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計画通り母になったら人生が始まった。【創作大賞2026】

変な男にひっかかり傷つき泣いて、失恋パーティーと称した飲み会を開催し、泥酔したままカラオケに突入。
加藤ミリヤの「さよならベイベー」を歌って感傷に浸っていた私は、酔いが醒めて今置かれている自分の状況を理解し悟った。

「25歳くらいに結婚して、27歳くらいで子供を産みたい。となると、23歳くらいには相手を見つけて付き合い始めないといけない。ならば今、全くもってちゃらんぽらんしてる場合ではない。」
22歳の気付き。もう全然時間がない。

小さい頃から漠然と、いつかは母親になるものだと思っていた。
なりたい、というよりは当たり前になるものだと思っていたし、産める産めないは別として、未来の自分の姿を想像すると、いつだって母親をしている姿だった。
母親になる為には誰かと出会って結婚をしなければいけない、とまで思っていた。

変な男は記憶の片隅にも残さずとっとと闇に葬り去り。
すぐさま切り替え、将来の伴侶であり子供の父親として相応しい人物を探すことにした。
同世代はまだまだ青二才で、結婚を前提としたお付き合いは難しいであろうと判断を下し、もっぱら年上に狙いを定めて出会いの場へでかけた。
相手の時間も自分の時間も無駄にする訳にはいかないので
「会って3回でケリをつける」と決めて、
波長が合うか、最低限の常識マナーがあるか、自然体が見えるかなど、就活の面接官さながら相手を見定めていた。

”結婚相手”と思った瞬間からピンと来る人が全然いなくて、これまでいかに適当に人と付き合っては別れてきたのだろうか、と我ながら呆れた。
出会う人をバッサバッサ切り捨てながら、今でこそ馴染み深い言葉になった「婚活」と呼ばれる活動を1年ほど続けたであろうか、職場の先輩の紹介で、後に夫となる人と出会った。

初めて会った時は、タイプではないが顔がいい、くらいしか印象に残らなかったが、帰宅途中に届いたLINEに衝撃を受けた。アイコンの写真が、私が愛してやまない「エヴァンゲリオン」の初号機だったのだ。
当時の最重要連絡ツールであったLINEのアイコンを、まだオタクへの風当たりが冷たかった時代にわざわざオタ度高めなエヴァ初号機に設定している顔がいいヤツなんて、中々肝が据わっているかもしれん、と興味が湧いて思わず返信してしまった。

年齢も5歳上で数年付き合って結婚するには適齢期、たまに変だが温厚で達観していていつも友達に囲まれているような人、気が利かない上に不器用すぎて洗濯物は畳めないけど他のことは言えばやってくれて、私服はダサいけど圧倒的に顔がいい。

理想とは少し違うけど、完璧な人なんていないと分かっているし十分結婚相手として申し分ないのでは?なんて思いながら、順調に交際を続ける合間にしっかり発破とプレッシャーをかけまくりめでたく2年記念日に25歳で入籍した。

結婚と同時に私の実家近くに家を買い、犬(ポメ)を飼い始め、結婚式を挙げて新婚旅行も行った。一通りの人生イベントを終え「我が子よ、いざ!!」と来る日の為に備えた。

ありがたいことに、22歳当時に逆算で設定していた目論見通り、27歳の時に息子を産んだ。

慣れない育児に慌ただしく過ぎる毎日。
我が子は想像以上に可愛くて、自分で寝かしつけたくせに我が子が寝れば数秒おきに安否確認を繰り返し、授乳はスマホを見ずに我が子と向き合う時間♡なんて綺麗ごとしか言わない育児神話はフルシカトして自分が寝落ちしない為にひたすらどうぶつの森をやって耐えていたし、あまりの寝なさに迷走してバランスボールで弾みながら夜通し寝かしつけをしたこともあった。
こちらが油断したら死んでしまう我が子に神経を張り巡らせながらも、なんだかそれさえも面白くて、苦手なこともめんどくさいことも、我が子と一緒ならなんでも出来そうと思えた。

