よくわかるデスボイス概論 - An Introduction to Death Voice
2026/4/22追記:
ビギナー向けに、デスボイスを「何をどう聴くか」という観点で整理した記事を書いています。
当記事が難解に感じた方は、まずはこちらからどうぞ。
1.はじめに
「デスボイス」に関する情報というのは、現在インターネット上では多く閲覧できるようになっていると感じられる。
筆者が「デスボイス」に触れ始めた10年以上前、インターネット上での情報は極一部のもので、日本語で読める・聴ける情報はかなり限定的な経験則・主観的記述が多かったように思う。
筆者自身もまた情報を発信する素人の当事者であって、情報のまとまりの無さに加担していたと反省するばかりである。
年月の経過と自身の経験値・知識の発展に伴い、今日では「デスボイス」に関する精度の高い研究や関連領域の記述にまでアクセス出来るようになっている。
しかし、筆者の知る限りでは「デスボイスの全体像」のようなものを掴めるような、広く浅く網羅的な文書や動画などのコンテンツに筆者は未だ出会えていない。
よりキャッチーに閲覧数を意識したポップなものか、あるいは厳密さを目指され学術的に限定された範囲での記述に留まる論文か、情報は二極化しているように捉えている。
無いものは創り出す他ないため、筆者自身が尽力することで「デスボイスの教科書」となり得るような、あるいはその入口として機能するものを目指し、10年前の自分が見つけたら感動できるようなものを作成したく記事を書き始めるに至った。
そのため、読みやすさは欠くが厳密過ぎず目を通せる、そのような位置付けに捉えられたら幸いである。
当記事では幾つかの章立てとして、「デスボイスに関わる学術的な背景をまとめること」、「専門的視点を得た上でデスボイスの個人的な見方・聞き方」、「独学を試みることのリスク」の3点を述べていくものとした。
加えて、関連領域としてヒト以外の哺乳類における発声に軽く触れている。これは、比較解剖学的な視点も設けることで学びが深まると考えた背景がある。
デスボイスを知っていくあたり、過不足ない構成に出来たのではないかという自負がある。
ただし、これらは先頭より読み進める必然性は低く、気になる章を搔い摘み辞書的に用いて貰って構わないとも考えている。
何にしても、読者がデスボイスに対する関心が高まれば「勝ち」と思っているためだ。
デスボイス専門のボイストレーナーを4年・言語聴覚士を5年勤めているのみの若輩者の試みとはなるが、目に留めて時間を投じ読んでくださった諸氏に良い刺激を与えられたら、これ以上の喜びはないことと思う。
2.この記事の役割と限界
2.1:本記事の役割
先述の通り、この記事は「デスボイスの教科書」を目指して書き進めている。
ここで言う教科書とは、実践へ直結する手引きではなく、基礎となる土台を構築するためのものである。
そのため本記事では、以下の4点について大枠を把握できることを目的としている。
①解剖:デスボイスに関わる人体の組織
②発声生理:デスボイスを関わる発声機序
③聴覚心理:デスボイスらしさの背景
④ものさし:デスボイスを記述するための非線形力学という枠組み
これら4つの項目を「デスボイス」という視点から見つめ直すことは、特異的な発声と捉えられがちなデスボイスの理解を大きく促進することになると考える。
既存の研究成果や、より確実性の高い教科書レベルまで整理されたエビデンスを基盤とすることで、デスボイスに関して「何を調べたら良いか」の大まかな指針を明確にすることを目指した。
加えて、デスボイスの定義がどのように設けられようとしているかを述べ、学問の中におけるデスボイスの立ち位置を確認した。
それら事実をもとに、蛇足となろうとも筆者個人の見解・考察を述べていくものとする。
筆者は10年以上前より「デスボイス専門のボイストレーナー」として間欠的に活動しており、デスボイスの発声指導という枠組みでは相対的に一定以上の経験値を有している。
また、「言語聴覚士」として5年間は病院で従事しており、医療従事者として音声障害・発声障害のリハビリテーションにおける経験値も有している。
この2つの経験は、健常なディストーション発声と、病的なディストーション(嗄声)の双方を理解する基盤となり、デスボイスという歌唱方法に対する理解を深める一助にもなっている。
このようなバックグラウンドを持つ筆者の考察は、読者の理解を促進し得る材料になるのではないかと考えている。
ただし、筆者の考察を鵜呑みにしてほしいわけではない。
「事実をもとに考えること」の重要性を感じて貰いたい意図がある。
臨床家として、発声に関わらず高次脳機能障害・失語症・嚥下障害と様々な分野で多くの患者に関する分析と考察を繰り返し行ってきている。
その中で、現象を紐解く上で「事実(結果)」をもとに何故そうなるのか「分析」を行い、それらを踏まえて新たな結果を予想を「考察」するプロセスを歩んで欲しい。
研究者の記述するsummaryとは性質が異なるかもしれないが、PDCAサイクルのように、自ら思考し続けるためのフレームワークを身につける一助となれれば、という意図も含まれている。
読んでいく中で、納得できること・納得できないことのいずれも生じるであろう。
その際、なぜ自分はそう感じたのか、そして異なる受け止め方の可能性がないか、是非考えてみてほしい。
そこから強い内的動機に繋がれば、それは本記事の役割を超えて発声技術の向上にも繋がり得るだろう。
2.2:本記事の限界
非常に重要な点であるため、まず結論を列挙する。
①新たな事実の発見を記すものではない
②実践的な練習方法が理解できるものではない
③デスボイスの全てがわかるわけではない
それぞれ簡単に理由を述べるため、気になる読者のみ目を通していただきたい。
2.2.1:新たな事実の発見を記すものではない
本記事は既知の事実を列挙し、あくまでも筆者個人の考察を示すのみとなる。
筆者の考察に独自性は出るが、これは事実を示す材料が存在しているわけでなく、一個人の見解に留まる。
先述のような実績や経験も一定持ち得ているが、それでもエビデンスレベルとしては最も低い階層に位置づけられるものである。
そのため、本記事の価値は「既知の情報の集約および統合」であり、それは未知の発見を記すものではない。
また、既存の研究をピックしていくが、RCTやメタアナリシスのような高度な統計的処理をかけられるわけでもなく、そこまでのデータが揃っているわけではない分野である認識となっている。
あくまで「情報を探す手間を省く」程度の価値として受け取っていただければ幸いである。
2.2.2:実践的な練習方法が理解できるものではない
繰り返しになるが、本記事は既知の事実の列挙となる。
その中には発声練習にインスピレーションを与えるものもあろうが、それをもってしてデスボイスに独学で挑むことはリスクを伴う行為となる。
詳細は「5.自己判断が難しい理由」の中で述べることとする。
