食のカウンター(フィールド)で、貴様が味覚を勝ち取るための唯一の武器だ」
「武器じゃなくて割り箸をください。あと、なんでそんなに声がいいんですか」
指先を震わせながら、パックの端を切る。
中から現れたのは、表面に妙に生々しいテクスチャが印刷された五枚のカードだった。
【刻みネギ(シャープネス・グリーン)】
【七味唐辛子(セブンス・スパイス)】
【サイドメニュー・味噌汁(オーシャン・シールド)】
【お新香(クリスタル・ピクルス)】
【逆転の黄身(リバース・エッグ)】
カードを手にした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
有線放送のJ-POPが突然、腹の底に響く重厚なオーケストラへと切り替わる。
湯気は龍の形を成して天井へ昇り、カウンターは鈍い光を放つ戦場へと姿を変えた。
「ほう、スターターで『リバース・エッグ』を引き当てるとは……。良き引きだな、ルーキー」
隣の金髪の男が、血走った目でこちらを向いた。
「さあ、始めようぜ。お前がその牛丼を単なる『タンパク質の塊』として飲み込むか、『至高の一杯』へと昇華させるか。そのデッキを使って、俺を満足させてみろ!」
「勝手に食わせろよ!」
だが、逃げ道はなかった。男の放つプレッシャーと紅生姜の刺激臭が、僕の退路を断つ。
僕はヤケクソになり、最初の一枚を、カウンターのカードゾーンへと叩きつけた!
「『七味唐辛子(セブンス・スパイス)』、発動!」
その瞬間、丼の中から赤い旋風が巻き起こった。
唐辛子の粒子が火花のように散り、肉の脂がパチパチと音を立てて爆ぜる。
僕は一心不乱に箸を動かし、その攻撃的な刺激を口内へと迎え入れた。
(……あ、美味い。なんだこれ、脳に直接スパイスが突き刺さる!)
「ふん、悪くない。だが甘いな。俺は『お新香(クリスタル・ピクルス)』で、お前の口内の熱狂を消し去る!」
隣の男が青いカードを突き出した。途端に僕の口の中は清涼感に包まれ、さっきまでの刺激が嘘のように消え去った。
「なっ……!」
金髪男は次々とカードを繰り出し、僕は劣勢に追い込まれる。
いや、追い込まれているのか、実際はよくわからないけど、そんな気がした。
僕は震える手で、黄金に輝く卵のカードを見つめた。
効果は、すべての具の位置を反転させる。キラキラしてるから、たぶん切り札だ。
「リバースエッグ、発動!!」
その瞬間、店内の照明がすべて消え、強烈なスポットライトが僕の丼を照らした。
生卵を割り入れた瞬間、世界が反転する。
肉は沈み、玉ねぎが踊り、丼の底から隠れていた本当の主役の米が光り輝きながら現れる。
僕は素早く箸を動かし、完成された牛丼を完食した。
店内は静まり返っていた。
金髪の男も、店員も、満足げに頷いている。
「見事だ。君は味覚の勝者となった。……さあ、支払いを済ませて帰りたまえ」
僕は、夢心地のままレジへ向かった。
会計を済ませ、自動ドアを抜けて国道の冷たい空気に触れたとき、ようやく憑き物が落ちたような気がした。
「……一体、なんだったんだ」
僕はポケットに手を入れた。そこには、デッキのカードが一枚だけ残っていた。
【お新香(クリスタル・ピクルス)】
裏返すと、小さく何か書いてあった。
『次回、サービス券としてご利用ください』

