ちゃんとつないでいるのに、なんで皆の身体が止まるんだろう? ~曲と曲は途切れていないはずなのに~
上手なDJは曲ではなく、客の「踊り」を次へつなぐという仮説
前回の記事では、選曲について考えた。
曲を選ぶことは、単に音源を選ぶことではない。
爽やかさ、暗さ、弾み、涼しさ、疾走感、焦燥感、解放感。
次にどのようなエモーションをフロアへ差し出すのかを選ぶことでもあるのではないか。
では、現在の曲が持つエモーションから、次の曲が持つエモーションへ、客はどのように移っていくのだろう。
そこで重要になるのが、今回取り上げる「つなぎ」である。
つなぎという言葉から、多くの人が最初に思い浮かべるのは、A曲からB曲へ音を途切れさせずに移すことだと思う。
曲が止まらない。
拍が合っている。
前の曲が終わり、次の曲が始まる。
しかし、客としてフロアに立っていると、それだけでは説明できない違いがある。
音は途切れていない。
曲と曲も、何らかの方法で接続されている。
それなのに、曲が変わった瞬間、身体が止まる。
次にどう踊ればよいのか分からなくなる。
前の曲まで感じていた高揚や集中が消え、もう一度、音へ入り直さなければならなくなる。
反対に、曲調やジャンルが変わっているにもかかわらず、身体が止まらないこともある。
気づけば、別のリズム、別のエモーション、別の世界へ入っている。
その間に、
「どう踊り直せばよいのだろう」
と考えた記憶すらない。
この違いは何なのだろう。
現時点で私は、次のように考えている。
つなぎとは、A曲とB曲を接続することだけではない。
前の曲で生まれた客の身体、感情、集中、期待を、次の曲へ運ぶことなのではないか。
上手なDJは、客の踊りをつなぐ
上手なDJと、まだ改善の余地があるDJ。
その違いを客側の身体から見ると、非常に大きいと感じることがある。
上手なDJの時間では、曲が変わっても、身体が止まりにくい。
次にどう動けばよいのかを、頭で考えなくてよい。
前の曲で使っていた身体の動き、重心、弾み、感情、集中のうち、何かが次の曲へ残っている。
少しずつ新しい要素が入ってくる。
気づけば身体の基準が変わっている。
しかし、その移動中に迷いが生まれない。
大きな変化が起きる場合には、その前に予兆がある。
音色が少しずつ変わる。
リズムの一部が抜かれる。
次の世界を感じさせる要素が先に入る。
ブレイクや余白によって、それまでの踊り方を一度解除できる。
そのため客側も、
「これから何かが変わる」
と、身体を準備できる。
変化したあとには、新しい身体の基準が分かる。
次は、こう動けばよい。
このリズムへ乗ればよい。
この感情へ入ればよい。
それが、言葉で説明されなくても身体で分かる。
上手なDJは、変化をなくすのではない。
変化しても、客の身体が途切れないようにつなぐ。
そのように感じる。
極端に書けば、こういうことである
上手なDJの時間では、曲が変わっても、客が使っている踊り方の基準が大きく壊れない。
極端に単純化して書くと、次のようになる。
上手なDJ
曲A:踊り方X
↓
曲B:踊り方X
↓
曲C:踊り方X
↓
曲D:踊り方X
↓
曲E:踊り方X
↓
曲F:踊り方X
もちろん、実際には六曲すべてで完全に同じ踊り方をしているわけではない。
身体の弾み方、重心、強さ、感情は、少しずつ変化している。
それでも、客側には共通する身体の基準が残っている。
Xの中に少しずつ新しい要素が入り、気づけば別の踊り方へ移っている。
そのため、曲が変わるたびに身体を止め、踊り方を一から探し直す必要がない。
一方で、踊りにくい時間を極端に書くと、次のようになる。
まだ上手くつながっていないDJ
曲A:踊り方X
↓
曲B:踊り方Y
↓
曲C:踊り方Z
↓
曲D:踊り方P
↓
曲E:踊り方Q
↓
曲F:踊り方R
曲が変わるたびに、客が使うべき身体の基準まで変わる。
Xに慣れたと思えば、次はY。
Yに合わせ直したと思えば、次はZ。
そのたびに客は、
「今度は、どう動けばよいのだろう」
と考えなければならない。
変化の一つひとつが悪いわけではない。
問題は、前の踊り方から次の踊り方へ移るための橋や予兆がなく、毎回、別の基準を突然渡されることである。
上手なDJは、曲が変わっても踊りを継続させる。
踊りにくいDJは、曲が変わるたびに踊りを再起動させる。
極端に書けば、こういう違いなのではないか。
下手なつなぎは、曲が変わるたびに踊り方を再設定させる
一方で、踊りにくい時間では、曲が変わるたびに身体の基準がリセットされる。
A曲では、このリズム、この重心、この弾み方で踊っていた。