インターネット上で挙げられているような発声導入方法についても触れず、築かれたエビデンスに対してリスペクトを持って論を展開するよう強く意識して書き進めようとしている。
そのため、本記事を通読する後でデスボイスが出せるようになっていることは考え難い。
しかし、デスボイスに関する理解は確実に進んでいることは約束できる。
2.2.3:デスボイスの全てがわかるわけではない
デスボイスの大枠が掴めるよう情報を集約しているが、それで全てがわかるわけでは決してない。
発声科学という枠組みで、様々な発声が研究されているがデスボイスにフォーカスしたものは極わずかとなっている。
より正確に述べれば、医療的緊急度が低い健常例は研究資源は相対的に必要性が少ない領域となる。
先人には敬意を払う他ないが、「医学」という大きく強い領域も通っている身としては、どうしてもエビデンスレベルが低いと言わざるを得ない状態と考える。
幾つかの研究結果を挙げ、それらを一次ソースに論は展開していくこととなる。
しかし、それらのエビデンスとしての精度や質には限界があり、今後の更なる研究が待たれるものも多い。
そういった情報を元に、一個人の考察を述べていくのであるから、本記事で全てがわかるということからは程遠いことを理解されたい。
これは期待値を下げたいわけではなく、情報のリテラシーとしての話とはなっている。
以上を踏まえた上で、本題へ進んでいただければ幸いである。
3.デスボイス概論
3.1:「デスボイス」とは
3.1.1:研究でのデスボイスの扱われ方
現時点において、「デスボイス」を一義的に定義する合意は存在しない。
これは、研究分野や立場によって、デスボイスが聴覚印象・発声様式・音響特性のいずれを基準として扱われてきたかが異なるためである。
以下では、研究シーンにおいて「デスボイス」およびそれに近接する発声が、どのような語彙・分類の枠組みで扱われてきたかを整理する。
①聴覚印象での分類
Sakakibaraら(2004) は、Growlという語について、特定の解剖学的機構を直接指示する用語ではなく、主として聴覚印象に基づいて記述されてきた概念であると述べている。
この文脈でのGrowlは、デスメタル等で用いられる発声パターンではなく、いくつかの民族音楽およびポピュラー音楽において比較的一般的に見られる発声を指している。
一方、Eckersら(2009)の研究では、デスメタルの歌手は、深く荒々しい・うなり声に近い歌唱を行うことが多く、その際にGrowlingと呼ばれる独特の発声様式として扱っている。
このように、「Growl」という単語に限定した先行研究の例のみではあるものの、デスボイスに関する語彙は研究文脈によって指し示す範囲が大きく異なり得ている。
②発声様式での分類
Aaenら(2020)は、Complete Vocal Technique(CVT)の研究系譜においてVocal effectsの分類としてDistortion、Rattle、Growl、Gruntという4種類を掲げている。
CVT ではこれらを、関与する振動部位の違いに基づいて整理しており、
・Distortion:主に仮声帯による振動
・Rattle:披裂軟骨、口蓋垂、舌後部、軟口蓋、披裂部上の唾液、粘膜などの振動
・Growl:披裂部と喉頭蓋の接触による振動
・Grunt:披裂部・披裂喉頭蓋襞・喉頭蓋など、比較的広範な領域の関与
と、それぞれ発声様式に基づく名称付けが行われている。
また、ノイズ成分を含む発声を音声学的に整理した研究として、Eslingら(2019)はPhonetic laryngeal features という枠組みの中で、Creaky voice や Harsh voice といった声質を声帯振動様式および声門上構造の関与を含む連続的な声質空間として整理している。
Creaky voice はHollienら(1966)の述べるGlottal fryあるいはVocal fry と結び付けられて考えられており、甲状披裂筋による声帯短縮を特徴とし、Harsh voice はこれに加えて上喉頭腔の狭窄や垂直方向の質量増加を伴う声質として説明されている。
さらに Leeら(2025)は、Vocal distortionを以下の3点を基準として分類している。
・声帯振動の周期性の有無
・声帯以外に接触・振動に関与する部位の存在
・仮声帯と声帯の周期数関係(整数比・非整数比)
加えて、非周期的(aperiodic)な発声については、呼気(expiration)によるものか、吸気(inspiration)によるものかも考慮している。
この枠組みにおいて、False fold distortion(Integer ratio type/Non-integer ratio type)、Epiglottis-arytenoids distortion、Fry scream、Death scream、Creaky voice、Inhale screamが体系的に整理されている。
なお、「Scream」という語彙は、より強い不協和音を伴うDistortionを指して用いられている。
3.1.2:考察 俗称と研究との整合
本節では、筆者が従来用いてきた、False cord scream=声帯・仮声帯・披裂喉頭蓋襞を含む上喉頭粘膜を広く用いたデスボイス、Fry scream=主として声帯振動を用いたデスボイス、という便宜的分類と、研究シーンにおける分類との対応関係を検討する。
デスボイスの分類を検討する上で参照可能な研究として、Eslingら(2019)、Aaenら(2020)、Leeら(2025)の3つが挙げられる。
これらはいずれも、内喉頭において振動に関与する組織を明示している点で共通している。
また、CVT に関しては、公式ウェブサイト上において嚥下内視鏡映像および複数の音声デモを確認することが可能であり(2025年12月現在)、発声様式と聴覚印象を対応づけて検討できる資料が一定程度整備されている。
まずFalse cord screamに近いものとしては、Aaenら(2020)のGruntとLeeら(2025)のFalse fold distortion(Non-integer ratio type)が挙げられると推測される。
前者については、公式資料に基づく聴覚印象上の判断に留まるが、後者については、声帯と仮声帯の振動が非整数比の関係を指しており、整数比の振動関係を示す発声と比較してより粗く不規則な音響特性を呈することが示されている。
この点を考慮すると、False cord screamの音響的特徴と最も近い状態である可能性が高い。
筆者が高速度デジタル喉頭内視鏡(HSDI)により自身の発声を観察した際、音声分析は行えていないものの、映像上では喉頭蓋の後傾とともに披裂部から披裂喉頭蓋襞にかけて広範な振動が確認された。
