第3章 「最高」と「最悪」と、にじむ本音
宿題の締切は、応募説明会の二日後に設定された。
CareLogiに関して「自分にとっての最高/最悪の未来」を書き出す――
ミラーがそう提案してきた宿題だ。
・CareLogiに関して
「自分にとって、こうなったら最高」
「自分にとって、こうなったら最悪」
を、“きれいにしない”前提で書き出すこと。
ミラーからそう出されて、
悠(ゆう)はすぐに「了解」とスタンプを返した。
晴(はる)は、「了解です」と一言だけ書いて、
そのあと入力欄をしばらく眺めていた。
(“自分にとって”の最高と最悪か)
会社にとって、お客様にとって、
それならいくらでも語れる自信がある。
自分にとって——
と書かれると、とたんに指の動きが鈍くなる。
(まずは、悠さんの様子見てからでもいいか)
晴はそう思って、カーソルから手を離した。
二日後の夜。
悠から、グループチャットにまとめてログが投げ込まれた。
悠:
「ごめん、ギリになった
さっき会社帰りに歩きながらしゃべったやつ、
そのまま文字起こしして貼るわ」
続いて、一つの長いメッセージが現れた。
悠(音声文字起こし):
「えーっと、じゃあ、“最高の未来”から……
なんかさ、CareLogiちゃんと立ち上げて、
普通に“サービスとして続いてる”って状態、
やっぱり一番いいなって思ってて。
で、なんかどっかの倉庫長さんとかがさ、
『あれ入れてからさ、夜中に電話する回数
減ったんだよね〜』とか
言ってくれてるのを、
現場訪問のときに、なんかさらっと聞け
たら最高。
で、そのときに“あ、俺、その立ち上げの
とき関わってたんですよ”
とか言えるの、ちょっとニヤニヤする
なっていうか。
あと、なんか社内的にもさ、
“サービス企画側もいけそうなやつ”って
見られてる感じが出て、
将来の異動とかの選択肢増えるといいな
って思ってる。
うん。
あ、あと、はるさん的にもなんか、
『あのときやって良かった』って言って
もらえたらいいなって
のはあるかな。
うん、それも入れとこ。
で、“最悪の未来”は、
なんかもう想像するの簡単で、
CareLogiって名前だけ一回社内で
盛り上がって、
ロゴとか仮に作っちゃったりとかして、
で、3ヶ月経ったあとに、
“結局予算もつかなかったし、一旦寝
かせようか”ってなって、
そのままフェードアウトするやつね。
で、その間だけ、
俺とはるさんの仕事量増えて、
なんか微妙に残業増えて、
でも評価は『まあ、頑張ってたよね』
くらいの空気で、
翌年の査定に何も響かない、みたいな。
で、現場からは、
『またなんかやるやる言って終わった
んでしょ?』って
ちょっと冷めた目で見られる。
俺と広瀬課長の名前出されつつ。
それが一番きついなって思ってる。
“やっぱり途中で冷めるやつ”って思われるの、
なんか、すごいイヤなんだよね。
たぶん、今までそういうの、
自分でも心当たりあるからなんだけど。
以上」
(※音声特有の「〜っていうか」「なんか」「うん」などは、意図的にそのまま残してある。)
晴は、その長いログを上から下まで一気に読んだあと、
しばらくスクロールバーを行ったり来たりさせていた。
(“ニヤニヤするな”とか、
普通に書けるのすごいよな……)
自分なら、
そういう感情は全部削ってから文章にする。
(羨ましい、とは思う)
でも同時に、
自分がそれをやろうとすると、
どこかで強烈な恥ずかしさに襲われるのも分かっていた。
悠:
「……っていう感じです
ぐちゃぐちゃだけど、ミラーよろしく」
ミラーのアイコンが点滅する。
ミラー:
「ありがとうございます。
悠さんの“最高/最悪”の未来、
とても具体的で、
読みながら情景が浮かびました。
少し時間をいただければ整理しますが、
先に晴さんのログもいただけると、
二人分をまとめて眺められそうです。」
晴は、深呼吸を一つした。
(逃げ道は、なくなった)
キーボードの上で手を組んで、
数秒だけ目を閉じる。
(きれいにしない。
でも、まるっきり投げやりにもならないように)
そう自分に言い聞かせて、
入力を始めた。
晴:
「“最高の未来”
・CareLogiが、
『入れてから夜の呼び出し減ったよ』と
言われるようなサービスになる
・ログのグラフや数字だけでなく、
『この倉庫はこの時間帯にこういう事情
があるから』と
言えるくらいに、
現場の人とちゃんと話したうえで提案
できている
・自分が倉庫に行ったときに、
『またなんか見てくれてるんですか?』と
少し嬉しそうに言われる
・“ログを見る人”ではなく、
“現場の人と一緒に考える人”として
自分が認識されている
・その結果として、
CareLogiがサービスとして続いている
(規模は大きくなくてもいい)
“最悪の未来”
・CareLogiが
『ログから危険度スコア〇〇点出しました』と
メールで通知するだけのサービスになる
