ゾーニングは必要だ。でも“不快だから”では足りない──性的広告と空気の話
「ゾーニング広告」という言葉を、最近よく目にする。
私自身、ゾーニングは必要だと思っている。
HPやYouTubeで、意図せずエロい広告が表示されるのは明確にアウトだ。
ただ、今回の『月曜日のたわわ』の広告は、そこまで叩かれるものだったのだろうか。
ゾーニング広告とは、主に性的な内容を含む広告を、子どもや不特定多数の人が閲覧する非性的なサイトやアプリに表示させないよう、表示場所を区分け(すみ分け)する考え方である
(GoogleのAIによる説明)。
今回話題になったのは、漫画『月曜日のたわわ』が日経新聞に単行本の発売広告を掲載した件だ。
胸の大きな制服姿の女性が描かれた広告は、新聞に載せるのはふさわしくない、という批判がSNSで相次いだ。
……正直、え? どうでもよくね?と思った。
実際に声を上げて強く批判している人は、そこまで多くないだろう。
それでも、なぜこの程度の表現で怒りが生まれるのだろうか。
もしこれが、露骨なポルノ広告であれば、新聞に載せるのはおかしいと思う。
HPやYouTubeで、意図せずエロい広告が表示されるのもアウトだ。
一方で、エロサイトでエロい広告が表示されることには、何の違和感もない。
では、『月曜日のたわわ』の広告は、なぜ問題にされるのか。
ここではその理由を考えてみたい。
結論:空気を壊したから
結論から言うと、この広告が批判された理由は「空気を壊したから」だ。
そもそも空気とは何だろうか。
人間は、状況に応じて複数の顔を使い分けて生きている。
真面目に仕事をするときの顔
酒の場で友人と話すときの顔
一人で趣味に没頭する顔
クラブでいちゃつくときの顔
そして、その顔を切り替えるスイッチのようなものが「空気」だ。
たとえば、朝の満員電車で女性のお尻に手が当たれば完全にアウトだ。
一方で、クラブでワイワイしている最中に偶然手が触れても、気にも留めないことはあるだろう。
何が違うのか。
それが空気である。
この広告を批判する人たちは、性的な要素によって、
日常空間が「電車」から「クラブ」へと変わってしまうことを恐れているのだ。
空気は一つの要素で決まらない
厄介なのは、空気というものが非常に曖昧だという点だ。
クラブの雰囲気一つとっても、
暗いから
音楽が大きいから
酒が入っているから
立っている人が多いから
こうした要素が複雑に絡み合って成立している。
もし明るかったら?
もし静かだったら?
もし酔っていなかったら?
もし全員が席に座るシステムだったら?
空気は多様な要素の集合体であり、「これが原因だ」と明確に断言することはできない。
🏨 と 🏩
この二つも、色やデザインが違うだけで、受け取られる意味は大きく変わる。
つまり、性的な広告は「空気を変える要素」として非常に分かりやすい。
だからこそ、批判の的になりやすいのだ。
「不快」という言葉について
「不快だった」という言葉は便利だ。
それを使えば、自分が何を守りたいのか、何を壊したくないのかを説明せずに済む。
だが、感情は議論の出発点にはなっても、結論になってはいけない。
公共空間から何かを排除したいのであれば、その理由を社会の言葉で説明する責任がある。
「なんとなく嫌だった」「気持ち悪かった」だけでは、
どこまでが許され、どこからが禁止されるのかを、誰も判断できない。
じゃあ、どうすればいいのか
私はゾーニングそのものには賛成だ。
HPやYouTubeで、意図せずエロい広告が表示されるのは明確に問題だと思う。
ただ、『月曜日のたわわ』の広告については、個人的には特に不快には感じなかった。
一方で、不快に感じた人がいること自体は否定しない。
だからこそ、否定する側には説明をしてほしい。
新聞にこのような広告を載せることで、
社会の空気がどのように変化すると考えているのか。
ただ不快だったから、ではなく、
その不快感がどこから来るのか、
それが社会にどんな影響を与えるのかを言語化してほしい。
そして擁護する側も、その声をきちんと受け止める。
お互いのためにも。
