何をすれば、もっとフロアを動かせるんだろう? ~使える技術は増えているはずなのに~
DJの手段を「選曲・つなぎ・あおり」に整理する、意図目的と方法の樹形図
どこの世界にも、一流と三流と呼ばれる人がいる。
その違いは何かと聞かれれば、本当にたくさんの要素を挙げられると思う。
知識の量。技術の高さ。判断の速さ。観察力。経験量。対応力。再現性。失敗したときの修正力。
DJについて考えてみても、同じである。
選曲、曲順、BPM、ミックス、EQ、エフェクト、ループ、カット、マイク、手の動き、表情、視線。
細かく見ていけば、いくらでも要素は増えていく。
私はDJをしたことがなく、機材操作やミックス技術について専門的に説明できる立場ではない。
それでも、延べ1000回以上クラブへ通い、フロア側から多くのDJを見ていると、次のように感じることがある。
技術やテクニックを数多く知っていることと、それらを使って良い時間を作れることは、同じではないのではないか。
むしろ、知っている技術を使うこと自体が目的になった瞬間、客側では違和感が生まれることがある。
私は普段から、何事もできる限り言語化したくなる。
なぜ、この人はうまくできるのか。
なぜ、同じ知識や技術を持っているように見えても、結果には大きな差が出るのか。
そう考えていく中で、一つの大きな違いとして見えてきたのが、目的と手段が抽象度ごとに整理されているかどうかだった。
そしてこれはDJだけの話ではない。人生の全てに当てはまる。
「目標達成力」「意図実現力」「『●●したい、●●が欲しい、●●になりたい』を実現する力」。この差を生む要素である。一流と三流に分ける致命的に重要な要素である。
目的の下には手段がある
目的の下には、その目的を実現するための手段がある。
そして、その手段をさらに下の階層から見れば、今度はそれ自体が目的になる。
その目的を実現するために、さらに細かな手段が下へつながる。
たとえば、
「フロアに一体感を生みたい」
という目的がある。
そのための手段として、選曲、つなぎ、あおりがある。
さらに、
「あおりによって、客が参加しやすい状態を作りたい」
という目的が生まれれば、その下には、
マイクで言葉を入れる
手を上げる動作を見せる
拍に合わせて声を入れる
客へ視線を送る
身体を大きく動かす
といった具体的な手段が続く。
上位から見れば手段だったものが、下位から見れば目的へ変わる。
目的と手段は、一度分けて終わるものではない。
何階層にもわたって、上下へ続いている。
図版1|目的と手段は、上下へ連続している
第1階層|最上位の目的
「どのような状態を実現したいか」
│
├─第2階層|そのための手段A
│ │
│ ├─第3階層|手段Aを実現する方法1
│ │ ├─第4階層|上記を実現する方法1
│ │ ├─第4階層|上記を実現する方法2
│ │ ├─第4階層|上記を実現する方法3
│ ├─第3階層|手段Aを実現する方法2
│ └─第3階層|手段Aを実現する方法3
│
├─第2階層|そのための手段B
│ │
│ ├─第3階層|手段Bを実現する方法1
│ ├─第3階層|手段Bを実現する方法2
│ └─第3階層|手段Bを実現する方法3
│
└─第2階層|そのための手段C
│
├─第3階層|手段Cを実現する方法1
├─第3階層|手段Cを実現する方法2
└─第3階層|手段Cを実現する方法3
上位から見れば「手段」。
下位から見れば「目的」。
「何のために?」を繰り返す
私は、仕事でも日常でも、何かを見ると、
「それは、何のために行うのか」
と考える癖がある。
最初は、技術、方法、知識、考え方が、離散的にバラバラと存在している。
しかし、それぞれに対して「何のために?」と問い続けると、ある要素と別の要素が、同じ目的の下へまとまり始める。
第n階層と、第n-1階層が分かれる。
さらに問い続けると、その上にも目的が見つかる。
その作業を繰り返していけば、やがて最上位に第1階層が生まれ、これまでバラバラに見えていたすべての要素が、第1、第2、第3、第4、第5階層という一つの樹形図になる。
この状態になると、全体が見える。