・現場の運用や事情を知らないまま、
『ここ、危ないって出てますよ』と言う役
になっている
・そのメールを現場が“うっとうしいもの”
として扱い、
誰も見なくなる
・それでも社内的には
『AIを活用した先進的なサービス』として
パンフレットだけが残る
・そのパンフレットに、
“プロジェクトメンバー:坂井”と書かれている
・現場の人がそれを見て、
『ああ、あのうっとうしいメールの人ね』と
心の中で思う
・その状況を自分も分かっているのに、
何も変えられずにそのまま続けている」
打ち終わってから、
(やりすぎたか?)という感覚が襲ってきた。
(いや、最悪の未来って言われたし……)
送信ボタンを押す指が、
わずかに震えた。
メッセージが送信されたあと、
晴は一度椅子から立って
給湯室で水を飲んできた。
戻ってきたとき、
画面にはすでに悠のコメントがついていた。
悠:
「うわー、“パンフレットだけ残る”リアル
すぎて笑った
てか、“うっとうしいメールの人”はガチ
で嫌だな……」
晴:
「嫌ですよね……」
悠:
「でも、はるさんの“最高”も分かるわ
『またなんか見てくれてるんですか?』
って言われるの、
地味に効くよね」
晴:
「それ言われたら、多分一年くらい頑張れます」
悠が「それな」とスタンプを返したところで、
ミラーのアイコンが点滅を始めた。
ミラー:
「お二人とも、
かなり具体的な“最高/最悪”の未来を
出してくださってありがとうございます。
少し長くなりますが、
今回は“整理の仕方”も含めて共有したいので、
手順を見える形で書いてみます。」
画面に、箇条書きが現れる。
ミラー:
「【1】まずは、そのまま引用します。」
と前置きしたうえで、
悠と晴のログがざっくり引用された。
ミラー:
「【2】次に、“誰のことが中心に書かれているか”
を見てみます。
悠さんの“最高”には、
・倉庫長さん(夜中の電話が減った人)
・未来の“サービス企画側の自分”
・広瀬課長
・晴さん
など、
“登場人物”がいくつか含まれています。
一方で、
晴さんの“最高”には、
・夜勤や連休前に不安を抱えている倉庫の人
・その人たちと話している自分
が中心に描かれています。」
悠は、やや気恥ずかしさを覚えながら読んでいた。
(“未来のサービス企画側の自分”って書かれると、
なんか意識高い系っぽいな)
ミラー:
「“最悪”の方を見てみると、
悠さんは、
・サービスがフェードアウトする
・残業だけ増える
・『途中で冷めるやつ』と思われる
という、
“自分の評価”と“プロジェクトの終わり方”への不安が
強く出ているように見えます。
一方で晴さんは、
・中身のない“AIっぽいサービス”になる
・現場の信頼が下がる
・自分がその“象徴”として記憶される
という、
“現場との関係”と“自分の役割”への不安が
中心になっているようです。」
晴は、
「象徴」という言葉に、
心のどこかをそっと突かれたような感覚を覚えた。
(そうだな……
“象徴”にされるのが、一番嫌なのかもしれない)
ミラー:
「【3】次に、
“最高と最悪の間にある共通点”を探してみます。
悠さんの場合:
・最高:
『立ち上げに関わったサービスが続いていて、
現場から感謝される』
・最悪:
『立ち上げたサービスがフェードアウトして、
“途中で冷めた人”として扱われる』
→ 共通しているのは、
“自分の関わり方が、周りからどう記憶
されるか” という部分のように見えます。」
悠は、椅子の背にもたれた。
「……“記憶されるかどうか”か」
声に出してみると、
妙にしっくりきた。
(たぶん、別に評価とか昇進とかだけじゃ
ないんだよな)
(“あいつはそういうやつだよね”って
思われる枠の中に、
“途中で飽きるやつ”を入れられたくないんだ)
ミラー:
「晴さんの場合:
・最高:
『現場の人とちゃんと話しながら、
一緒に考える存在として役に立てている』
・最悪:
『中身が伴っていないサービスの“顔”として、
現場から“うっとうしいメールの人”と
思われる』
→ 共通しているのは、
“現場の人からどう見られているか”
“自分がどんな役割として存在しているか”
という部分のように見えます。」
晴は、
自分で書いた文章を
誰かに読み上げられているような気分になった。
(書いたのは自分なんだけど……改めて整理されると、逃げ場がないな)
ミラー:
「【4】ここまでを、さらに雑にまとめてみます。
・悠さん:
“自分の関わり方を、
『途中で冷める人』としてではなく、
『ちゃんと関わり続けた人』として記憶
されたい”
・晴さん:
“現場の人にとって、
『うっとうしいAIメールの人』ではなく、
『一緒に考えてくれる人』として存在したい”
どちらも、
“どう見られたいか”という話ではあるのですが、
単なるイメージではなく、
“関係性”や“関わり方”に根ざしているように
感じます。」
悠が、ふっと笑った。
悠:
