操り人形に、泣いてる暇は無い│車椅子│実話│ノンフィクション│家族│本音
私は今、病気になり車椅子の生活をしている。
健常者の枠からはみ出した私に降り注ぐ視線は、実に様々だ。違う世界のものを見る視線、憐れみの視線、邪魔者を見る視線……。
そして、そんな視線を肌でちくちくと感じる時、私はきまって、小学校の時に出会ったあの子たちのことを思い出すのだ。
それは小学校の頃の出来事だ。
その日は道徳の障害者学習の一環として、特別支援学校に赴き、その学校の子たちと触れ合うという授業内容だった。
学校案内を終え、先生が決めた各チームに別れ、「ふれあい」の名のもと、1時間遊ぶことになった。
私たちは鬼ごっこをすることになり、車椅子の男の子と2人ペアで追いかけっこを始めた。
お互いがタッチしたら役割を交代する……そんなルールのもと、みんなで遊んでいた時のことだ。
一人の車椅子の男の子が、猛スピードで私に近寄り、タッチをした。
車椅子の機動力から逃げ切れなかった私は、悔しさもあり、つい本音を口にした。
「こっちは走って疲れてるのに、座ったまんまなんてずるいよ」
言った瞬間、周りの健常者の子たちは、慌てて取り繕うように全く別の話を始め、私を遠ざけた。
後から「あれは言い過ぎだ」と酷く責められたが、その時の私には意味がわからなかった。
私の感覚としては、ただ新しいお友達と鬼ごっこをしていると思っていたから。
私はその男の子たちに「障害がある」と思って接してはいなかった。
ただ普通に、みんなと一緒に遊んでいる感覚だったのだ。
だが、私のその発言を聞いていた車椅子の子たちの反応は違った。
「羨ましいだろう」と言わんばかりに、車椅子を巧みに操って私の行く先に先回りをして、進路を塞いではタッチを繰り返す。
その顔は、弾けるような笑顔だった。
帰りに私とペアになった子が、こう言った。
「今日はありがとう。
すごく楽しかった。
私たちを普通に見てくれたのが嬉しかった。」
そう言われても、やっぱり当時の私には意味がわからなかった。
だって私にとってその子たちは、普通に喋れて、意思の疎通ができる、普通の子だと思っていたのだから…。
その日の学習を終え、後日、その学校の一部の子から当時遊んだ私たちへお手紙が届いたと先生から報告があった。
私にも届いていた。
そして同時に、その特別支援学校で文化祭があるので是非来てください、との案内も伝えられた。
正直、私は行く気はなかった。だが、異様に張り切った私の母が私の意見を無視し、近所の子たち数人を連れて、半ば強制的に文化祭へと連れて行った。
舞台では、何の変哲もないコミカルな劇が行われていた。
それを終えた後に、ふと周りの客席を見てみると、なぜか保護者でもない部外者の大人たちが涙ぐんでいる。
私には、なぜそこで涙が出るのか、さっぱりわからなかった。
だって、普通の小学校で劇を終えても、笑っている人はいても泣いてる人なんか一人もいなかったからだ。
ただ劇を見ただけで、それもコミカルな劇を見ただけで、なぜ涙を流せるのか?
その人たちの感覚が、未だに全く理解できない。
大人になり、あのチクチクする視線を浴びるたびに、居心地の悪さを感じる。
あの子たちは、あんな子供の頃からずっと、この視線の刃を毎日体験していたのか、と。
外に出ると、誰かの助けが必要な瞬間がある。
その度に「すみません」と、申し訳なさという重りを抱えながら、声をかけなければならない。
謝ってばかりいると、次第に自分の存在そのものが、ただの厄介者に思えてくるから不思議だ。
声をかけると、大抵の人は助けてくれる。
「他に手伝うことはないですか」と優しく問いかけてくる人。
周りをチラチラ見ながら、大声で話しかけオーバーアクションで手を貸してくれる人。
聞こえないふりをして去っていく人……実に様々な人がいる。
「やらない善よりやる偽善」という言葉がある。
だから私は、
「お手伝いしましょうか」
とかけられる声に対して、断る術を持たない。
それがたとえ、全然見当違いであり、ともすれば逆に必要でない行為であったとしても、だ。
私が今ここでこの厚意を無下に拒絶してしまったら…。
この人は傷つき、今後二度と、本当に困っている人に手を差し伸べないのではないだろうか。
そう思ってしまうから、私は「従順な良い障害者」という操り人形を演じて、その厚意を受け入れる。
それが、波風を立てずに生きるために私が日々『選択』していた道だった。
そんな理不尽な視線の中でも、最もドス黒いのは「嫉妬」の視線だ。
思い出すのは、長男が小学校1年生の時のこと。私は足の状態のことで教頭先生に手続きをし、PTAの旗当番に関して正式に免除を受けていた。
ところが、それを快く思わなかった近所のママ友が、ある日、私にメールをよこしてきた。
そこには、こう書かれていた。
『あなたは子供たちを大切に思っていないから旗当番をしないのだろう。
私たちは子供のことを大切に思っているから見守り当番もやっている。
あなたみたいに、旗当番を逃れるために24時間365日、足が悪いふりをして生きているわけではない。
あなたができないのなら、ご主人が会社を遅刻してでもやるべきだ』
そのメールを見て、私は手が震えた。
この人は、一体何を言っているのだろう?