この所見はAaenら(2020)のGruntに相当する、あるいはGruntを含む複数の vocal effectsが複合的に用いられている状態である可能性を示唆している。
一方、Fry screamに関してはLeeら(2025)のFry scream、Death screamが対応すると考えられる。
ただし、俗称的にFry screamと呼ばれる発声の中には、Leeら(2025)のいうEpiglottis-arytenoids distortionに近い状態を呈していると考えられる例も存在する。
この点については、Eslingら(2019)のいうCreaky voice/Harsh voiceの関係性で説明が可能ではないかと考える。
なお、Eslingら(2019)がCreaky voiceをVocal fryと概ね同義として扱っているのに対し、Leeら(2025)ではCreaky voiceとVocal fryが明確に区別されている点は、分類体系の差異として留意すべきである。
Leeら(2025)の述べるScreamの概念に則る場合、オールドスクールなデスメタルなどで用いられている音声はDistortionの範囲に留まる。
この点は混乱を招くことは否めないが、声帯および他粘膜組織いずれか(またはいずれも)の非周期的な振動を伴っているものを「デスボイス」とすることが妥当ではないかと筆者は考える。
現状では分類方法は未だ統一されていないが、発声を分類する中で「声帯」および「上喉頭粘膜」が関与しているものを扱っている点については、研究間で概ね共通した見解が示されている。
この点は、デスボイスを特徴づける基本的要件として挙げることができるだろう。
3.2:デスボイスに関わる解剖学
発声発語に関わる器官は多岐に渡り、呼吸器-喉頭-口腔という基本的な枠組みを網羅的に扱うことは、本記事の役割を超えてしまう。
そのため、デスボイスの発声に直接関与する解剖学的組織として、内喉頭の範囲に限定して概説する。
これは、デスボイスにおいて重要となるのは「声帯およびそれ以外の振動源」を把握することである、という本記事の立場によるものである。
3.2.1:喉頭軟骨
喉頭軟骨という枠組みでは、9本の軟骨が靭帯および膜によって支持され、発声においても重要な上喉頭腔を形成することとなる。
甲状軟骨、輪状軟骨、喉頭蓋という大きな構造体と、披裂軟骨、小角軟骨、楔状軟骨という3対の小さな軟骨がある。
①甲状軟骨 - Thyroid cartilage
喉頭軟骨板という2枚のプレートが合わさったような形状から形成されている。その癒合部は甲状軟骨角と呼ばれ、上部にあるV字の切痕から直下の部分を喉頭隆起(喉仏)と呼ばれている。
後部は甲状軟骨上角および下角を有しており、上角は舌骨と靭帯で繋がり、下角は輪状軟骨と関節を成す(甲状輪状関節)。
②輪状軟骨 - Cricoid cartilage
指輪状の軟骨で、背側から腹側にかけてなだらかに背が低くなっている。
背側の上部は披裂軟骨との関節を成し、声帯の内外転に伴い滑走路の役割を果たしている。
背側側面では、甲状軟骨下角との関節を成す(甲状輪状関節)。
③喉頭蓋 - Epiglottis
葉っぱのような構造体で、上縁は広く丸く薄いが下縁では細くなり(喉頭蓋)、甲状切痕の直下にある喉頭隆起内側付近に靭帯で付着する。
また、腹側にあたる葉状部では舌骨と靭帯で接合している。
上から覗くように見ると、舌面に向かって凸型となっている。
また、舌根とは正中および外側の靭帯により連続している。
④披裂軟骨 - Arytenoid cartilage
輪状軟骨の斜面に対で位置する、突起を有するような三角錐状の軟骨である。
前部の角は声帯突起と呼ばれ、声帯ヒダと連続しており、声門閉鎖の要となる。
外側後部の筋突起は、外側および後輪状披裂筋の停止部となっており、滑走・滑車・回転運動を実現する。
上部に出た角となる尖は披裂筋(横筋、斜筋)が走行し、後部声門の閉鎖に関与する。
⑤小角軟骨 - Corniculate cartilage
披裂軟骨の頂点に位置する円錐形の軟骨である。
⑥楔状軟骨 - Cuneiform cartilage
喉頭蓋の両側から披裂軟骨の頂点まで伸びる披裂喉頭蓋ヒダの内部に埋め込まれている軟骨であり、小角結節の外側前部に位置する。
披裂喉頭蓋ヒダを固くし、喉頭の開口部を保つ役割と考えられている。
3.2.2:内喉頭筋
発声における音源は声帯振動となり、実現にあたっては内喉頭筋によって実現される。
内喉頭筋は役割によって、声門閉鎖筋、声門開大筋、声門緊張筋に分類される。
閉鎖筋には甲状披裂筋(声帯筋を含む)、外側輪状披裂筋、(横/斜)披裂筋が、開大筋は後輪状筋、緊張筋は甲状輪状筋から成る。
また、支配神経は輪状甲状筋のみ上喉頭神経によって、その他の筋群は下喉頭神経(反回神経)より支配される。
①甲状披裂筋 - Thyroarytenoid muscle
声帯の実質的な中心となる筋肉である。
2つの筋肉から成ると言われる場合もあり、声帯靭帯の側面を声帯筋、外側を狭義の甲状披裂筋とされることがある。
狭義の甲状披裂筋は垂直上方へ筋繊維が走行し、披裂喉頭蓋ヒダで消失するものもあれば喉頭蓋外側縁まで至る場合もある(甲状喉頭蓋筋)。
加えて、喉頭室の外側縁にそって走行する筋繊維もある。
声帯筋を含む声帯自体は、上皮組織、粘膜固有層、声帯筋から成る層構造となっている。
②外側輪状披裂筋 - Lateral cricoartenoid muscle
輪状軟骨の外側前部から始まり、披裂軟骨の筋突起前部に停止する。
その結果、披裂筋と共に声帯突起の内転を担い、後輪状披裂筋と拮抗関係を成している。
③披裂筋 - Arytenoid muscle
披裂軟骨の後面に位置する筋肉であり、横披裂筋(transverse arytenoid muscle)と斜披裂筋(oblique arytenoid muscle)の2種類に分けられる。
横披裂筋は披裂軟骨間を後面で水平に走行しており、披裂軟骨を接近させ且つ輪状軟骨斜辺にそって挙上させる。
斜披裂筋は横披裂筋に比し浅層の筋肉であり、披裂軟骨間を後面で斜めに交差するように位置している。
また、斜披裂筋は披裂軟骨頂点から披裂喉頭蓋筋として連続的に筋繊維が走行している。
④後輪状披裂筋 - Posterior cricoartenoid muscle
輪状軟骨の後面から始まり披裂軟骨の筋突起後面に停止する。
後輪状披裂筋の働きにより披裂軟骨は回転し、声帯突起は外転しつつ挙上するような振る舞いを見せる。
⑤輪状甲状筋 - Cricothyroid muscle
能動的に声帯を緊張および延長させる筋肉であり、輪状軟骨から始まり甲状軟骨で停止する。
輪状甲状筋の働きにより、声門間隙の狭小化に寄与する側面もある。
3.3:デスボイスに関わる発声生理学
本項はゼムリン(2007)およびラファエルら(2008)の訳書を基本的な枠組みとして参照している。