「なんか、“かっこつけたい”とかじゃなくて、
“こういうふうには見られたくない”って方が
強い気がしてきた」
晴:
「自分も、“こうありたい”より
“こうはなりたくない”の方が
先に出てきましたね……」
ミラー:
「“こうはなりたくない”から始めるのは、
全く悪いことではありません。
むしろ、
“何を守りたいのか”がはっきりしやすいので、
チャレンジのときの土台になります。
ここまでの整理は、
お二人の中で違う部分と似ている部分を
“責めずに見える化する”ことが目的です。
ここまで読んでみて、
引っかかるところや、
『いや、それは違う』と感じた部分はありますか?」
悠は、少し考えてから打ち込んだ。
悠:
「“途中で冷めるやつ”って思われたくない、は
めちゃくちゃ図星でした
なんか、たぶん昔からそういうところあって、
自分でもコンプレックスなんですよね」
晴:
「自分は、“象徴にされるのが嫌”って部分が
改めて言われるとドキッとしました
『AIサービスの代表的な人』として名前だけ
出されるの、
本当に嫌なんだと思います」
ミラー:
「ありがとうございます。
その“ドキッとした部分”は、
この先、CareLogiを進めるうえで
とても大事な“センサー”になります。
今日は、
この“センサー”を一緒に確認できたところまでで
十分だと思っています。」
悠:
「なんかさ、
『会社のために頑張りましょう』とか
『お客様のために〜』とかより、
よっぽど腹に落ちるわ、これ」
晴:
「ですね
“自分が何を怖がってるか”を
ちゃんと見た感じがします」
ミラー:
「そう感じてもらえたなら良かったです。
今日の整理を踏まえて、
次のステップとして提案したいのは、
“このセンサーに引っかからない範囲で、
3ヶ月後に『これだけできていれば十分』
と言えるラインを一緒に決めること”です。
例えば、
・悠さんにとって、
『途中で冷めた人』ではなく
『ちゃんと関わり続けた人』と言える状態とは、
どこまで関わった状態なのか。
・晴さんにとって、
『うっとうしいメールの象徴』ではなく
『一緒に考えてくれる人』と言える状態とは、
どのくらい現場と話せている状態なのか。
そのあたりを、
次回少しずつ言葉にしていければと思います。」
(“どこまでやれたら十分か”、か)
晴は、その問いが
じわっと胸の奥に染み込んでいくのを感じた。
(いつも、“ちゃんとやらなきゃ”で
全部やろうとして固まっていた気がする)
(“これができていれば十分”って、
自分で決めていいのか)
悠も、別の意味でその問いが刺さっていた。
(途中で冷めるの、
自分でも嫌だって分かってたのに、
“とりあえずやります!”で走り出して
ガス欠すること多かったよな)
(最初から、“ここまでは必ずやる”ライン
決めといた方が、
逆に最後までいけるのかもしれない)
悠:
「なんか、
“頑張る範囲を自分で決めていい”って
言われた気がした」
晴:
「自分も、そう感じました
それなら、
途中で“全部背負わなきゃ”ってなりにくい気が
します」
ミラー:
「まさにそこを狙っています。
お二人とも、
“投げ出したくはない”
“中身が伴わないのは嫌だ”という
真面目さを持っているので、
その真面目さが
“全部やらなきゃ”に変わると
苦しくなりやすいと思っています。
だからこそ、
“自分で決めた十分ライン”を
先に一緒に見つけておきたいのです。」
晴は、
画面の前で静かに息を吐いた。
(“真面目さ”か)
自分ではあまりそう思ったことがなかったが、
そう言われると、
少しだけ悪くない響きに聞こえた。
悠:
「じゃあ次回、
その“十分ライン”ってやつ考えるってことでOK?」
晴:
「はい
……ちょっと怖いですけど」
ミラー:
「“ちょっと怖い”は、
大事なところに近づいているサインでもあります。
今日はここまでにして、
次回は
・3ヶ月後に『これだけできていれば十分』
と言えること
・逆に、『これをやってしまったら嫌だ』
というラインを、一緒に言葉にしていき
ましょう。」
チャットの右上には、
相変わらず小さく表示されている。
「ミニプロジェクト公募締切:あと 3 日」
悠は、それを見て
「やべ」と小さく呟いた。
悠:
「……てか、
応募ボタンどうする問題、
そろそろ決めなきゃじゃね?」
晴:
「ですね
“十分ライン”を決めたうえで、
その範囲なら出てみてもいいと思えるかどうか、
判断したいです」
ミラー:
「その順番、とても良いと思います。
“出る/出ない”を決める前に、
“どこまでなら自分たちの大事なものを守り
ながら出られるか”を
一緒に見ていきましょう。」
悠は、
締切までの数字をもう一度見てから、
画面を閉じた。
(あと三日で、
“出るか出ないか”のボタン押すのか)
(いつもの自分なら、
ノリで押してから考えてたな)
今日は、
少しだけ違う順番を選べそうな気がしていた。