ところがB曲へ変わると、それまでの身体の使い方が突然通用しなくなる。
前の曲で感じていたエモーションも引き継がれない。
高まっていた期待も、次の曲に受け止められない。
客はそのたびに、
「次は、どう動けばよいのだろう」
と考えなければならない。
身体を音へ預けていた状態から、踊り方を頭で探す状態へ戻される。
一度だけなら、意外性として楽しめるかもしれない。
大きな落差が、新鮮な刺激や解放として機能する場合もある。
しかし、それが何曲ごとにも繰り返されれば、没入できない。
ようやく新しい曲へ身体がなじみ始める。
すると、また別の基準へ変わる。
さらに慣れ始めたところで、また変わる。
踊っているのではなく、変化へ対応し続ける時間になる。
以前の記事で、5分、10分ごとに身体の基準が変わる時間を「フロアの不整脈」と表現した。
今回のつなぎという観点から見ると、その不整脈は、
曲が変わるたびに、客へ踊り方の再設定を求めている状態
とも言えるのかもしれない。
音源はつながっている。客の体験はつながっていない
私はDJ経験がないため、機材の操作やミックスの技術について専門的に評価することはできない。
ビートがどの程度正確に合っていたのか。
EQがどのように操作されていたのか。
どの技術が使われていたのか。
それを専門家として説明する立場ではない。
ただ、客側の身体に何が起きたかは分かる。
音は切れていなかった。
A曲からB曲へも、何らかの方法で移っていた。
しかし、前の曲で生まれていた私の身体の動き、感情、集中は、次の曲へ運ばれていなかった。
つまり、
音源はつながっている。客の体験はつながっていない。
ということがある。
つなぎの目的を、
「A曲の再生を終え、B曲の再生を始めること」
だけだと考えれば、確かにつながっている。
しかし客側から見れば、つなぐ対象は曲だけではない。
身体の動き
重心
弾み方
感情
集中
期待
緊張
解放へ向かう予感
その時間に対する信頼
これらが次へ運ばれて初めて、
「つながっている」
と感じられるのではないか。
上手なDJは、A曲とB曲の間だけを見ていない。
A曲で生まれた客の状態を、B曲で生まれる次の状態へ運んでいるように感じる。
反対に踊りにくい時間では、本当にA曲とB曲をつないでいるだけに見える。
その間にいる客の身体や感情については、何も扱われていないように感じることがある。
つなぎには、いくつもの対象がある
前々回の記事では、DJがブース内で使える大きな手段を、
選曲
つなぎ
あおり
の三つに整理した。
そして、その三つはすべて、
「フロアへどのような状態を生みたいのか」
という上位の目的を実現するための手段であると考えた。
今回、つなぎをさらに分けると、現時点では次のような樹形図になる。
図版|つなぎに含まれる要素の樹形図
実現したいフロア体験
│
└─つなぎ
│
├─音の接続
│ ├─曲を途切れさせない
│ ├─拍やリズムを連続させる
│ ├─音量差を調整する
│ └─音色や帯域の変化を調整する
│
├─身体の接続
│ ├─動き方を引き継ぐ
│ ├─重心を移す
│ ├─弾み方を変える
│ └─次の動き方を準備させる
│
├─感情の接続
│ ├─現在の感情を維持する
│ ├─少しずつ別の感情へ移す
│ ├─緊張を積み上げる
│ └─解放へ運ぶ
│
├─集中の接続
│ ├─没入を切らない
│ ├─変化へ注意を向ける
│ ├─次の曲への期待を作る
│ └─意識を音楽の外へ戻さない
│
└─変化の伝達
├─予兆を作る
├─余白を置く
├─ブレイクを使う
├─共通する要素を残す
└─あえて落差を作る
もちろん、この分類が唯一の正解だとは思っていない。
また、音の接続に関する項目は、音響やDJ技術の専門家から見れば、さらに細かく分かれるはずである。
ここで整理したいのは、技術の種類ではない。
客側では、何がつながったときに、踊り続けられるのか。
その違いである。
変化には「橋」が必要なのではないか
前回の記事では、曲にはそれぞれ異なるエモーションがあり、選曲とは次にフロアへ差し出す感情を選ぶことでもあるのではないかと考えた。
では、爽やかな曲から、暗い曲へ移る。
弾む曲から、疾走感のある曲へ移る。
緊張から、解放へ移る。
その二つのエモーションの間を、どのように越えるのか。
私は、変化の間には何らかの「橋」が必要なのではないかと考えている。
例えば、
エモーションの一部が共通している
身体の弾み方が共通している
キックやリズムの基準が残っている
前の曲の音色が、次の世界を予告している
