手取りが毎年下がる理由、全部言う
誰も言わないから書く。
年収が上がっているのに手取りが増えない。その感覚は錯覚ではない。社会保険料という法定控除が、この20年間で着実に拡大してきた構造の話だ。
厚生年金保険料率は2004年の13.58%(事業主・被保険者合計)から段階的に引き上げられ、2017年に18.3%で固定された。個人負担分は9.15%になる。同じ期間、全国健康保険協会(協会けんぽ)の健康保険料率も2009年の8.2%から、2023年には10.0%前後に上昇した。
厚生年金保険料 — 2004年 個人負担率 6.79%、2023年 個人負担率 9.15%、増加分 +2.36%
健康保険料(協会けんぽ) — 2004年 個人負担率 約4.10%、2023年 個人負担率 約5.00%、増加分 +0.90%
介護保険料(40歳以上) — 2004年 個人負担率 約0.72%、2023年 個人負担率 約0.91%、増加分 +0.19%
合計(40歳以上) — 2004年 個人負担率 約11.61%、2023年 個人負担率 約15.06%、増加分 +3.45%
標準報酬月額42万円(年収約500万円相当)の会社員で試算する。2004年と2023年の負担率差3.45ポイントを適用すると、月約1.45万円、年間17.4万円の追加控除が生じている。賃上げ分の相当部分が、給与明細に到達する前に消えているということだ。
昇給が手取りに届くまでの構造
昇給が手取り増加に直結しない理由は、社会保険料以外にもある。
年収が上がると標準報酬月額の等級が変わる。等級が上がると、厚生年金・健康保険の保険料が一段上の額に跳ね上がる。月収が42万円から45万円になった場合、標準報酬月額の等級変更により保険料が一括で増加するため、実際の手取り増加額は昇給額より少なくなる。
所得税は累進課税だ。330万円超695万円以下の部分は税率20%。同じ30万円の昇給でも、課税所得の水準によって税額増加分は変わる。住民税は前年の所得に対して10%課税されるため、昇給の効果が翌年の控除増加として時差で現れる。
総収入増加: +100万円
所得税増加(概算): 約6万円
住民税増加(翌年): 約10万円
厚生年金料増加: 約10万円
健康保険料増加: 約5万円
実質手取り増加: 約69万円
昇給100万円のうち31万円は控除に消える。昇給前後で手取りが「100万増えた」と感じる人間は誰もいない。
40歳になると始まる第三の控除
40歳に達した月から、介護保険料が加算される。2023年度の全国平均で見ると、個人負担率は約0.91%だ。年収500万円なら年間約4.5万円の追加控除になる。
給与明細を見て「なぜ今月から天引きが増えたのか」と思う人間が毎年発生する。40歳の誕生月に自動で適用される制度だが、事前に会社から説明される機会はほぼない。知らないまま控除が増えることで、手取りが突然減ったように感じる。
この制度は今後も段階的に料率が変わる可能性がある。2040年には介護保険の財政圧力が現在の数倍になると厚生労働省の試算でも示されており、料率維持は難しい見通しだ。
実質賃金との乖離
国税庁の民間給与実態統計によれば、2022年の平均給与は458万円で前年比2.7%の上昇だった。しかし同年の消費者物価指数は前年比2.5%上昇しており、実質的な購買力の増加は限定的だ。
給与が名目で増加しても、物価上昇と社会保険料の増加が同時に進む環境では、生活水準は改善しない。この状態が複数年続くと、昇給の達成感と手取りの現実との間に大きな乖離が生まれる。
給与明細を読む習慣
手取りが減った感覚を「気のせいだ」と処理している人間は、給与明細の健康保険・厚生年金・雇用保険の欄を3年前のものと比較してみればいい。
等級変更のタイミング、40歳時の介護保険開始、料率改定のタイミング。これらが重なると、同じ年収でも手取りが1年前より少なくなることは十分にある。控除額の合計を年収で割ってみれば、社会保険料負担率の実態が把握できる。
雇用保険料が2022年に2段階引き上げられた事実
見落とされがちな変更が2022年にあった。雇用保険料率の引き上げだ。
コロナ禍で雇用調整助成金の財源が枯渇したことへの対応として、2022年4月と10月に段階的な引き上げが実施された。一般労働者の個人負担分は0.3%から0.6%に倍増した。年収500万円なら年間約1.5万円の追加控除になる。
厚生年金・健康保険の長期的な上昇に加え、雇用保険の急激な引き上げが2022年に重なった。同年の実質賃金が低下した背景には、賃金が上がらなかっただけでなく、この複数の控除増加が同時に発生していた事情もある。
設計の問題を個人の感覚として処理させる構造
手取りが増えない原因を「自分の昇給が少ないせいだ」と思っている人間は、正確な診断ができていない。
社会保険料率は国会で決まる制度だ。2004年以降の15年間で厚生年金保険料率が約4.7ポイント上昇したことは、個人の交渉では止められない変数だった。健康保険料率と雇用保険料率の上昇も同様だ。これらの上昇分が手取りを圧迫してきた事実は、給与明細の各欄に隠れている。
賃上げを実感できない会社員の中には、年収自体は確かに上がっているのに手取りが増えない経験をしている人間がいる。その原因の一部は本人の交渉力ではなく、社会保険料の制度設計がその昇給分を吸収し続けているという構造にある。
雇用保険の倍増が2022年に起きた事実を把握していた会社員がどれくらいいたか、というのが問題の本質だ。控除が増えた月に気付ける人間は少ない。通知もなく、解説もなく、給与明細の数字が静かに変わる。
手取り収縮が続く限り、名目賃上げと生活水準の改善は乖離したまま続く。これは個人の努力の問題ではなく、設計の問題だ。
あわせて読みたい
関連記事
関連記事
[独身が損する年金設計の正体](https://note.com/dare_mo_iwanai/n/n27f509021b24/)
- [DINKsが気づかないと老後で詰む構造、全部言う](https://note.com/dare_mo_iwanai/n/nfdff407501d6/)
- [35年ローンを組んだ瞬間、人生の選択肢が半分になる](https://note.com/dare_mo_iwanai/n/n2f0061486959/)
- [賃上げ5.26%のリアル。食料品4%上昇が全て食い尽くす話](https://note.com/dare_mo_iwanai/n/ncbdc191a81a5/)
- [敷金を全額取り返した人間と、黙って払った人間の3つの違い](https://note.com/dare_mo_iwanai/n/n9be58868896a/)
