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投資初心者の氷河期主婦が見いだした「BONSAI株」という嗜み

私がちびまる子ちゃんのような昭和の子供だったあの頃、近所のおじいちゃんが縁側で四角い鉢を睨みつけ、切れ味の良い専用の鋏でパチパチと音を立てて葉を間引いている姿は、日常のよくある光景でした。 私だけでなく子供は皆、「何が楽しいのだろう。お年寄りの趣味って地味すぎる」と思っていたはずです。

そして90年代初頭、バブルは終わりました。華やかな時代の恩恵を受けることなく、就職氷河期を生き抜いてきた私たち。

その私が今、中高年になってメルカリの売り上げを元手に株式市場へ片足を踏み入れ、スマホ片手に株価を眺めています。

投資を始めて、まだ3か月。

毎日相場を眺めていると、小さな鉢の中に確かな世界を見ていた、昔の縁側のおじいちゃんの姿が不思議なくらい腑に落ちるのです。


最近の株式市場といえば、随分とドラマチック。 ちょうど株主総会シーズンだった今月、世間は「過去最高値更新」「日経平均がついに大台突破か」と色めき立ち、半導体需要や米ハイテク企業の決算を材料に、お祭りのような相場が続いていました。

ところが、各社の株主総会という「答え合わせ」がひと通り終わると、市場の過剰な期待はあっけなく剥がれ落ち、その翌日には歴史的な急落。まだ投資を始めて数か月の私にとっては、「市場って本当に生き物なんだ」と実感する一週間でもありました。

そんな中、私にはひとつの小さな目標がありました。かねてから少しずつ集めていた優待目的の生活インフラ株を、単元株である「100株」まで育てることです。

今週の相場は、なかなか意地悪でした。月曜日から株価はじわじわと下がり続け、「どこまで落ちるのだろう」と不安になるような展開。でも、この3か月で少しずつ投資の知識だけでなく、心の持ち方も鍛えられていたのか、下がる波に逆らわず、コツコツと10株、また10株と静かに買い足していったのです。

そして金曜日。 相場がちょうど今週の最安値をつけたその瞬間、私の口座にはきれいに「100株」が並びました。

たった100株。低位株なので金額も決して大きくありません。それでも、その数字を眺めているだけで、何とも言えない達成感がありました。
「今の相場なら、このまま200株、300株まで育ててもいいかもしれない」 そんな考えが一瞬だけ頭をよぎりました。

しかし、よくよく考えて、頭の中で冷静なブレーキがかかったのです。 「……待てよ」と。

もちろん配当は株数に応じて増えますが、優待という視点では100株が最も効率のよいラインです。200株に増やしても、私にとっては一番美味しい優待の効率ラインが変わってしまう。

この銘柄は、
これ以上大きくしない(株数を増やさない)『盆栽』だ、と。

確信した瞬間、頭の奥で、パチン、と物欲の枝にハサミを入れる音がしました。

1株から買い足し100株に昇格して見ると、子どもの頃には理解できなかった縁側のおじいちゃんの盆栽の一鉢と、不思議なくらい重なって見えてきました。

初心者の私がやっているささやかな投資は、ミニマムなサイズのまま、長期を見据えて、自分の手元でじっくりと育てる「盆栽(BONSAI)の美学」に近いのかもしれないな、と思えました。

優待目的株に限って、私が必要以上に増やしたくないのはもちろん株数であって、企業の価値ではありません。

一鉢の盆栽が年月をかけて味わいを深めるように、一株一株が価値を育んでくれたら、それが何より嬉しいのです。


AIの裏事情:なぜ機械は大騒ぎし、職人は静かに待つのか

こうして自分の「盆栽」を持つようになると、世間のAIが弾き出すシグナルが、いかに自分とは違うゲームを戦っているかが少し見えてくる気がします。なぜ優秀なはずのAIと、人間の職人の目では、見ている景色が違って見えるのでしょうか。

素人なりに調べたり、実際に証券会社のAI分析を見比べたりしていると、どうも短期的な成長率や株価の勢い(モメンタム)を重視する傾向があるように、私には感じられました。もちろん実際のAIは、財務データや業績予想など様々な要素を組み合わせて緻密に分析しているのでしょう。それでも画面に並ぶ「買い」「期待薄」というシグナルを眺めていると、どうしても足元の勢いに目が向きやすいように映るのです。

だから私は、その評価を「答え」ではなく、「市場が今どこを見ているのかを知るための参考資料」として受け止めるようしています。

AIの評価は、短期的な数字の変化を素直に反映する場面も多いようです。だから、勢いよく伸びている企業には高い評価が付きやすく、一時的な逆風を受けている老舗企業には、やや厳しい評価が並ぶこともあるのだと。