少しずつ新しい要素が加わっている
ブレイクによって、それまでの踊り方を一度解除できる
変化を受け取るための余白がある
次の曲で何を基準に踊ればよいかが分かる
このようなものが、身体や感情を次へ運ぶ橋になるのかもしれない。
すべてを同じままにする必要はない。
何か一つでも次へ残っていれば、客はそこを足場にできる。
身体の動きは変わっても、感情が続いている。
感情は変わっても、リズムの基準が残っている。
リズムが変わっても、次の変化を予告する音があった。
前の世界が完全に消える前に、次の世界へ手をかけられる。
その状態であれば、曲が大きく変わっても、客は自然についていける可能性がある。
上手なDJは、変化の前に予兆を作る
上手なDJの時間では、大きく流れが変わったあとに、
「そういえば、少し前からこの方向へ向かっていた」
と気づくことがある。
変化した瞬間には驚きがある。
しかし、唐突ではない。
その前から、何かが少しずつ変わっていた。
新しい音色が入っていた。
前の曲の中に、次の世界と共通する要素があった。
エネルギーが少しずつ移動していた。
感情の色が、急に塗り替えられるのではなく、少しずつ混ざっていた。
そのため、客側の身体も、知らないうちに次の基準へ向かっている。
変化したときには、すでに身体の一部が準備できている。
これが、予兆なのではないか。
予兆があると、客は変化を拒否する必要がない。
身体が驚いて止まるのではなく、
「やはり、こちらへ来たか」
と新しい流れを受け取れる。
反対に、予兆がない変化では、それまで使っていた身体の基準が突然失われる。
何が始まったのかを理解するまで、一度止まらなければならない。
客側にとって予兆とは、単なる演出ではない。
次の変化へ身体を準備させる情報
なのかもしれない。
急激な変化そのものが悪いわけではない
ただし、滑らかにつなぐことだけを正解にしたいわけではない。
突然切る。
大きく落とす。
まったく別の曲へ飛ぶ。
それによって、強い驚きや解放が生まれることもある。
むしろ、あえて断絶を作ることで、フロア全体が一気に反応することもある。
そのため、
「変化は小さいほどよい」
「曲調を変えてはいけない」
「常に滑らかにつながなければならない」
という話ではない。
大きな変化が成功するときには、その前後に何らかの条件があるように感じる。
客側に十分な期待が積み上がっている
現在の状態を一度終えてよいタイミングである
落差を受け取る準備ができている
変化自体に明確な意味がある
変化した瞬間に、新しい身体の基準が分かる
切断後に、迷わず入れる次の入口がある
前の感情が、次の解放によって回収される
大きな変化が悪いのではない。
客が変化を受け取れる状態にないまま、大きく変えることが問題なのではないか。
変化が成功するとき、客は驚いても止まらない。
驚きそのものが、新しい動きや感情へ変わる。
失敗するとき、客は驚いたあと、次にどうすればよいか分からなくなる。
この違いは大きい。
下手なDJは、なぜコロコロ変えたがるように見えるのか
踊りにくいDJの時間では、次々と変化が入ることがある。
ジャンルが変わる。
エモーションが変わる。
リズムの基準が変わる。
身体の動かし方が変わる。
音の密度が変わる。
少し慣れたと思えば、また変わる。
本人が実際に何を考えているのかは分からない。
ただ、客側から見ると、変化によって何かを実現しようとしているというより、
変化を作ること自体が目的になっている
ように感じることがある。
同じ空気を続けることに不安があるのかもしれない。
何か新しいことをし続けなければ、客が飽きると考えているのかもしれない。
技術や選曲の幅を見せたいのかもしれない。
別ジャンルへ移れること自体を、価値として捉えているのかもしれない。
もちろん、これらは外から見た仮説であり、本人の意図を断定するものではない。
ただ、客側で重要なのは、その変化によって何が起きたかである。
変化が多くても、全体として一つの感情曲線になっていれば、自然についていけることがある。
反対に、変化が小さくても、身体の基準を毎回壊されれば踊りにくい。
問題は、変化の数だけではない。
変化のたびに、何が残され、何が準備されているか。
そこに、つなぎの違いが現れるのではないか。
少なくとも、踊っている客は踊り続けたい
クラブへ来る目的は、人によって異なる。
音楽を聴きたい人もいる。
友人と過ごしたい人もいる。
交流を楽しみたい人もいる。
DJを目当てに来る人もいる。
そのため、
「客は全員、踊るためだけに来ている」