どの技術が、どの目的を実現するために存在するのか。
ある意図を実現するために、どの枝へ降りればよいのか。
どの手段が今は必要なく、何を使わないほうがよいのか。
それが見えるようになる。
「この状態を作りたい」
「それなら、この手段を使えばよい」
「逆に、この手段は使わないほうがいい」
ということが、意図が生まれた瞬間に、分かる。
そして、その意図を実現するために必要な手段を、必要な順番と強さで、できるだけ正確に実行できる。
私は、この意図実現力の差が、最終的な実力の差として現れるのではないかと考えている。
図版2|整理されていない状態と、樹形図化されている状態
整理されていない状態
技術A 技術B 方法C
テクニックD 方法E
知識F 技術G 方法H
すべてが同じ高さに見える
何のために使うかが曖昧
知っているから使う
使うこと自体が目的になる
「何のために?」を繰り返す
↓
樹形図化されている状態
実現したい目的
│
├─必要な手段A
│ ├─技術A-1
│ ├─技術A-2
│ └─技術A-3
├─必要な手段B
│ ├─技術B-1
│ └─技術B-2
└─必要な手段C
├─技術C-1
└─技術C-2
意図から必要な手段を選べる
必要のない技術は使わない
状況に応じて別の枝へ移れる
結果を見て使用手段を修正できる
意図実現力が、結果の大きな差を生む
分かりやすくするために、音楽とは別の年収という数字を例にしてみる。
もちろん、年収は業界、環境、機会、資本、運など、多くの条件に左右される。
目的と手段の整理だけで決まるものではない。
ただ、それでも、
「何を実現したいのか」
「そのために何をすればよいのか」
という意図が生まれた瞬間に、分かる人と、分からない人の差は大きい。
さらに、その手段を実行し、結果を確認し、ズレがあれば適切な階層へ戻って修正できるかどうか。
この差の積み重ねが、結果として年収400万円、600万円、1000万円、1500万円、3000万円、5000万円、1億円、10億円、100億円というような、非常に大きな違いの一因になるのかもしれない。
重要なのは、年収の金額自体ではない。年収はあくまでわかりやすくするための一例に過ぎない。
意図が生まれたあと、目的と手段の樹形図をどこまで正確に降り、現実の行動へ変換できるか。
その力が、分野を問わず卓越性の一つを作っているのではないかということだ。
DJがブース内でできることを三つに分ける
では、DJがブースの中からフロアへ働きかけるために、本質的にできることは何なのだろう。
現時点で私は、それを大きく三つに整理できるのではないかと考えている。
選曲
つなぎ
あおり
一つ目は、選曲。
何を鳴らすのか。
どの曲を、いつ、どの順番で鳴らすのか。
どのようなエモーション、エネルギー、身体感覚を持つ曲を、現在のフロアへ差し出すのか。
二つ目は、つなぎ。
現在の曲から次の曲へ、客の体験をどのように移すのか。
単に二つの曲を技術的に混ぜることだけではない。
身体の動き、感情、集中、時間の流れを、次の状態へどう運ぶのかという意味での「つなぎ」である。
三つ目は、あおり。
マイク、手、表情、視線、身体の動きなどを使い、DJ本人がフロアへ直接働きかけること。
このように考えると、DJがブース内で行う細かな判断や技術は、基本的にはこの三つのどこかに属するか、複数にまたがっているように見える。
ただし、ここで重要なのは、この三つが最上位ではないということだ。
選曲、つなぎ、あおりは、すべて手段である。
その上には、
「フロアに何を起こしたいのか」
という意図目的がある。
図版3|DJにおける目的と手段の樹形図
■第1階層
実現したいフロア体験
「客側に、どのような状態を生みたいのか」
│
│ ・安心して身体を預けられる
│ ・自然に踊り続けられる
│ ・期待が高まる
│ ・一体感が生まれる
│ ・知らない曲やジャンルへ入っていける
│ ・その場に長くいたくなる
│
├─■第2階層|選曲
│ 「何を鳴らすことによって実現するか」
│ │
│ ├─■第3階層|曲の機能
│ │ ├─導入
│ │ ├─展開