もちろん、それが間違いというわけではありません。短期のトレンドを追う人にとっては、とても頼もしい道具なのだと思います。

中長期で見て、自分が納得した企業を少しずつ持ち続けたい。だからAI分析を静かに眺めながら、その隙で理不尽に割安になっている木がないかを探すツールにしています。

AIの裏をかく、というほど大それた話ではありません。人間の心理で大きく揺れる市場だからこそ、静かに盆栽を眺めるような時間も、案外悪くはないものです。

短期的な利益を追うだけのデジタルな世界にこそ、数字だけでは測れない自分の投資マインドを育てる時間に価値がある。

かつて縁側で盆栽を愛でることが大人の嗜みだったように、今はスマホを眺めながら企業の未来を思い描く。

それもまた、現代の大人の嗜みのひとつなのかもしれません。



本来の「盆栽」の歴史を紐解くと、歴史の荒波の中でただの「鉢植え」だったものが、室町時代のマインド「侘び・寂び」の精神をインストールされたことで、「独自の芸術(BONSAI)」へと一気に進化を遂げたことが分かります。

質素で控えめなものの中に趣を感じる「侘び(わび)」。もともとは「貧しくてわびしい」というネガティブな言葉だったものが、歴史を経て「何もないこと(余白)こそが豊かである」というポジティブな価値観へ変わっていった。そして、時間の経過によって変化していく姿に、本質的な美しさを見出す「寂び(さび)」。

そしてそれは、私が目指す投資のスタイルにも、静かに重なっている気がしました。


盆栽のハウツーに学ぶ、お金を枯らさない知恵

この記事を書きながら、ふと気になって「本物の盆栽の育て方や選び方」を調べてみました。すると、思わず「えっ」と声が出ました。そこに書かれていた「盆栽を枯らさない知恵」が、驚くほど投資の核心に通じていたのです。

① 置き場所

「基本は年中屋外。ただし真夏の直射日光と真冬の霜は避ける」
投資もまた、市場という「屋外」に置きっぱなしにして育てるものです。ただし、市場全体が熱狂している時には浮かれすぎず、逆に暴落で凍りつく時には無理をしない。その絶妙な距離感が大切なのでしょう。

② 水やり

「夏は多めに、冬は控えめに。与えすぎに注意」
私にとっての水やりとは、日々の「買い増し」です。相場が乾いていると感じる時は無理のない範囲で水をあげる。逆に市場が熱狂して潤っている時は、慌てて水を与えすぎない。必要な時に、必要なだけ。その加減の難しさと面白さは、盆栽も投資もまったく同じです。

③ 剪定

「伸びすぎた枝を切る」
私にとっては、「100株で止める」と決めたあの日のブレーキでした。欲という枝は放っておくとどこまでも伸びます。でも、ときにはハサミを入れるからこそ全体の姿が美しく整う。あの日の100株は、私にとって大切な一本の剪定でした。

④ 植え替え

「盆栽は毎日植え替えない」
投資も同じで、毎日頻繁に売ったり買ったりする必要はありません。数年に一度、自分の暮らしや制度の変化に合わせて、静かに庭の配置を整えていく。そのくらいのゆったりとした時間の流れが、今の私には心地よく感じられます。

⑤ 自分に合う苗を選ぶ

「初心者か上級者か、どう楽しみたいかによって選ぶ盆栽は変わる」 園芸サイトのこの言葉にも、深く納得しました。誰かの正解を真似するのではなく、自分の知識、リスク許容度、そして性格に合った一鉢を選ぶこと。それこそが、枯らさずに長く楽しむための第一歩なのだと思います。



結論:凡才だから、盆栽。

「基本は年中屋外」「夏は水を多く、冬は与えすぎない」「伸びすぎたら切る」「植え替えは数年に一度」「自分の身の丈に合う苗を選ぶ」。

先人が1000年かけてたどり着いた盆栽の知恵が、現代の「お金を枯らさないための知恵」と見事にシンクロしている。そう思うと、私は何とも言えないロマンを感じてしまいます。

目の届く範囲で愛でる。
限られた鉢の中で、身の丈に合う木を静かに育てる。
外野のドタバタ劇にはかかわらない、静寂を以て己を律する。

日本人だからこそ身に染みる、これは究極の贅沢かもしれません。

十分な余白を残して、次の一鉢との出会いを待つ。

昔は「何が面白いんだろう」と冷ややかに眺めていた盆栽。あの時間の豊かさが、ようやくわかる年齢になりました。

一鉢目を手に入れた今、次はどんな一鉢にしませう。

そんなことを考えながら、週末は静かに、相場の四季を眺めることにいたしましょう。

これもまた、いとおかし。


私の人生の作戦会議は、まだまだ続く………。


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