とは言えない。
ただ、少なくともダンスフロアで踊っている客は、気持ちよく踊り続けられる時間を求めている。
その客の身体を、曲が変わるたびに止める。
何度も踊り方を考え直させる。
音へ入りかけるたびに、意識を外へ戻す。
それを繰り返すのであれば、フロアへ提供すべき最も基本的な機能を果たせていないのではないか。
厳しい言い方をすれば、踊るための場所で、曲が変わるたびに客の身体を止めるつなぎは、客側から見て、まだ基本を満たしていないように感じる。
私はDJではない。
しかし、客として踊りやすい時間と、踊りにくい時間を何度も経験してきた。
その経験から見ると、
踊りを妨げるつなぎを繰り返す状態は、技術以前に、客側の目的を十分に捉えられていないように見える。
実際に、長時間フロアで踊ったことがあるのだろうか
踊りにくいつなぎが何度も続くと、私は次のような疑問を持つ。
このDJは、自分自身が長時間フロアで踊り、曲が変わるたびに身体の基準を失う苦しさを経験したことがあるのだろうか。
踊りやすいつなぎと、踊りにくいつなぎの違いを、自分の身体で比較してきたのだろうか。
もちろん、そのDJが実際にどれほどクラブへ通い、どれほど踊ってきたのかは分からない。
踊った経験が少なくても、客の観察やフィードバックから理解できる人もいるだろう。
反対に、踊った経験があっても、それを自分のプレイへ反映できない人もいるかもしれない。
したがって、本質は、
「本人が踊った経験を持っているか」
だけではない。
曲が変わったとき、フロア側の身体に何が起きるのかを、自分の判断基準へ入れているか。
そこではないか。
上手いDJと、まだ改善の余地があるDJの違いの一つは、ブースの中で二曲がつながったかだけを見るのか、フロアの身体まで次へつながったかを見るのか。
その違いにあるように感じる。
要は、客目線があるかどうかである。
技術の名前より、客の身体が先ではないか
DJのつなぎには、さまざまな方法や技術があるのだと思う。
例えば、歌詞や言葉の意味を対応させて次の曲へ移る、ワードプレイ・トランジションと呼ばれるような方法もある。
A曲の言葉と、B曲の言葉が巧妙につながっている。
DJ側から見れば、工夫されたつなぎなのかもしれない。
それに気づいた客が、驚いたり笑ったりする場合もあるだろう。
その方法自体を、すべて不要だと決めつけるつもりはない。
ただ、客として考えると、優先順位には疑問がある。
言葉は巧妙につながっている。
しかし、その瞬間に身体の流れが切れる。
踊り方を失う。
感情が置き去りになる。
集中が途切れる。
それなら、それは誰のためのつなぎなのだろう。
少なくとも私は、フロアで踊っているときに、
「今の二曲は、言葉の意味が巧妙につながっていた」
ということを最優先には求めていない。
求めているのは、気持ちよく踊り続けられることだ。
音へ深く入り続けられることだ。
次の感情へ、自然に連れていってもらえることだ。
客が求めているのは、技術の名称ではない。
客へ届く体験である。
ワードプレイが、その体験を助けるのであれば使えばよい。
身体や感情の流れを妨げるのであれば、使えるとしても、今は使わないほうがよいのではないか。
これは、第1投稿で考えた「目的と手段」の話へ戻る。
ワードプレイを成立させることは、目的ではない。
技術を見せることも、目的ではない。
その技術によって、
「客へ何を起こしたいのか」
が先にある。
言葉がつながったことより、客の身体がつながっていることのほうが先ではないか。
変化を消すのではなく、変化を受け取れる形にする
つなぎというと、変化を滑らかにし、目立たなくすることだと思われるかもしれない。
しかし、客側から見ると、それだけではないように思う。
つなぎは、現在の状態をそのまま維持することだけではない。
前の感情を一部残しながら、次の感情を加える。
古い身体の基準を少しずつ弱めながら、新しい身体の基準を作る。
緊張を解放へ運ぶ。
明るさを暗さへ移す。
安定した状態から、疾走感のある状態へ進める。
現在地から目的地へ、客を移動させる。
その移動を、身体が拒否しない形で行う。
つまり、
つなぎとは、変化を消すことではなく、変化を受け取れる形へ変換することなのではないか。
曲調が変わってもよい。
ジャンルが変わってもよい。
エモーションが大きく変わってもよい。
ただし、その変化に客の身体がついていけること。
変化の途中で、踊りを失わないこと。
新しい基準へ入るための足場があること。
それが、フロア側から見た「上手いつなぎ」の一つなのではないか。