│ │ ├─接続
│ │ ├─回復
│ │ └─頂点
│ │
│ ├─■第3階層|曲のエモーション
│ │ ├─爽やか
│ │ ├─暗い
│ │ ├─涼しい
│ │ ├─弾む
│ │ ├─疾走感
│ │ └─焦燥感
│ │
│ └─■第3階層|選ぶ条件
│ ├─客層
│ ├─現在のフロア状態
│ ├─前後の曲
│ └─時間帯
│
├─■第2階層|つなぎ
│ 「現在の体験を、どう次へ運ぶか」
│ │
│ ├─身体の流れ
│ ├─リズム
│ ├─感情
│ ├─集中
│ ├─音圧
│ ├─予兆
│ └─切断
│
└─■第2階層|あおり
「DJ本人が、どの反応を直接後押しするか」
│
├─■第3階層|対象
│ ├─クラブに慣れていない客
│ ├─音楽に慣れている客
│ ├─フロア全体
│ └─一部の客
│
├─■第3階層|生みたい効果
│ ├─参加方法を示す
│ ├─反応のハードルを下げる
│ ├─期待を高める
│ ├─一体感を後押しする
│ └─注意を集中させる
│
└─■第3階層|具体的手段
├─マイク
├─言葉
├─手
├─表情
├─視線
├─身体の動き
└─何もしない
「何もしない」も、一つの選択である。
目的に照らして不要な手段を使わないことは、技術がない状態ではない。
今は音楽だけで十分に届いている。
今は言葉を差し込まないほうがよい。
今は客の自発的な反応を待つほうがよい。
そのように判断して、あえて何もしないことも、意図を実現するための手段になり得る。
意図目的と手段方法
意図目的とは、何を実現したいのかということである。
安心して身体を預けられる時間を作りたい
少しずつ期待を高めたい
知らない曲でも入っていける状態を作りたい
現在の爽やかな空気から、少し暗い世界へ連れていきたい
フロアに生まれかけている一体感を、最後の一歩だけ後押ししたい
疲れている客へ、呼吸できる余白を与えたい
これらが、意図目的に当たる。
手段方法とは、そのために何をするかである。
どの曲を選ぶか
どのタイミングで曲を変えるか
どのようにつなぐか
マイクを使うか
手を上げるよう促すか
何もせず、音楽へ任せるか
卓越している人は、おそらくこの順番が整理されている。
何を生みたいのか。
今のフロアはどのような状態なのか。
その状態から目的へ近づけるには、何が必要なのか。
そのために、選曲、つなぎ、あおりのどれを使うのか。
必要がなければ、何を使わないのか。
反対に、この樹形図が整理されていないと、手段を使うこと自体が目的へ変わってしまう。
この曲をかけたい
このミックスを見せたい
ここでエフェクトを使いたい
このあおり文句を言いたい
客に手を上げさせたい
本来は目的を実現するために使うはずだった方法が、それを実施すること自体で完結してしまう。
客側から見ると、この違いはかなり大きいように感じる。
「調子がいい奴、手ぇ上げろー」は悪いあおりなのか
たとえば、四つ打ちの拍へぴったり合わせて、
「調子がいい奴、手ぇ上げろー!」
と入れるようなあおりがある。
私は、この種のあおりを、場所やタイミングによっては本当に寒いと感じる。
正直に言えば、
「マジで寒い」
「正味、ウザい」
と感じることもある。というか、ほぼほぼいつもそう感じる。
ただし、それは個人的な好みの問題であって、このあおり自体が、どの場所でも無条件に悪いとは思っていない。
このあおりには、明確な機能があるからだ。
客が次に何をすればよいか分かる
音楽への参加方法が明確になる
反応するための心理的なハードルが下がる
初対面同士でも、同じ行動を取りやすくなる
短時間で分かりやすい一体感を作りやすい
DJと客の間に、単純で理解しやすい応答関係が生まれる
クラブに慣れていない人でも、その場へ参加しやすくなる
つまり、曲を知らない客でも、
「ここから何か来る」
「今、手を上げればいい」
「ここで声を出せばいい」
と理解できる。
その直後にドロップが来れば、知らない曲であっても、周囲と一緒に「ウェイウェイ」と参加できる。
これは、クラブに慣れていない客をフロアへ乗せるための、一つの方法として機能するのではないか。
