ありがとう家事分担計画
先日,友達とランチをしていたら,こんな話が出た。
A…この間ダンナが洗濯物をほして くれたんだよね。
私…良いダンナさんじゃん。
A…でもさ、ありがとうって言ったんだけど,これって,お礼言うことなんかなあ
私…家事って,私らだけの仕事じゃないよねー
A…でも、ついありがとうっていっちゃう。
ありがとうは大事な言葉ではあるが,問題はそこじゃない。ありがとうと言うのは、
洗濯は私の仕事だけど,やってくれてりがとう
である。既に、洗濯は私の仕事という立ち位置にいる私たちに、自分で自分に腹が立つのだ。その時点で,家事は女の仕事という昭和のセオリーに甘んじているじゃないか。
家庭における,家事労働の分担は大問題である。とくに,私たち50代には,なかなか手強い問題なのだ。
なんせビミョーな年代なのだ。
うまれは昭和。ちゃぶ台をひっくり返す父や、専業主婦の母を見て育ち,赤いランドセルを背負い、スカートの制服を着て、青春時代を過ごす。
そして、バブリー時代には,アッシーメッシーだとか、都合のいい女なんて,自虐的に性を扱う時代に社会人になる。
この頃には,共働きの家庭も増え、女性の社会への参画が当たり前になる。
そして,今や,性はボーダレスの時代だ。
ある意味,激動の時代だったのだ。
だから、50代は、複雑なのだ。
いまだ心の片隅に、小さい頃に染みついた昭和の男や女が住んでいるのである。
その一方で、ジェンダー教育を受けて、男,女で決めつけるのはいかがなものか?という視点もある。
だから、自分の中の昭和を見つけて,苛立つのだ。
結果,かえって、男や女というカテゴリーにいろんな意味で縛られてしまう年代とも言える。
さて、家事を仕事と捉えるならば、ある程度の分担は必要である。そうでないと、甘えがでて、結局どちらかに負担が偏ることになる。
そして,それが当たり前になると、自分がしなくても回っていく仕事は、しなくても良いものになる。
しかし、これはあなたの仕事と分担されると、自分がやらないと回っていかない仕事になる。
もし,それがしんどくなった時、誰かが手を差し伸べてくれたとしよう。
おーありがたい!
とならないか。
そうなのだ。家事労働におけるありがとうは、自分の仕事という認識があって初めて生まれる,感謝の言葉なのだ。
家事をしても,誰にも感謝されないと不満をいうあなた。それは,当たり前である。家族は,家事を自分の仕事ではなく,あなたの仕事と認識しているからである。
ならばいっそのこと、全ての家事を私の仕事と割り切ってみたらどうだろう。
そして、家族に仕事を振り,やってくれたら,ありがとうと言う。
私だけの仕事じゃないと思うと文句が出る。家族も文句を言われては,手伝う気にもならないだろう。
だけど、自分の仕事だと割り切れば,手伝ってくれる人には感謝が出る。ありがとうと言われれば,気持ちがいい。
家族や周りにこれは私だけの仕事じゃないと説得するより、ありがとうを振り撒いて,家族を家事に巻き込む方が簡単ではないか。ありがとうはいくら言ってもタダである。
まずはわかりやすい、ごみ捨てや、お風呂洗からやってもらおう。
うちは,お風呂洗いを手伝ってもらっているうちに、パパの仕事になった。パパが遅い時は、1番にお風呂に入りたい次女がやってくれる。地味に助かる。時々は私もする。
ゴミ捨ては,1番面倒な各部屋からの回収をして、パパに持って行ってもらう。今では,回収もしてくれる。
もちろん,ありがとう,助かる,ごめんねなどの言葉を大放出する(笑)
たくさん働いてくれた日は,パパの好きな物を考えて夕飯を作る。
つぎは、怠けものの娘たちを引き入れよう。高校,大学になって忙しい娘たちは、家事にノータッチになってしまった。
少し、SOSを出してみるか。
ねえ,洗濯物溜まってきた。ちょっと干すの手伝ってくれる?くれる?
日曜日の朝である。返事はない。
やっぱり、パパより娘の方が手強い。
わたしの「ありがとう家事分担計画」はかなり長期計画になりそうである。気長にやろう。気長に。
