世界に似た人はいても、あなたはいない― 説明できる愛は、きっと愛ではない ―
なぜこんなにも好きなのか。
なぜその人なのか。
一緒にいる理由は何か。
そう問われたとき、私たちは言葉を探し始めます。
優しいから、価値観が合うから、一緒にいて楽だから。
いくつもの理由を並べて、なんとか「説明できる形」にしようとします。
しかし、そのどれもが決定打にはなりません。
同じように優しい人は他にもいますし、価値観が合う人も一人ではありません。
条件を並べれば並べるほど、逆に問いは深くなっていきます。
「では、なぜ“あの人”なのか」
この問いに理屈で答えようとする限り、終わりはありません。
似た条件を持つ人はいくらでも存在するからです。
説明はできても、納得には至らない。
その繰り返しが、終わりのない哲学になります。
やがて気づきます。
私たちは“選んでいる”ようでいて、実は選べていないのではないか、と。
その人を好きになる瞬間は、理由よりも先に訪れます。
気づけば目で追い、気づけば心が動いている。
そこには意思決定というよりも、直感に近い何かがあります。
つまり、好きという感情の核心は、
説明できる部分ではなく、説明できない部分にあります。
だからこそ、最後に残る答えはとても単純です。
「理由は分からないが、その人だから」
それは理屈としては不完全でありながら、
感情としては最も正確な答えです。
好きであることは、選択ではなく事実なのかもしれません。
選び取ったのではなく、すでにそうであったというだけのことです。
私たちは理由を後から探しますが、
本当は最初から答えの中にいます。
そしてその答えは、言葉ではなく、ただ静かに存在しています。
ミスチルにそんな歌ありましたね