たとえば、クラブデビューに近い若い客が多く、
どう踊ればよいか分からない
どこで反応すればよいか分からない
音楽を深く聴くことより、皆で盛り上がりたい
分かりやすい参加のきっかけを求めている
という場であれば、むしろ望ましいだろう。
分かりやすさが価値になるからだ。
同じあおりが、なぜ寒くなるのか
一方で、音楽やクラブに慣れている客が多いフロアでは、同じあおりが陳腐で寒く感じられる可能性がある。
なぜなら、慣れている客は、どこで身体を動かしたいか、どこで手を上げたいかを、自分で感じ取れるからだ。
すでに音楽へ入り、自然に感情が高まっているところへ、
「ここで手を上げて」
と差し込まれる。
映画を見て、今まさに泣きそうになっているときに、
「ここ、泣くところですよ」
と言われるようなものである。
お笑いのオチが来る直前に、
「今からツッコむので、ここで笑ってね」
と説明されるようなものでもある。
自分の感覚で音楽へ入っていたところへ、反応の仕方を外から指定される。
その瞬間、音楽の中にいた意識が、音楽の外へ引き戻される。
少なくとも私は、それをかなり鬱陶しく感じることがある。
また、まだフロア側に高揚が十分に生まれていないタイミングで、
「手を上げろ」
「声を出せ」
と要求されても、
「いや、まだそこまで上がっていないけど」
「上がってほしければ、もう少しうまく回してよ」
と感じる。
厳しい言い方をすれば、この時点でのあおりは、フロアへの後押しではなく、指図や要求に近い。
音楽によって手を上げたくなる状態を作ったうえで、最後の一歩を後押しするのではない。
まだその状態になっていない客へ、
「ここで手を上げろ」
「ここで声を出せ」
「ここで盛り上がれ」
と、反応だけを要求している。
客側からすると、
「その感情は、まだこちらに生まれていない」
という状態である。
それでも反応を求められると、自発的に音楽へ参加しているのではなく、DJやMCの指示へ従わされているように感じることがある。
映画を見て泣きそうになっているときに、
「ここ、泣くところですよ」
と言われる。
お笑いのオチが来る直前に、
「今からツッコむので、ここで笑ってね」
と説明される。
音楽を感じる余地へ、反応の正解を差し込まれる。
正味、ウザい。
少なくとも、音楽を自分の感覚で受け取りたい客にとっては、その説明や要求が没入を壊す可能性がある。
ましてや、その先にドロップが来るわけでもない。
緊張が解放されるわけでもない。
客の反応を受け止める音楽的な変化も用意されていない。
そのような場所で同じあおりを使えば、客は手を上げたあと、どこへ気持ちを持っていけばよいのか分からなくなる。
あおりによって期待だけを作り、その期待を音楽が回収しない。
これはフロアの信頼を著しく失う最大の要素ではないか。
問題は、あおりの言葉そのものではない
私は以前、このようなあおりを聞いたとき、
「語彙力がなさすぎる」
「同じことしか言えないのか」
と感じていた。
その感覚自体は今もある。
しかし、もう一段深く考えると、本質的な問題は、言葉の種類が少ないことだけではないのかもしれない。
仮にあおり文句を百種類覚えても、
誰に向けて使うのか
今のフロアはどのような状態なのか
このあと音楽的に何が起きるのか
どのような反応を生みたいのか
その反応を本当に生む必要があるのか
を見ずに使えば、同じことが起きる。
問題は、
「あおりのレパートリーが少ないこと」
より、
「意図目的に応じて使い分ける構造がないこと」
ではないか。
クラブに慣れていない人へ、ドロップへ参加する分かりやすいきっかけを渡したい。
そのために「手を上げろ」というあおりを使う。
これは、意図と手段がつながっている。
反対に、客層、空気、曲の展開、現在の感情を見ず、どこでも同じ文句を同じ拍で入れる。
これは、あおること自体が目的へ変わっているように見える。
まるで、
「MCとしてそこにいる以上、何も喋らないわけにはいかない」
「とりあえず何か言って、盛り上げている感じを出しておこう」
とでもいうように、あおる必要性ではなく、MCとして何かをしていることを示すためにあおっているように見えることがある。