上手なつなぎでは、変化に気づかないことがある
上手なDJの時間を振り返ると、いつ曲が変わったのかを覚えていないことがある。
もちろん、音楽に詳しい人やDJ経験者であれば、変化の瞬間を明確に把握しているのかもしれない。
しかし、客として音へ入っている私は、曲の境界を分析していない。
身体を動かしている。
感情の流れへ入っている。
気づけば、さっきとは違う曲になっている。
気づけば、身体の動かし方も変わっている。
気づけば、暗い世界から明るい世界へ来ている。
それでも、途中で止まった感覚がない。
この「気づけば」という感覚は、非常に重要なのではないか。
変化がなかったわけではない。
むしろ、さまざまな変化が起きている。
しかし、変化のために客の意識を音楽の外へ戻していない。
身体の連続性を保ったまま、次の世界へ運んでいる。
上手なつなぎは、技術の存在を強く見せるのではなく、客から技術を意識する必要をなくすのかもしれない。
今回の仮説
今回、つなぎについて考える中で、現時点では次のような仮説を持っている。
曲と曲の接続と、客の体験の接続は同じではない
音が途切れていなくても、身体、感情、集中が途切れることがある
上手なDJは、曲ではなく客の踊りを次へつないでいる
踊りにくいつなぎは、曲が変わるたびに客へ踊り方の再設定を求める
変化の前に予兆があると、客の身体は次の基準を準備しやすい
大きな変化ほど、何らかの橋、余白、予兆、共通項が必要になる場合がある
急激な変化そのものが悪いのではなく、客が受け取れる状態かどうかが重要である
変化の回数より、その変化の中で何が残され、何が準備されているかが重要である
技術の名前や巧妙さより、客が気持ちよく踊り続けられるかが先ではないか
つなぎとは、変化をなくすことではなく、身体や感情を次の状態へ運ぶことなのではないか
上手いDJと下手なDJの違いの一つは、ブース内の接続だけを見るか、フロアの身体まで見るかにあるのではないか
これは、DJ技術についての専門的な結論ではない。
延べ1000回以上クラブへ通い、客として踊りやすい時間と踊りにくい時間を比較する中で生まれた、現時点での仮説である。
実際には、選曲、音響、客層、ジャンル、時間帯、その日のフロアの状態など、別の条件も影響している可能性がある。
また、DJ側から見れば、技術的には別の説明があるかもしれない。
それでも客側では、
「曲は途切れていないのに、なぜ身体は止まったのか」
という違いが確かにある。
その違いを言葉にすると、
上手なDJは曲をつなぐのではなく、客の踊りをつなぐ。
現時点では、そこが今回の中心仮説である。
次回は、選曲とつなぎによって生まれかけた感情へ、DJ本人が直接働きかける「あおり」について考えたい。
あおりは、客の感情をゼロから作るものなのか。
それとも、すでに生まれかけている反応を、最後の一歩だけ後押しするものなのか。
言葉、手、表情、視線、身体の動き、そして音圧。
何があると、客は自然に参加したくなるのか。
何が起きると、指図や要求として感じるのか。
フロア側の体験から考えていきたい。
このプロジェクトについて
この「DJ・クラブ・フロアらぼらとりー」では、良いDJ、良いフロア、良いクラブが生まれる条件を、客側の体験から観察し、考え、言葉にしています。
私はDJ技術の専門家ではありません。一方で、延べ1000回以上クラブへ通い、多くのDJとフロアを客として体験してきました。
ここで書いているのは、完成された唯一の正解ではありません。外から確認できたこと、私自身が感じたこと、複数の体験を比較する中で生まれた仮説を分けながら、少しずつ確かめていくための記録です。
曲は途切れていないのに、曲が変わった瞬間、急に踊り方が分からなくなった経験はありますか。
反対に、大きく曲調やジャンルが変わったにもかかわらず、身体が止まらず、自然についていけた経験はあるでしょうか。
DJ、ダンサー、音響、店舗運営など、それぞれの立場から見える「つなぎ」の役割や、今回とは異なる整理があれば、ぜひ教えてください。
音好きにとって、たまらないフロアがもっと増えていくことを願っています。
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#DJクラブフロアらぼらとりー
#DJ
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#音楽と身体
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