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#4 自分の味方になれない自分

なんの才能もない自分に嫌気がさす。
何者でもない自分に嫌気がさす。

今までの道のりが、
全て無駄に思える。

そんな日こそ、
自分を丁寧に扱わなくては。

自分だけは、
自分の味方でいてあげなくては。

あれ。

いつからだろう。


自分の味方をしなくなったのは。

あの日のいじめからだろうか。

いじめられる側に原因があると思い込んで、
私が悪いからいじめられたのだと思い込んで、
自分が嫌いになったのだろうか。

それから自分を好きになれなくなった。
相手を責める気持ちよりも、
どうして私なの?という気持ちよりも、
私が悪いんだと、
そう片付ければ全てがまとまった。

今思えば、
そんなことないよって、
どんな原因があろうと、
いじめる側に問題があるって、
慰めてくれる大人がほしかった。

絶対的な味方がほしかった。

元々自己肯定感などあっただろうか。
いやあった。あったはずだ。
あの頃の私は、
音読や発表が大好きで、
授業中に先生から指されることも、
何の不安もなかった。

成績も優秀で、
友人もいっぱいいて、
何不自由ない暮らしだった。


それがたった一つのいじめだけで、
全てが終わってしまった。


可哀想な私。


いじめがあったから、
人の気持ちが痛いほど分かるようになった。

それがプラスだと思い込んでた。
けどそのせいで今じゃ社会不適合者だ。


やっぱりいじめなんて、
ない方が良かったんだ。



そのまま人の痛みなど大して分からず、
働き続けられる方がよっぽど良かった。

そうやってお金を貯めて、
幸せになっていく方が、
良かったに決まってる。

私はいじめを肯定しようとしていた。
いじめがあったからこそ、
今の繊細な自分がいて、
今の自分が好きだなんて、
言おうとしていた。


全然違う。
今の自分は好きじゃないじゃん。


絶対に鈍感であった方が、
生きやすいに決まってる。

なぜいじめられなければならなかったのか。
なぜ私だったのか。


繊細さなんていらない。


私はお金を払ってでも、
鈍感さを手に入れたい。


今の自分を肯定してくれる人間がいる。
友達がいる。彼氏がいる。

きっと私が繊細な私でなきゃ、
出会えなかっただろう。

でも人生の終わりが来た時に、
「これで良かった、これが良かった」
そう言える人生でないと、
今の私は今の自分を肯定できない。

私は人生の終わりの日。
こんな私で良かったと、
そう言える日がくるのだろうか。


その日まで、
自分の味方になってあげられないのだろうか。


それも可哀想だな。

こうやって自分の味方になってあげようかと、
考えて記事を書けたことが、
まず第一歩だと思いたい。

いつか胸を張って言えるようになりたい。


自分が一番、自分の味方だと。


-Dare-

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