3.3.1:発声のメカニズム
「歌う」という時に必要な要素を発声発語器官を見た際、「発声」に必要な要素として音源としての振動体と、それを振動させるためのエネルギーが必要となる。
現在、指示されているものがvan den Bergら(1958)により確固たる理論として提唱された筋弾性‐空気力学説である。
連続発声時において、エネルギー源は肺より供給される呼気がそれにあたり、声門閉鎖することで声門下圧が高まり、声門開大に際して呼気が放出され声門下圧が低下、声帯による弾性復元力およびベルヌーイ効果により声門開大部における陰圧が生じることで、再び声門が閉鎖して声門下圧が上昇する。
内喉頭の声帯において、上記のような空気力学的な機序が声帯という柔軟な組織で発生することによって、周期的な振動源を達成することが叶う。
ベルヌーイ効果に関して詳細は割愛するが、一定条件下では陰圧が発生することを指しており、その副産物として圧力の低い方向へ物質が引き込まれることを発声では活用している、という認識で差し支えないと考える。
圧力差に関しても、声門下圧は肺による呼気流で高まる(陽圧)ことで大気圧(陰圧)を超えるため声門閉鎖をこじ開けようとする、という流れからも理解が進みやすいかもしれない。
そのため、声門上圧(=声帯~口腔あるいは外鼻孔まで)の圧力が高くなる(=口を窄めるなど)と、声門における上下圧の差が低下し、ベルヌーイ効果も低下するため、声門上圧が大気圧に等しい状態に比し声帯振動は抑制し得る。
これにより実現する声帯振動(=喉頭音源)の聴取可能な3種類の特性として、音のピッチ、ラウドネス、声質特徴量が挙げられる。
音のピッチは基本周波数を指し、甲状披裂筋や輪状甲状筋といった声帯の厚み・張りに関与する種々に筋群によって調整される。また、声門下圧の変化によっても影響を受けるが、ピッチコントロール自体は前者の筋群による働きが大きい。
声質特徴量は、先述の基本周波数も含み、声帯振動の時間的変化および声道の形状にも依存して変化するものとなる。
3.3.2:Glottal fryほか発声カテゴリー
声帯振動は性差があるものの、話声位において男性で約130Hz、女性で約220Hzが平均となっている。
Hz(ヘルツ)は1秒あたりの周期を示す単位で、この文脈ではHz=声帯振動数と捉えていただいて差し支えない。
声帯振動には、声門が開いている開放相、声門が閉じつつある閉小相、声門が閉じている閉鎖相、声門が開きつつある開大相の4相がある。
声帯ヒダ振動の典型的周期(=通常発声)のフィルム観察では、閉鎖相は約10%、開放相を含む開大相-閉小相は約90%の割合で振動周期が確認されている。
一方、Glottal fryという、Vocal fryやCreaky voiceと同義の発声においては基本周波数が30~80Hzとなっており、特に70Hz以下で知覚されやすい(Titzeら 2000)。
声帯粘膜は短く厚く且つ弛緩した状態で用いられ(Thurmanら 2004)、振動周期の90%を閉鎖相が占める結果が得られている。
また、これらの発声は声帯が浮腫(むくみ)のある状態である際の発声されやすく、喫煙や飲酒との関係性を指摘されている(Thurmanら 2004)。
ここで更に発展させたいこととして、Creaky voiceの多様性である。
Eslingら(2019)はCreaky voiceとして、明らかにGlottal fryやVocal fryとは一線を画した発声についても触れている。
連続的な存在であるHarsh voiceも含め、仮声帯および上喉頭の構造が影響を及ぼし得る発声も音声学の文脈では含まれ得る点は注意されたい。
また、Leeら(2025)のCreaky voiceおよびVocal fryの声門の開放時間率を参照すると、Vocal fryはGlottal fryと同等ではあるものの、Creaky voiceはGlottal fryとは違った振動様式が確認されている。
こちらは音声言語医学/発声学の文脈である点は注意されたい。
3.3.3:発声時の仮声帯の関与
発声時に仮声帯を用いること、加えて病的な発声に限らず参加し得る組織となっていることは今日に至っては多くの研究報告が挙がっている。
仮声帯は声帯に対して喉頭室(モルガニー洞)の天井を形成するよう上部に位置する組織となる。
甲状披裂筋の上部にあたる筋(上甲状披裂筋)を有する(Kotbyら 1991)が、声帯に比し粘性が高く剛性が低い(Hajiら 1992)。
これはすなわち、声帯より振動の効率が悪く且つ形状変化が大きいことを意味する。
また、声帯-仮声帯の空間的位置関係および構造的な要因から、声帯振動時に生じる空気力学的な負圧(Fuksら 1998)や、声門下圧の上昇および高い呼気流によって振動すると考えられている(Borchら 2004)。
仮声帯の振動パターンとして、①Slow nonoscillatory②Fast oscillatory motion(Aperiodical/Periodical vibrations)の2種が確認されており、声帯‐仮声帯の空気力学的相互作用は、声帯振動を変化・強化・抑制、あるいは保つことを補助する要因となっていることがHSDIおよび電気声門図(EGG)を用いた研究より明らかになっている。(Bailyら 2014)。
HSDIによる声帯-仮声帯の振動様態観察では、声帯振動f0に対して1:2および1/3な周波数比での発声が確認されている(Fuksら 1998,Lindestadら 2001)。
また、声帯-仮声帯のシリコンモデルを用いた空気力学的実験でも、左右仮声帯間の距離によって声帯-仮声帯の1:1や2:1な周波数比および両者の固有周波数の競合によるdesynchronized chaotic dynamicsが認められ、物理実験においても複数の振動パターンを呈す構造であることが確認されている(Matsumotoら 2024)。
声帯-仮声帯振動においては、声帯振動は仮声帯振動の影響を受けることにより、声門パルス(声門開大時に放出される振動波)の部分的な振幅減衰および声道内の定在波の反射が起こり、声量として知覚される音圧レベルの増加およびフォルマント帯域幅が狭まって声量の増大に繋がる(Fuksら 1998,Lindestadら 2001)。
※補足事項1:Throat clearing(咳払い)に関して
Throat clearingでは、声帯-仮声帯および披裂喉頭蓋構造も関与している(Iwahashiら 2016)。一方で、その際の声門閉鎖は部分的な閉鎖を持続的に要するもの(Sofianaら 2025)としており、Cough(咳)との差異として示唆されている。
※補足事項2:動物の発声と比較して
Roaring cats(咆えるネコ科:ライオン、トラなど)に関して、Non-roaring cats(咆えないネコ科:イエネコなど)と喉頭を比較した際には声帯の構造的な差異があり、前者で弾性繊維に富んだ大きなパッド状が認められている(Hastら 1989)。
