ゲイリー・ウィノグランド【未完成の現代写真の巨匠】
ゲイリー・ウィノグランド。ダイアン・アーバスとリー・フリードランダーと並び現代写真を確立した3人である。
ゲイリー・ウィノグランドがメキシコ国境ティファナで1984年56歳の若さで死去した際に2500本の未現像フィルムが残されていたそうだ。
フィルムはリー・フリードランダーにより現像されたそうだが、どのネガをウィノグランドの作品としてプリントするべきか?他人が口出しできるのだろうか?研究者や学芸員?それならまだリー・フリードランダーの方が造詣が深い気がする。
仮に撮影したのが混沌としたティファナの風景であれば彼は何を目指していたか?テーマというかコンセプトというのは彼にしか分からない。
壁の向こうのカトリック国家メキシコ。文化的にはラテンアメリカでありアメリカ合衆国とは人間や社会がまるで違う。そのメキシコ人をアメリカ人の視点で撮影するのか?それは融和的か対立的か?
私の勝手な想像だがウィノグランドのテーマは融和と対立・混沌と調和、そういった対極の概念を1枚の写真に収める事を理想の目標にしたのではないか?
ありのままの矛盾・対極。このシリアスなテーマを時にユーモラスな画像にするのがゲイリー・ウィノグランドの作風だ。アメリカ人らしい。ウィノグランドの写真には日本人の湿っぽさが無いのだ。
Central Park Zoo, New York, 1967 という有名な作品がある。 ストリートフォトの名作で現代写真の教科書に必ず出てくる。内容は黒人男性と白人女性の恋人同士が歩いていてペットのチンパンジーを子供の様に抱えている。この写真1枚を見てポリコレ人権屋さんは「人種差別的だ」というがもう少し作家の全体像で見て欲しい。
一番入手しやすい写真集「ウィノグランド」は彼の生涯をたどる回顧展であるから、逆にテーマが絞れていないのが残念だ。彼は56歳で死去したが、作家全盛期〜晩年まで写真は良い意味で「成熟していない」実に若々しいのだ。むしろスタイルが確立していない若い時の写真の方が成熟したジジ臭い印象さえある。
ウィキペディアによると、アリゾナ大学のウィノグランドコレクションは作品2万点(同数のコンタクトシートが保管)さらに3万500枚のカラースライドと10万枚の写真ネガ、ポラロイド写真と映画フィルムがある〜。
この作品2万点というのがスゴい。ちょっと計算してみたら4LDKの家1軒丸々全てウィノグランドの作品で埋め尽くす感じ。アメリカの大学だからできる事だ。
カメラはライカM4にエルマリート28mmだ。ストロボシューに外付けファインダーを付けちゃんと覗いて撮影するようだ。亡くなる2年前1982年に製作された彼のドキュメンタリー映画があり、舞台は前述のメキシコ・ティファナだ。インタビュアーと立ち話しながらフィルム交換のシーンがあるが肝心の「どれくらいの早業」なのかカットされていて残念だ。ライカのフィルム交換は急いでいる時は本当に面倒臭い。なおショーウィンドウに写る自身の写真からニコンFも愛用していた事が確認されている。
リー・フリードランダーがライカM3で35mmだが、この35mmと28mmは全く違う。35mmは客観視の入り口である。だからか上手く使わないと平凡な写真になりやすい。28mmは撮影者の主観や感情をはるかに入れやすい。ただしウィノグランドは感情を込めずに突き放して撮影しているのが特徴だ。
ウィノグランドは生前に「撮影した全てのカットを見せるべき」という趣旨の発言をしている。写真でそういう事が可能なのか?アリゾナ大学でその材料はストックされている事は確かのようだ。
将来ストックされている2万点の作品をデジタル化してスライドショーの様に再構成すれば彼の写真芸術が浮かび上がるのかもしれない。私が「未完成の巨匠」というタイトルを付けた理由はそこにある。
長文。おつかれさま。
