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今の私なら、あの日に涙できるかもしれない—アニメ『キルアオ』が掘り起こした、感動のタイムカプセル—

アニメ『キルアオ』は、伝説の殺し屋がある出来事をきっかけに中学生の姿となり、学校に通うことになる物語です。

幼い頃から殺しの訓練だけを受けてきた主人公が、授業に感動し、「好き」という気持ちで予習復習まで丁寧に行っている。

私はその姿に強く心を動かされました。

この作品の面白さは、ただ大人が子どもになるという設定のギャップだけではありません。

私にはむしろ、環境が人の感受性を開く物語として刺さりました。

学びに感動すること。
学ぶことを面白いと思うこと。
好きだからこそ、自然に予習復習までしてしまうこと。

それは本来とても豊かな姿なのに、年齢を重ねるほど、私たちはそれを“当たり前”の中に埋もれさせてしまう気がします。

だから私は思いました。
大人になって、いくつかのことに気づいた今なら、あの日教わったことや、あの頃の人との関わりの中にも、感動できるものが私の中にあるのではないか、と。

子どもの頃は分からなかったことがたくさんあります。

学びの価値も、言葉の重みも、人との距離も、その時はただ通り過ぎていった。
けれど今の私なら、当時は受け取れなかったものを受け取れるかもしれない。

感動し直す、というより、
今の私なら感動できる何かが、あの頃の中に詰まっていたのではないか。

そんな感覚です。

それはきっと、タイムカプセルを掘り起こすようなものです。

昔の自分が気づけなかった宝物を、今の自分が見つける。
そう思うと、過去を振り返ることは懐かしさだけではなく、少しワクワクする行為になります。

『キルアオ』を見て、私は学びとは知識だけではなく、感動する力そのものなのだと思いました。

そしてその感動は、新しい場所にだけあるのではなく、すでに通り過ぎた時間の中にも眠っているのかもしれません。


今の私なら、そこに胸を打たれる何かがあるのではないか。
そう思うと、少しだけ過去を掘り起こしてみたくなるのです。

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