3.3.4:吸気発声
吸気発声では、呼気時と異なる声帯振動のパターンが観察され、上喉頭組織の振動を伴わないことが確認されている(Leeら 2025)。
また、呼気発声に比し吸気発声では仮声帯内転および咽頭収縮の減少と声帯伸展の強化されること、甲状披裂筋が強く働くことに伴い輪状披裂筋の収縮も強くなることが確認されており、より高い弾性張力を実現している(Paolilloら 2021)。
明確なエビデンスは確認できていないものの、言語聴覚療法においても教科書レベルで、音声障害のリハビリテーションとして用いることを推奨されている。
その際には、仮声帯の開大を図れることから努力性嗄声の患者に対するアプローチとして紹介されることが多い。
3.3.5:考察 デスボイスとVocal fry
ここでも筆者の従来用いてきたFalse cord screamおよびFry screamという概念を用いて、「3.1.2:考察 俗称と研究との整合」で述べた点を深堀りしていきたい。
3.3.5.1:Fry screamとVocal fry
インターネット上で散見する「Fry scream」の発声導入に関して、Vocal fry(俗称的にEdge voiceと呼ばれていることもある)を用いた導入方法が成される場合が多い。
成書や各研究で指されるVocal fryはピッチの存在がないことはDistortionとしてのeffectを感じさせるが、これを内喉頭筋あるいは喉頭位置の操作により努力的に発声が試みられた場合にはLeeら(2025)ではCreaky voiceと呼ばれ、Eslingら(2019)ではCreaky voice(声門前部2/3の振動としている点ではBreathy creaky voiceと言うのが適切かもしれないが)を指す形になると考えられる。
また、Proctorら(2024)の音読条件下でのVocal fryに関する研究では、Vocal fryを6種類に分類している。
このように、各研究自体が異なる条件設定・個体を用いている点も留意しておきたいが、聴覚印象における分析で「Vocal fry」を判断・分析しようとすることの困難さは極めて強いものと考える。
いずれにせよ、現状のデスボイス発声における発声導入全般においては、「Vocal fryにもグラデーションがある」と捉えるより、定義が曖昧なままで語彙が独り歩きしている状態と捉える方が妥当であろう。
語彙を正確に用いることが発声実現には結びつかないが、それぞれの発声がどのような内喉頭の動態および振動様式と先行研究で結果が得られているか、どのような考察が伸ばされているか、デスボイスを見つめる上では重要な情報となる。
これをLeeら(2025)のいうVocal distortionの枠組みで語るか、あるいはVocal registerとして声区の枠組みで語るか、それによってもデスボイス発声導入におけるアプローチは変わってくるものと考える。
3.3.5.2:False cord screamとVocal fry
基本的には発声導入にあたって、文字通り「仮声帯」の扱いを説かれることが多いFalse cord screamとなる。
しかし、「3.1.2:考察 俗称と研究との整合」で述べたLeeら(2025)のEpiglottis-arytenoids distortionに関してはFalse cord screamとの連続性のある発声ではないかと筆者は考えている。
そのため、False fold distortionとして分類されるEpiglottis-arytenoids distortionをFalse cord screamの枠組みで捉えて考察を進める。
Vocal fryとして発声導入を進めFry screamを目指そうとされる際、Eslingら(2019)のいうCreaky voice/Harsh voiceの関係性に近いような現象により、声帯に由来するDistortionを目指したはずが上喉頭の狭窄により接触し得る組織による粘膜振動が実現され、声帯音源と誤認されたままFry screamと称されているパターンが存在していると考える。
この際の声帯振動における周期性はここで明らかにすることは困難であるが、上喉頭粘膜による声帯振動における質量の変化や声帯-仮声帯におけるcouplingなど、声帯の非周期性が生み出されることは容易に予想される。
加えて、声帯振動が周期的であってもLeeら(2025)の分類するようにEpiglottis-arytenoids distortionにおいてもInteger ratio type/Non-integer ratio typeが存在する可能性も考えられる。
以上の考察から、筆者としてはFalse cord screamとして認識されている音声においても、Leeら(2025)に沿えばFalse fold distortionとEpiglottis-arytenoids distortionに分類され、それらはどちらも声帯の周期性が保たれつつも、上喉頭粘膜にあたり仮声帯あるいは喉頭蓋-披裂軟骨(あるいは他結節)による振動はNon-integer ratio typeとなっていることで、聴覚印象上は「デスボイス」として知覚され且つ同質の音声として知覚されやすいのではないかと考える。
この点は更なる文献的検討を行う必要はあるものの、よりデスボイス特異的なエビデンスの獲得には後続の研究を待つ他ない。
3.4:デスボイスに関わる聴覚心理学
本項の目的は、デスボイスの聴取に関わる主要な聴覚心理学的概念を概観することであり、基礎的な音響学および聴覚生理学の詳細については割愛し、既存の成書を参照されたい。
3.4.1:Roughness - 粗さの知覚
ラフネス(roughness)は主観的な音の「粗さ」に対応する知覚的な指標で、音の振幅包絡 や周波数の周期的な変動により感じるもので(高田 2019)、主として振幅変調あるいは周波数変調に由来する知覚であり、15~300Hz 程度の変調周波数帯で顕在化し、特に70Hz付近でラフネスは最大となる(Fastlら 2006)。
発声におけるこの帯域は、通常の発話では用いられておらず、叫び声といった特異的な発声パターンで確認されており(Arnalら 2015)、嫌悪感と強く結びつくことで脅威処理に関与する大脳領域の活動を高めることが知られている(Taffouら 2021)。
3.4.2:基本周波数とピッチ
音高を表す指標として、物理量として基本周波数f0があり、他方で音楽音としての感覚量にはピッチが割り当てられるが、後者においては純音(音叉など)なのか複合音(音声など)なのかにより、Spectral pitchとVirtual pitchの2種類に区別することが妥当となる(Terhardt 1978)。
