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『永遠の0』をフランス語で読む。戦争を知らない私が終戦の日に考えたこと。

私は戦争を知らない。

でも、戦争について書かれた本を読んだり、映画を観たりする中で、戦争は悲惨なものだということ、そして戦争は誰も幸せにはしないということは強く感じている。

先日、夫が図書館から「Zéro pour l’éternité(永遠の0)」のフランス語版の漫画を借りてきてくれた。

夢中になって、一気に読み終えた。

読み終わったときには、目頭が熱くなっていた。

今でも世界のどこかで戦争が起きている。

国同士がいがみ合い、関係が良くない状態にある国々もある。

そんな現実を思うと、本当に悲しくなる。

数年前、旅行したとき、戦死した兵士たちのお墓を訪れたことがある。

広大な緑の芝生に、きれいに並んだ白い十字架。

「きれい……」

そう思ってしまった自分に、なんだか申し訳ないような気持ちになった。

でも、その場所に立っていると、ここに眠っている一人ひとりに人生があり、家族がいて、そして多くの人たちが国のために戦ったという現実が、少しずつ胸に迫ってきた。

あのとき感じた、胸が熱くなるような感覚は、今でも覚えている。

日本では、戦争で亡くなった人々を祀る場所の一つとして、靖国神社がよく知られている。

ただ、靖国神社をめぐっては、近隣諸国との関係や、歴史認識、政治的な問題など、さまざまな議論がある。

今年、2026年の終戦の日に、私は夫と靖国神社の話をした。

首相が参拝を見送る方針だというニュースを見て、私は、

「残念だな」

と話した。

すると夫は、

「当たり前だよ!」

という。

「どうして?」

理由を聞くと、靖国神社には第二次世界大戦におけるA級戦犯とされた人々も合祀されていること、そして日本が過去に近隣諸国に対して行ったことを考えれば、近隣諸国が靖国神社への首相参拝に敏感になるのは当然なのではないか、ということだった。

私は、何も言い返せなかった。

恥ずかしながら、私は日本の近現代史について、きちんと勉強してきたわけではない。

戦争で亡くなった人を悼むことと、過去の戦争責任や歴史認識の問題が、どうしてこれほど複雑に絡み合っているのか。

私は、よく分かっていないと思う。

夫に言われて、改めて考えてみた。

もちろん、過去に日本が何をしたのか、その歴史を知ることは大切だと思う。

もし、都合の悪い歴史があったとしても、忘れてはいけない。

そして、相手国のことを知ることも大切だと思う。

そもそも、どうして戦争という決断をしてしまったのか。

そのとき、何が起きていたのか。

日本だけではなく、相手国の立場や当時の状況も含めて、事実を知ることが必要なのではないだろうか。

事実を知り、二度と同じことを繰り返さないために、歴史を学ぶことには意味があると思う。

一方で、戦後、日本が近隣諸国との関係の中で貢献や保障してきたことについても、私はきちんと知りたいと思った。

戦後81年、これから100年、150年と時間が流れていく中で、過去の戦争について、私たちはどう記憶し、どう向き合っていくのか。

「謝罪し続けるべきなのか」

「いつまで償い続けるのか」

「過去を忘れないことと、未来に向かって進むことは両立できないのか」

私には、まだ答えが分からない。

ただ、今回夫と話をして、私は「知らない」ということを恥ずかしいと思った。

戦争を知らない世代だからこそ、歴史を知る必要があるのかもしれない。

そして、誰かを責めるためではなく、今を生きる私たちが、これからどうすれば戦争を繰り返さずに済むのかを考えるために、過去を知ることが大切なのだと思う。

2026年、終戦から81回目の夏。

戦争を知らない私が、今年の終戦の日に考えたこと。

まずは、知らないことを「知らないまま」にしないことから始めてみようと思う。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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