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love_and_rice
『鯨一頭と数の子』 命の重さとは何か 一考察
突然ですが、私は愛する人がこの世を去ったら
大泣きします
しかし、今何処かで無くなる命には涙していません。
事実なんです。申し訳ないです。
海岸に鯨が打ち上げられると、ニュースになり救出劇が行われ、人は集まり、悲しみ、時には祈ります。
同日に何処かの食卓には数の子やイクラが並び
数千の卵が食されます。
鯨に話を戻し、どこか人間に似た目。
ロマンチックな話や言い伝え
要は人気者です。
そこには一つの命の物語を私たちは容易に描けるのでしょう。
では、数の子やニシンの卵はどうなんだろうか。
一腹に、何万という命が詰まっている。
皿に並べられ、私たちはポリポリと噛む。
そこに命を数える人はいません。
鯨一頭。
数の子、数万。
もし命を純粋に数で測るなら、
数の子の方が圧倒的に重いはずです。
だが、人間の心は計算では動かないです。
私たちは命の数ではなく、
想像できる物語の大きさで命を感じています。
巨大な鯨には物語がある。
だが、無数の卵には物語がない。
だから私たちは迷わない。
鯨が死ねば悲しみ、
数万の命は平然と噛み砕く。
だからと言って命の価値が違うのではないでしょう。
だからと言って残酷な訳ではないでしょう。
私たちが抱えれる命には限界があるし
想像できる命だけを、命として扱っているだけなんです。
そして、少しだけゾッとするのは、
その基準でいけば
人間の中にも、
「数の子のように扱われる命」が
きっとあるということです。