後者に関して、複合音において基本周波数を含む一部の刺激が欠如していても、それ以外の聴覚的刺激情報によってVirtual pitchを推定・再構成することで、本来の楽音としてのピッチをラベリングすることができる。
また、複合音におけるVirtual pitchの推定は、第1~第2フォルマントを網羅できる500~1500Hzの周波数帯域から優先的に情報処理を行うことで、より効率的に聴覚系で行われている可能性も示唆されている。
3.4.3:音素修復 - Phonemic restoration
音声は、断続的に無音を配置されると途切れて聞こえるが、別の音源によりマスキングされた場合には連続的に聞こえていると感じるPhonemic restoration(音素/音韻修復あるいは連続聴錯覚)が生じる(Warren 1970, Warren 1972, MacAdams 1989)。
関連として、音における連続性の持続はマスキングされている区間の始まりと終わりが聴覚系として知覚できるか否かで決定される(Nicholas 2011)。
3.4.4:考察 デスボイスの聴覚的理解
デスボイスという歌唱方法を慣れ親しんでいない聴者に与えた際、「歌詞がわからない」という感想を抱くことは想像に難くない。
しかし、デスボイスを一定以上聴き続けることで聴取は概ね容易になり得る。
このギャップを考える際に、本項で挙げた幾つかの概念が助けになる。
大前提として、ラフネスの富んだ音声となるデスボイスは「音声」よりも「警告音」としての色彩を強く帯びている。
これらは大脳基底核系において嫌悪刺激で共通に賦活する情動処理経路への関与が示唆されており(Hayesら 2012)、還元すれば「生理的に受け付けない」という反応は妥当性が高く且つ生物として健全な反応とすら言えてしまう。
この点に関しては、後述する「3.5.2:非線形性発声の存在意義」でも触れることとなる。
デスボイスという複合音において、学習的にピッチの同定もとい歌唱音声としての認識、あるいは弁別能力の向上も可能と考える。
加えて、そこまでデスボイスに触れていないにも関わらず抵抗感なく聞けてしまうケースに関して、Virtual pitchの推定に近いような、「人間の歌唱音声である」という認識を聴覚系によって処理できる土台が存在する可能性がある。
それらは人間の音声以外の複合音、動物の鳴き声や楽器の音、あるいはそれ以外のものでも、ラフネスの富んだ聴覚刺激に注意を向けて聴覚系を働かせていた背景があるのではないかと、筆者は愚考する。
デスボイスの聴取自体が可能となれば、通常歌唱音声に比し複合音として刺激量が富んでいようとも、音素修復という脳の補完現象によって歌詞の聴取もスムーズに処理されることとなるだろう。
ただし、聞き取りやすさに関して、ラフネス自体が低下させる要因ともなり得ること、デスボイス発声に伴う歌唱者の特異的な構音動態(倍音唱法など)もあり、一概に聴者の聴覚系に帰するとは言えないだろう。
3.5:デスボイスに関わる非線形力学
Titze(2008)によって提唱された非線形ソースフィルタ理論を背景として、非線形現象を発声に適用したレビューや方法論が整備されている。
非線形力学は、入力と出力の比例関係が成立しない系を扱うことで現実の物理現象にみられる振る舞いをより忠実に記述するための理論体系である、という理解を筆者はしている。
本項では数式展開を目的とせず、発声研究で扱われる代表的な非線形現象の語彙を整理し、デスボイスの多様性を記述するための「ものさし」として提示する。
そのため、本項ではあくまでも非線形力学によって示唆された概念および研究を示すに留めることとする。
3.5.1:Distortionという非線形性発声
Martaら (2025)によれば、声帯振動においても僅かな非対称性があっても、機械的・空気力学的な作用によって結合(相互作用)し、規則的な振動(同期)が生じることが多い。この左右弁における結合が弱く、且つそれぞれの振動周期が同期に至らない場合には、トーラス運動(非同期)となる。
トーラス運動は周波数が整数比で固定(ロッキング)されず、複数の独立した振動子が共存する状態となり、更に同期境界付近では位相固定とずれが交互に現れる準同期状態が生じ、より複雑な音響現象が生じる。
これらは文脈依存的にラベリングが変化し、声帯においては整数比(1:2など)の周波数比でSubharmonics、それぞれが独立した周波数となっている場合にはBiphonationと呼ばれることもある(Kobら 2011)。
結合振動子の関係性は声帯の左右弁に留まらず、声帯-仮声帯、仮声帯-上喉頭組織といった様々な組み合わせの相互作用が示唆されており(Janら 2025)、声帯-仮声帯ではモデルを用いた研究でも同期/非同期といった相互作用が生じ得ることが示されている(Inoueら 2024, Matsumotoら 2024)。
また、非Distortion発声の声区移行にあたり、筋緊張などの変化(Kobら 2011)や音響的な負荷の変化(Titzeら 2008)により、突発的な声区移行(分岐)が確認される。
3.5.2:非線形性発声の存在意義
非線形性を富んだ発声では、音声のピッチを低下させ、暗さおよびラフネスの増加、更には大きく攻撃的に感じさせる効果がある(Anikinら 2021)。
また、ヒトの叫び声に焦点を当てると、ラフネス帯域30~150Hzが強調されることで著しく嫌悪的に知覚され、苦痛や危険など生命維持に必要な情報を伝達するため保存されてきた(Arnalら 2025)。
動物実験では、受信側における聴覚的な予測不能性を高めることによって馴化(刺激に慣れること)を防ぐ仮説が支持されており(Karpら 2013)、それらは行動反応の強化にも繋がっている(Townsendら 2011)。
3.5.3:考察 デスボイスの多様性
あくまでもこの項は、今まで曖昧ながら感じて理解されていたことを明確に記載されてきていることを示すために掲載している。
そのため、非線形力学で用いられている語彙を筆者なりにデスボイスの文脈で再解釈し、考察を伸ばすこととする。
デスボイスにおいて、Leeら(2025)の周期的/非周期的という分類がこの項における同期/非同期/準同期(トーラス運動の歪み増大)が対応しているものと考える。
以下は Leeら(2025)の分類を、非線形振動子の相互作用として作業仮説的に言い換えたものであり、厳密な同定には HSDI/EGG/音響の同時計測が必要である。
①False fold distortion(Integer ratio type/Non-integer ratio type)
→仮声帯結合型(声帯-仮声帯)
声帯-仮声帯を結合振動子し、声帯左右弁は同期、仮声帯左右弁において同期/非同期or準同期を指していると考えられる。
②Epiglottis-arytenoids distortion