もちろん、実際に本人がそう考えていたかどうかは分からない。
外から確認できるのは、同じような言葉が、客層、曲の展開、フロアの温度、ドロップの有無にかかわらず繰り返されていた、ということだけである。
ただ、客側から見ると、目的に応じて手段を選んでいるのではなく、持っている手段をとりあえず実行しているように感じられる。
そのとき、あおりはフロアを動かす方法ではなく、あおることそのものを成立させるための行為へ変わってしまう。
使えることと、使うことは違う
技術やテクニックを多く知っていることは、もちろん強みだと思う。
選択肢が増えるからだ。
しかし、選択肢を持っていることと、すべてを使うことは違う。
本当に上手い人ほど、
「できるから使う」
ではなく、
「今、必要だから使う」
と判断しているのではないか。
さらに言えば、
「今は必要ないから、使わない」
という判断まで含めて、技術なのではないか。
良い曲を知っていても、今ではないならかけない。
滑らかにつなげられても、明確に切ったほうがよいなら切る。
マイクを使えても、音楽だけで十分に届いているなら黙る。
卓越性の違いは、技術やテクニックをどれだけ知っているかだけではなく、何を実現するために、どれを使い、どれを使わないかが整理されていることに現れるのではないか。
選曲・つなぎ・あおりは、目的ではない
DJがブースの中から使える手段は、大きく分けると、
選曲
つなぎ
あおり
の三つに整理できるのではないか。
しかし、この三つは目的ではない。
その上には常に、
「何を生みたいのか」
がある。
どのような身体感覚を生みたいのか。
どのような感情へ連れていきたいのか。
どのような一体感を作りたいのか。
どのような客に、どのような参加方法を渡したいのか。
今は動かすべきなのか。
それとも、音楽へ静かに入っていける余白を守るべきなのか。
この意図目的があって初めて、選曲、つなぎ、あおりという手段が選ばれる。
だから、今回提示したい樹形図は、単なるDJ技術の分類ではない。
何を実現したいのか。
そのために、選曲、つなぎ、あおりの何を使うのか。
さらに、その中からどの技術を選ぶのか。
DJが持つ無数の技術やテクニックを、「何のために使うのか」という上位の目的へつなぎ直すための地図である。
DJが実現したいフロアの状態
├─選曲
│ └─目的に必要な曲、曲順、タイミング、エモーションを選ぶ
├─つなぎ
│ └─目的に必要な形で、身体、感情、集中を次へ運ぶ
└─あおり
└─目的に必要な場合だけ、客の注意、感情、行動を直接後押しする
そして、その下に無数の技術や方法がぶら下がる。
技術を知っていることが実力ではない。
意図に合わせて、使う技術と使わない技術を選べることが実力である。
意図が先。
手段は後。
手段が目的へ変わっていないか。
今使おうとしている技術は、何を生むためのものなのか。
その効果は、この客、この場所、この曲、このタイミングに本当に必要なのか。
DJ経験のない客側から見た、現時点での仮説である。
ただ、この地図を持ってフロアを見ると、「上手い」「下手」「盛り上がった」「寒かった」という感想の奥にある違いを、これまでより具体的に考えられる気がしている。
次回は、この三つが機能しなかったように感じた、最近の本当に厳しい時間について考えてみたい。
一度の出演だけで、そのDJの能力全体を決めるつもりはない。
それでも、客として何が起き、何を感じ、選曲、つなぎ、あおりのどこに違和感があったのか。
否定的な体験から、逆に何が必要なのかを浮かび上がらせたい。
この記事について
「DJ・クラブ・フロアらぼらとりー」では、DJ技術の専門家ではなく、延べ1000回以上クラブへ通ってきた一人の客として、フロアで起きる違いを観察し、言葉にしています。
ここで書いていることは、現時点での観察と仮説です。
今回の三分類に当てはまらない働きかけや、DJ側から見た別の整理があれば、ぜひ教えてください。
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