旗当番を逃れるためだけに、24時間365日、好き好んで足の悪いふりをする人間が、一体この世のどこにいるというのか。
そんなに「ずるい」と言うのなら、今すぐあなたの足と、私の足を交換してほしい。
そうしてくれたら、いくらでも、毎日でも、旗当番くらいやってやるのに。
スマホの画面からは、
「お前ばかりずるい、楽をしてずるい」
という、醜い思いが溢れんばかりに伝わってきた。
世の中には、制度を受けている弱者に対して、そんな歪んだ感情を覚える大人がいるのだなと、痛烈に感じた瞬間だった。
小学校の時、私が車椅子の子に放った
「座ったままなんてずるい」
は、対等なお友達としての言葉だった。
なのに、大人の世界の「ずるい」は、どうしてこうも容赦なく、相手を引きずり下ろそうと牙を剥いてくるのだろう。
外に出ればそんな理不尽な視線に晒される毎日だが、我が家に一歩入れば、そこにはそんな「操り人形の糸」を笑い飛ばしてくれるカオスな日常が待っている。
私はよく、病気で激しく痛む足をネタにして
「人魚姫の気持ちがよく分かるわ」
と言う。
すると私の家族は、憐れむどころか
「姫とか厚かましいわ!」
と言ってケラケラと笑い飛ばすのだ。
そんな、ルールも常識もない凸凹な環境で育った次男(大学生)が、先日、大学の授業の一環で重度の障害者と触れ合う機会があった。
そこでは、障害のある子が自分の体の状態をネタにして、冗談を言う場面がよくあったそうだ。
次男は我が家のノリそのままに、そのブラックユーモアに普通にツッコミを入れながら、その子と一緒に笑い合った。
だが、周りの同級生から見ると、次男のその態度が「非常識」に映ったらしい。
後から次男は、『障害のあるあの子はあんなことを言いながらも、心では泣いてるんだよ』と、神妙な顔をした同級生にたしなめられたという
それを聞いた時、私の胸の奥から激しい怒りが突き上げてきた。
本当にその子が心で泣いているかなんて、外側にいるその同級生にわかるはずがない。
その子自身にしかわからないことだ。
だが、せっかく冗談を言って、対等に笑い合おうとしているその瞬間すらも、「かわいそうな記号」として同情の目で見られ、笑いを遮られるのは、はっきり言って当事者にとっては辛いものがあるだろう。
私だってそうだ。
自分の辛い状況を、惨めなまま終わらせたくないから、笑い飛ばしたい。
みんなと冗談を言い合って、笑い合って、そうやって元気になりたい。
そんな思いは、誰にだってあるはずだ。
笑うことで、自分の心も救われる。
そんな必死なサバイバルの瞬間を、舗装された綺麗な道の上から一歩も出ない奴らが、自分の薄っぺらい定規で測って「止める」のだけは、絶対にやめてほしい。
あの日の文化祭で勝手に泣いていた大人たちの顔が、
旗当番をずるいと責め立てたママ友の顔が、
次男をたしなめた同級生の顔が、
今、車椅子に座る私を見て勝手に憐れむ世間の顔と重なる。
あいつらは、安全な場所から「お涙頂戴の感動劇」を消費したいだけだ。
私を、そのための『従順でかわいそうな操り人形』にするな。
目の前の扉は閉まった。
残されたのは、薄暗く曲がりくねった獣道。
呼びかけても相変わらずスマホから目を離さない、生意気で、たくましくて、むちゃくちゃな息子たちの日常。
これが私の「普通」の、地べたの現実だ。
綺麗に舗装された道も、世間の薄っぺらい同情も、おためごかしの涙も、もう要らない。
もう、あいつらが望む道なんて絶対に選ばない。
私は、いつの間にか自分を縛り付けていた「申し訳なさ」という名の操り人形の糸を、今度こそ自分の手でブチブチと叩き切って、ゴミ箱に放り捨てる。
上等だ。
どんな視線に晒されようとも、どんな泥水をすすることになろうとも。
あの日の車椅子の男の子たちが私に見せた、あの弾けるような笑顔のように。
私は私の車椅子のタイヤを力強く回し、この愛すべきカオスな獣道を、思いきり口角を上げて爆走してやる。
勝手に泣いてる暇なんて、私には無いのだから。
ー終わりー
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