→披裂喉頭蓋ヒダ結合型(声帯-披裂喉頭蓋ヒダ)
声帯-披裂喉頭蓋ヒダを結合振動子とし、声帯左右弁は同期、披裂喉頭蓋ヒダ左右弁も同期した発声を対象としていると考えられる。
③Fry scream/Death scream/Inhale scream
→声帯非同期/準同期型
声帯左右弁を結合振動子とし、非同期~準同期の中でグラデーションを持って存在する振動様式と考えられる。
④Creaky voice(Vocal fry)
→声帯低周波同期型
声帯左右弁を結合振動子とし、同期しているが振動数が少ないことによりラフネスが高まり、Distortionとしての属性を帯びると考えられる。
Aaenら(2020)の分類におけるGruntのように、喉頭蓋壁もとい喉頭蓋結節-披裂部のような接触箇所においても上記なような非線形力学的な機序が作用することも考えられる。
デスボイス全体では、内喉頭組織はパーツ単位で操作を試みようとするより、むしろ声門下圧の過度な上昇を避けた上で上喉頭狭窄を実現し、トーラス運動の歪みを実現できる振動子の確立が重要であるとも説明可能かもしれない。
4.デスボイスの捉え方
ここでは、これまでに述べた複数の知見を踏まえつつ、「デスボイス」という語彙が持つ概念的な限界について整理する。
4.1:聴覚印象でのデスボイスの定義
デスボイスにおける重要な要素として、内喉頭の振動子いずれかにおける非周期性/準同期が挙げられることは多くの研究で重要視されている。
声帯間の同期ではSubharmonicsなど、声帯-仮声帯の同期ではKargyraaなど、デスボイスとは別のラベルが既に存在している。
しかし、Leeら(2025)のScreamが即ちデスボイスと同義であるとは言い難いと筆者は考える。
声帯の周期振動は保ちながら仮声帯の関与が振幅に規則的に作用する(Fuksら 1998, Lindestadら 2001)こと、30~150Hzで生じるラフネスという観点で、必ずしも聴者は声帯の非周期的な振動をデスボイスたる要件として求めるとは言い難いと考えられる。
音楽ジャンルの文脈として、声帯の非周期性/準同期を重要視する立場はあり得る話であり、特定のジャンルを好んで聴くリスナーは声帯振動におけるこれらの動態の弁別能が高まっていること考えられる。
他方、声帯の振動様態を重要視されない音楽ジャンルまたは発声を好んで聴く場合には、声帯が周期的な振動であっても上喉頭組織の振動の有り様で判断している可能性も大いに考えられる。
このように、Distortionの中のデスボイスにおいても音楽ジャンルという文脈から切り離して語ることは困難となっている。
故に、デスボイスやスクリームという語彙を用いて歌唱方法が語られる際に発信者間で大きな差が生じ、且つその差を埋めることは各々の抱える音楽ジャンル的文脈の擦り合わせという途方もない作業が付随するために、個々人の「デスボイス観」を持つ他ない。
また、プロのアーティストや指導者の語ることを土台として共通認識を育む事も可能で現実的な手法であるが、これもまた音楽ジャンル的な文脈理解を要すことに変わりなく、その擦り合わせが完遂されることも珍しいのではないかと考える。
一意に定めようとする際、物理的な波形によって定量的に判断される手法も検討されている。
国内でも試みとして研究は確認できる(加藤ら 2012, 加藤ら 2013)が、前提となる発声パターンの定義が曖昧であったり被験者数が少ないなど、課題が残る状態となっている印象を受ける。
この点は通常歌唱と比較した際、声区やピッチという概念で整理されていないデスボイスにおいて、代替的にJitterやShimmerといった臨床的な指標を用いて検討されることが多い。
これらは、デスボイスというもの自体も、それに関連する語彙においても、クラシック・スタイルのようなものが出来上がらないと規定することは非常に困難であろう。
しかし、そのようなスタイルの確立はHR/HMの文脈から逸脱する行為とも考えられる。
4.2:発声様式でのデスボイスの定義
デスボイスの発声方法に関わるものとして、内喉頭の諸器官が関わることは「3.3:デスボイスに関わる発声生理学」で述べた通りである。
Aaenら(2020)のようにパーツ単位で述べることが妥当であるとは考えるが、それでもGruntの多様性は触れざるを得ないものであろう。
デスボイスの個体間における再現性を高めようとした際に、特定のパーツを同じように参加させられるかは疑問が残ると言わざるを得ない。
例えば、仮声帯においても個体差や性差および加齢変化が報告されている(青柳 1995, 小川 1995)。
これらを考慮すると、False cord screamなど仮声帯を積極的に用いることを要求される歌唱方法は適性の有無が考えられるが、Distortionとして直接検証したデータは限られるため、本稿では仮説として留める。
また、デスボイスに際して参加するパーツは先述の通りで合意が得られてきていると捉えられるが、より観測対象数を増やし様々な結合振動子のパターンを収集することが重要となるだろう。
声帯左右弁からはじまり、声帯-仮声帯、声帯-披裂喉頭蓋ヒダなど、様々な結合を想定して然るべき発声となっているように考えられる。
また、例えば声帯-仮声帯において、上甲状披裂筋の作用によって声帯弁へ質的な変化が生じているのか、あるいは声帯-仮声帯は接触することで声帯振動に影響を及ぼしているのか、あくまでも声帯左右弁と仮声帯左右弁は独立の周波数をそれぞれ産生した上での相互作用なのか、内喉頭がどのような方略を用いてDistortionを産生しているかのパターンは枚挙に暇がない。
より多くの被験者のHSDIによる観測データなどが収集され、Distortionにおける代償方略や互換関係が推測可能となった際に、再現性が高いという意味での「正しいデスボイス」が発見されることになるのではないかと考える。
現状は先述のような、聴覚印象における個々人の感性に依存した判断が成される場合が非常に多く、且つ各研究においても音楽ジャンル的文脈という背景事情の偏りは統制が難しい点になっているように思える。
故に、敢えて、より厳密に「デスボイス」を定めようとするのであれば、それは音楽史における深い視点も同時に確保されることが求められるのではないかと、筆者は考える。
以上、聴覚印象および発声様式の2軸を元にデスボイスの定義に関して再検討を行った。
結論として、「デスボイス」を定義することは現状は困難であり、芸術としての音楽ジャンルの文脈を蔑ろにする可能性を孕んでいると考える。
奇妙な例えだが、線引きをすると「デスボイスではない歌唱方法をするデスメタル」が誕生することが容易に予想される。
5.デスボイスを理解する上での課題
デスボイスに関連する諸事項をまとめ、筆者の経験を踏まえて幾つかの考察を添えてきた。
デスボイスは既に一定のエビデンスが築かれつつあり、歌唱方法としても認知が広まっている状況である。
