【祈空畝で脳力を回復するも無農薬下での害獣・害虫の厳しさを知る260516】

今日は祈空畝で農作業をしてきた。
最近、相場、ニュース、note、配信、AI、リーディング、行政書類、ドローン、祈空構想と、脳味噌をかなり酷使している。
正直、頭の中がずっと回り続けている。
考える。
読む。
判断する。
書く。
また考える。
それを続けていると、脳味噌の奥が熱を持つような感覚になる。
そういうとき、祈空畝に行くと、少し戻る。
土を見る。
葉を見る。
水をやる。
虫を見る。
実を見る。
風を見る。
汗をかく。
それだけで、使いすぎた脳味噌が、少しずつ冷えていく。
祈空畝は、僕にとって単なる畑ではない。
作物を育てる場所であり、祈空プロジェクトの実験場であり、同時に、疲れた脳味噌を自然に戻す場所でもある。
今日も、畑にはいろいろな生命の変化があった。
ブルーベリーには、小さな花がついていた。

まだ控えめな、白く小さな花。
けれど、その小ささの中に、これから実になる予感がある。
スダチにも花が咲いていた。

艶のある葉の中に、白い花が点々と咲いている。
あの小さな花が、いずれ香りのある実になる。
そう思うと、畑の時間は人間の時間とはまったく違うと感じる。
こちらが焦っても、植物は焦らない。
こちらが急いでも、植物は急がない。
ただ、条件が整えば伸びる。
花を咲かせる。
実をつける。
そして、ホップ。

これはもう異常な成長と言っていい。
支柱に巻きつき、上へ上へと伸びている。
ホップという植物は、どうやら本当に空を目指す植物らしい。
祈空畝にホップがあるというのは、やはり象徴的だ。
空へ伸びる。
香りを宿す。
醸造へつながる。
佐田麦酒にもつながる。
祈空の「空」と、麦酒の「香り」が、一本の蔓でつながっているように見える。
さらに今日は、カスケード種のホップも芽吹いていた。
これは嬉しかった。
カスケード。

クラフトビールの世界では、かなり象徴的なホップだ。
その芽が、祈空畝で動き出した。
小さな芽だが、そこには未来の香りがある。
一方で、今日はきれいごとでは済まない現実も見た。
苺は、残念ながら8割ぐらい鳥やシカに食べられてしまった。
赤くなった実から、きれいにやられている。
こちらが「そろそろ食べられるかな」と思っていた苺を、鳥もシカも当然のように狙ってくる。
畑は、人間だけのものではない。
そんな当たり前のことを、かなり強めに突きつけられた。
しかもシカは、苺だけではない。
ブラッドオレンジの葉も食べている。
スペルト小麦の葉も食べている。
人間から見れば大事な苗木であり、大事な作物であり、未来の収穫物だ。
でもシカからすれば、ただの食べ物なのだろう。
祈空畝は、僕の畑である前に、山と里の境界にある生命の場でもある。
鳥も来る。
シカも来る。
虫も来る。
ナメクジも来る。
そして、容赦なく食べる。
キャベツは、なんとナメクジで全滅した。
これはなかなか衝撃だった。
無農薬でやるということは、こういうことなのだと知った。
スーパーで見るキャベツは、丸くて、綺麗で、当たり前のように売られている。
でも、畑で無農薬で育てようとすると、ナメクジに普通に負ける。
こちらの理想など関係ない。
虫は虫の都合で来る。
シカはシカの都合で食べる。
鳥は鳥の都合でついばむ。
無農薬とは、優しい農業というより、まず生命同士の競争にそのまま身を置くことなのだと思った。
農薬を使わないということは、人間の取り分を保証しないということでもある。
だから厳しい。
自然は優しい。
でも、同時に容赦がない。
今日はその両方を見た。
ただ、失われるだけではなかった。
サルベージした南高梅の苗木を、祈空郷の一本松の横に植樹した。
これは、今日の中でもかなり象徴的な作業だった。
救い出した苗木を、祈空郷の一本松の横に植える。
一本松の横に、南高梅。
それは単なる植樹ではなく、祈空郷に新しい記憶を植える行為のように感じた。
生き残ったものを、次の場所へ移す。
失われかけたものを、もう一度根づかせる。
祈空郷という場に、梅の時間を入れる。
梅はすぐに結果を出す植物ではない。
来年、再来年、その先。
時間をかけて、そこにいる木になっていく。
そういう長い時間の感覚も、今の僕には必要なのだと思う。
そして、今日一番印象に残ったのは、生き残った苺をT2と一緒に食べたことだった。
鳥やシカにかなり食べられた中で、わずかに残った苺。
正直、小さい。
見た目も、店で売られている苺のように整っているわけではない。
でも、食べた瞬間、あまりの美味さに感動した。
これは何なのだろう。
甘いだけではない。
味が濃い。
そして、生命力がある。
お店で売られている苺は、大きくて、綺麗で、形も揃っている。
でも、恐らくその裏には、大量の農薬や管理技術があるのだと思う。
もちろん、それを否定したいわけではない。
あの綺麗な苺を安定して店頭に並べるというのは、とんでもない技術であり、とんでもない努力だ。
ただ、今日食べた苺は、それとはまったく別の味だった。
鳥に食べられず、シカに食べられず、虫にもやられず、無農薬の環境で生き残った小さな苺。
それは、商品というより、ミニ生命体だった。

その小さな生命力を、僕とT2でいただいた。
あれは、ただの果物ではなかった。
祈空畝で生き残った命を、身体に入れた感覚だった。
今日の祈空畝は、脳味噌を回復させてくれた。
けれど同時に、無農薬の厳しさも教えてくれた。
ブルーベリーは花をつける。
スダチも花を咲かせる。
ホップは異常な速度で空へ伸びる。
カスケード種も芽吹く。
その一方で、苺は鳥やシカに食べられる。
ブラッドオレンジの葉も食べられる。
スペルト小麦の葉も食べられる。
キャベツはナメクジで全滅する。
これが現実だ。
自然は、こちらの理想通りには動かない。
でも、だからこそ面白い。
AIの中では、理屈を組める。
noteでは、言葉を整えられる。
相場では、チャートを読める。
行政書類では、構造を作れる。
でも畑では、こちらの思考だけではどうにもならない。
土がある。
水がある。
虫がいる。
鳥がいる。
シカがいる。
植物がいる。
そして、人間はその中の一部として、ただ手を動かす。
その感じが、脳味噌を戻してくれる。
祈空畝は、僕の脳力回復装置であり、同時に、自然の厳しさを突きつけてくる先生でもある。
今日は、それを強く感じた。
無農薬とは、きれいごとではない。
無農薬とは、生命に負けることでもある。
けれど、その中で生き残った一粒の苺は、店で買う苺とはまったく違う味がした。
それは甘味ではなく、生命力そのものだった。
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