それまでの私は、幼少期からずっと楽しかったし友人、家族にも恵まれ、深刻な悩みも特になかった。社会人になって就いた仕事にもやりがいを感じていたし、はたから見たら順風満帆に見えていただろう。
だが、当の本人はたんぽぽの綿毛のようにあてもなくふわふわと空中を彷徨っているような、どこか心もとない感覚だった。

どんなに充実して忙しい毎日だったとしても、誰かと会っていない時の私のことなんて誰も思い出してくれないだろうし、この世界に自分はいてもいなくても影響ないという、言い表せない孤独を感じていて、私はもっと幸せになれるはずなのにこのまま人生が終わっていくのか?と身の置き所がないような漠然とした不安をいつも抱えていた。

定期的に、予定を一切入れずに家から一歩も出ない休日を作って、誰かと連絡を取ることもせず"この世界から自分という存在を消す日"が必要だった。
一日中パジャマのまま好きな時に寝て起きて気付いたら夜になってる、そんな無駄とも思える時間。
病んでいた訳ではなく、ただ一人になって、ふいに誰かから強制的に与えられる孤独に心をキュッとさせるのではなく、会社員の自分や友人としての自分など、与えられた役割から荷を下ろし、自ら選択した孤独の殻にこもることで鬱々とした何かをリセットしていた。

息子が3歳くらいの時、抱っこしながら気が付いた。
ようやく、私という綿毛は地に根を張り花を咲かせたのだ。
底知れない不安も、いつ落ちるか分からない雲の上を歩くような感覚も、
我が子が存在する人生を歩み始めてからは、自分という人間が初めて肯定されて、誰かのために生きること、誰かに必要とされることで、やっとこの世界での自分の役割を実感することができた。

我が子に「ママ」と呼ばれることは、
ずっと抱えていた孤独から永久に開放されたような気がして、目の前の霧が晴れて、息がしやすくなった。

息子の暖かく柔らかい頭の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、こんなにも安心して癒されて心が落ち着く匂いがそばにあるなんて。
幼少期に想像していた母親に、いつの間にかなっていたようだ。

息子を産んで5年後、今度は娘を産んだ。

その頃には息子は年中になり、悩みや問題は複雑化していたが、
再び子育てさせてもらえることに感謝しながら、
2人育児をどう回していくのか、習い事の送迎問題に、自分の仕事はどうするのか、家族というチームをどう運営していくか日々頭をフル回転させていた。
今では仕事をしながら同時に晩ご飯の献立を考えることもだいぶ板に付いてきたし、娘が1歳の時に買った電動自転車は綺麗なベージュだったのに今では砂埃でグレーになりつつあるほどには乗り回している。

子供を持たなくても、自分という人間を真っ当に肯定できていたとするなら、子供を持たない人生も考えていたと思う。
でも私は、子供を持つことによってしか、地位も名声も何もない自分という存在に価値を見出せなかった、その程度の人間なのだ。

息子は「サッカー選手になり海外でプレーしたい」という夢を掲げ日頃の練習に加え英会話のレッスンも真面目に通っている。
誰よりも応援しているし誰よりも息子を信じているのだけど、旅立ちの日を想像しては、孤独を背負っていたあの頃の私が顔をのぞかせている。
成功してほしいとしか思わないのに、行かないでほしいと矛盾した思いをひた隠しにしている。

これからたくさんの苦労と困難に立ち向かうであろう彼らの意志や自由を尊重し、そして絶対的な居場所を守る、それって親にしかできない特別な仕事だと思う。
我が子たちは、私という人間をこの世界と結びつけてくれて、終わることのない役割を与えてくれたようだ。

人生はまだまだ長い。
いつか、我が子たちが綿毛のように飛び立つ日が来たら、なんの迷いもなく風に乗れるようにと願って、私は今日もたらふくご飯を食べさせるのだ。


我が子たちよ、自由に思い切り飛んで行くがよい

#創作大賞2026
#エッセイ部門

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