しかし、デスボイスを理解することは様々な要因が絡み合い難しい状態となっている。
デスボイスとはどのような音声か、どのような歌唱技術か、どのようなエビデンスによって裏打ちされているか、明確に答えられる者を筆者は知らず、また筆者も同様に答えを発見できていない。
ここでは、何故デスボイスを理解することは容易でないのか、理解を阻む要因を「聴取」「運動」「評価」の3層に分けて整理する。簡単にまとめていきたいと考える。
5.1:聴覚的音声分析の困難さ
デスボイスは、どのようなDistortionであってもラフネスが高く、時に非周期性の広帯域ノイズを含む音声パターンを指すことが多い。
これを「音声」として捉える際、警告的なニュアンスを含むとされるラフネス帯域を利用した聴覚印象を呈していることが、「聴覚的分析」に進むにあたって認知的なノイズになっていると考える。
音楽的感性より前段階として、危機的で不快な聴覚刺激として認知されてしまえば、それより先にある分析は非常に負荷が高いものとなろう。
一定デスボイスに慣れた上では、次に感覚量としてのピッチが捉えにくく、且つVirtual pitchでも推定が難しい周波数パターンに聴覚系が晒されることとなる。
繰り返し聴取することで通常歌唱と同様に聴覚的分析は可能であるものと考えるが、未知の音声パターンを学習することは聴者の内的動機を大きく要求するものとなっている可能性は否定できない。
また、学習においてもジャンル特異的なDistortionのパターンが存在しており、近似する周波数のパターンばかりを積み重ねて学習することが難しいのではないかと考える。
これは振動音源の非周期性もそうだが、準同期する結合振動子による音声パターンとその組み合わせにも対応しなければならない、という情報量および新規情報という負荷の高さがあるのではないかと予想する。
加えて、デスボイスは口腔~中咽頭の範囲で音響的な操作を加えるパターンが複数存在しており(Guttural, Pig squeal等)、これらに伴う舌運動の緩慢さから子音の明瞭度および母音間のフォルマント変異の曖昧さが見られることもある。
ラフネスに富んだ音声に加え、構音動作も緩慢となれば歌詞を捉えるにあたって非常に明瞭度を損なった状態で音声を受け取ることとなる。
結果として、Phonemic restorationを作用させることが困難となり、より聴覚的分析のハードルを高めることになると考える。
この点に関して、構音動作がスムーズに保たれているデスボイスでの歌唱はPhonemic restorationにより歌詞の聴取はラフネスに比し容易であろうことも予想される。
この点は、音声障害臨床における粗糙性嗄声と同様の捉え方で差し支えはないだろう。
5.2:発声パターンの使用頻度の低さ
声帯振動の非周期的振動にしても、ほか上喉頭粘膜組織にしても、歌唱や話声において出現/参加することが少ない発声パターンがデスボイスでは積極的に用いられている。
声帯の非周期的振動において、言語的コミュニケーションにおいては周期的な声帯振動が情報伝達上は有利になる場面が多い。
また、通常歌唱においても装飾技法的に用いない限りは同様の傾向がある場面が多いことは、改めて確認を行わずとも一定の賛同は得られる事実であろう。
そうなった際、内喉頭筋は上喉頭粘膜の不要な接触を避け、場合によっては接触せずとも生じる同期的振動をコントロールし、声帯の周期的振動の最適化を目指すため働いていく。
これらはDistortionと真逆とは言えずとも、明らかに別軸を向いて音声実現を図っている運動パターンとなるだろう。
そのように推測していくと、そもそもとしてDistortion自体を発見しなければならないことにも繋がっていくと考えられる。
また、上喉頭粘膜を接触させるパターンのDistortionにおいて、それら粘膜の接触は咳嗽反射を誘発し得るものと考えられる。
基本的に、喉頭蓋-仮声帯-声帯は気道防御における誤嚥防御弁としての役割があり、「気管」となる上喉頭からは侵入物を外部へ喀出するため、咳による異物のクリアランスを図る。
嚥下運動時には内喉頭は狭窄および閉鎖へ強く動くことで気道-食道の分離を実現しているため、誰しも上喉頭粘膜の接触自体は日々行っていることにはなっている。
しかし、Distortion産生時には意図的で連続的な上喉頭粘膜の接触となり、咳嗽反射の閾値に達することや分泌物の貯留を招くことでクリアランスとしての咳嗽反射の発生、上喉頭粘膜の乾燥による「違和感」などといった様々な主観的イレギュラーが生じやすいことが予想される。
デスボイス発声が行えていない場合、あるいはDistortionの中でも用いていない上喉頭粘膜の存在がある場合に、自身で振動動態的に実現から遠い状態且つ実現できても自覚的に確信を得にくいこと、これらはデスボイスの理解においても大きなハードルとなっていると考えられる。
5.3:「正解」が無いこと
既に述べているが、現状デスボイスにおける「正解」は存在していない。
音楽ジャンル的な文脈にも依存してDistortionにおける感性も多様に存在するため、あるジャンルの枠組みでは迎合されても、他のジャンルに移ると忌避される場合が発生する。
そうして、誰しもが「デスボイスか否か」の判定は行えても、「デスボイスの正解」が乱立していることが、デスボイスの理解にあたって問題となってしまう。
この点は決まったアーティストを参考する、あるいは指導者を設けることで解決は図れるが、それらも他者が内在化した音楽ジャンル的な枠組みを借りるまでとなろう。
もちろん、どのようなシーンでもこのような絶対的指標の有無は議論されるテーマではあると予想される。
ただ、デスボイスにおいては乱立する正解の発声パターンは多岐に渡っており、それらも音楽ジャンル同様に変容を遂げていく。
デスボイスもまた同様に変容を遂げている歌唱方法と考えられ、現代においては目まぐるしいトレンドの変化も伴うため、理解を深めるには複雑な様相を呈しているのではないかと考える。
6.まとめ
本記事では、デスボイスに関する知見を、解剖・発声生理・聴覚心理・非線形力学の観点から整理し、筆者の経験に基づく考察を加えることで、俯瞰的に理解するための土台を提示した。
依然として用語・分類・エビデンスは錯綜しており、現時点で結論を一義的に定めることは難しいが、一次情報へアクセスできる形で議論の前提を整えることを本記事の主眼とした。
なお、先行研究の取りこぼし、解釈の偏り、誤読や不正確な記述が含まれる可能性は否定できない。
お気づきの点をご指摘いただければ幸いである。
筆者としては今後も、とくに発声原理と観測可能な指標の整理を中心に検討を継続する。
本記事が、デスボイスへの好奇心を整理し、理解を深めるための一助となれば幸いである。
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