✴︎【奇跡ノート・11】十字架への旅を終わらせる
学びの道がハッキリするとき
ACIMの学びを進めていくと、目的が「わが家へ帰ること」ただひとつになる。
それ以外は全部、夢であり幻想。
といっても、「ムダに生きろ」とか「刹那的になれ」という意味やないで。
ただ、進むべき道が驚くほどハッキリしてくるだけや。
とはいえ、この幻想の世界で生きてると、ほんまにいろんな赦しのチャンスがやってくるよな。
ボク自身、今もある出来事に心を乱されてる最中や。
ちゃちゃっと赦してスルーできたらええんやけど、赦して聖霊に委ねても、この世界では肉体を使って“実際にやるべきこと”が残ってたりする。
そしたらまた心が揺れる。
ほんま、やりよるわエゴ。
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十字架への旅を「最後」にする
ACIMはこう言う。
“The journey to the cross should be the last ‘useless journey.’”
十字架への旅は、あなたにとって最後の「無益な旅」とすべきである。
ここで言う “the journey to the cross(十字架への旅)” は、宗教的な“犠牲”や“苦難”ではなく、この幻想世界での エゴの旅 全体の象徴。
つまり、
「罪悪感を前提に生きる」
「自分を罰しながら生きる」
「被害者意識・戦い・我慢・悲劇のドラマに巻き込まれる」
…といった生き方そのもの。
そして “last useless journey(最後の無益な旅)” にしろ、というのは、
「もう苦しみを本物として生きるのは終わりでええよ。ここから帰り道に戻りなさい」
という、めちゃくちゃ優しい声。
J兄さんは言うてくれてるんやな。
「苦しみの道、罪悪感の道、被害者の道。
その無益な旅、もうここで終わりにしようや」
エゴはドラマを作り続けるけど、ボクらはいつでも 「その旅をここで終わらせる」 と決められるねん。
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Lesson 8 — “過去の思いでいっぱいの心”に気づく
ワークブックの Lesson 8に触れとくな。
“My mind is preoccupied with past thoughts.”
私は、過去の思いでいっぱいです。
Lesson 7が「私は過去しか見ていない」やったけど、Lesson 8ではさらに一歩進んで、
心そのものが、過去の思いで埋め尽くされている
という事実を見せてくれる。
ボクらの日常では、
「さっきの出来事」
「昔の失敗」
「不安・期待・判断」
「『こうあるべき』という癖」
こういうものが心を占領する。
つまり、心は“過去の映像”でいっぱいになってしまう。
だからボクらは、目の前の「今」を、ありのままに見ることができひん。
でも、ACIMが言うてるのは、心を無にしろとか無理に静かにしろやなくて、
“あ、いま過去の思いでいっぱいやな”
…と気づくだけでええ。
その一瞬の気づきが、心の奥にスペースをつくってくれる。
そこへ聖霊の声が入ってくる。
Lesson 7 が “見る目” のレッスンなら、Lesson 8 は “心のスペース” を思い出すレッスンやね。
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今日の気づき
正直いうと、今日のボクはまだ心が乱れてる。
赦したつもりでも、また揺れる。
でも、はっきりわかったことがあるねん。
「揺れている自分に気づくこと」
それ自体が、もう赦しの一歩なんやってこと。
エゴに飲まれそうになっても、気づけた瞬間に、もう外れてる。
十字架への旅(=苦しみの生き方)は、ほんまに今日で終わりにしてええねん。
また戻ったらええだけ。
帰り道はいつでも開いてるからな。
ほな、今日はこのへんで。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
