クリティカル・ハイウェイ〜極東ストリーム〜(完)🏍
極東新区、第三環状線。
「おいハルキ! コーナーの入りが甘ぇんだよ! 0.5秒遅れてるぞ!」
アツシが無線越しに、バカにしたような笑い声を飛ばす。
彼の駆る『アシュラ』のテールランプが、深夜のネオンを切り裂いていく。
「アツシ! 現在の速度域でこれ以上バンク角を深めたら、タイヤの摩擦係数を超える。物理的に不可能だ!」
カイトが冷静に突っ込むが、ハルキはカイトの演算を無視してアクセルを開けた。
「物理なんて知るか! 理屈はいい!魂で曲がれ! ……らあぁ!!」
ハルキの愛機ケルベロスが、火花を散らしながらアシュラのインを強引に刺す。
三台のバイクが、酸性雨の鉛色の飛沫を巻き上げながら、長大なコンクリートの蛇のような環状線を一塊になって疾走する。
「……ハハハ! 最高だな、お前ら!」
アツシがヘルメット越しに、ニカッと笑うのが見えた。
走っている時だけは、身分も、サイバネティクスの適合率も、貧困も関係なかった。
路面から伝わる振動と、エンジンの咆哮、そして隣を走る仲間の気配。
「いつか、この環状線の外側まで行こうぜ」
アツシがポツリと言ったその言葉を、ハルキとカイトは笑って流した。
「外? この檻の外に、何があるってんだよ」
ハルキが突っ込む。
「さぁな。でも、今より速く走れる場所がある気がする」
カイトが、わずかに沈黙してから言った。
「……観測データは存在しない。だが、仮説としては否定できない」
三人はまた笑った。
この偽物の空の下が、世界のすべてだと思っていた。
あの頃は、アスファルトに刻まれた三本の轍が、ずっと続くものだと信じていた。
第八廃棄管区の最奥。
そこは、都市の全データを処理する巨大なサーバーであり、同時に街の汚水と熱気が集まる、極東新区の脳髄だった。
数千本の光ファイバーケーブルが血管のように錯綜し、青白い光を放って脈動している。
その中心に、アツシの駆るアシュラがいた。
車体はナノマシンによって肥大化し、もはやバイクの原型を留めていない。
周囲のケーブルから強引に電力を吸い上げ、アシュラ自体が巨大な黒い電磁の塊と化していた。
「……遅い……。すべてを……ひとつに……」
アツシの声が、データセンターの冷却ファンの轟音に混ざり、重低音となってあたりに響く。
そこへ、一本の光の矢が突入した。
二台の機体がシステム的なリンク接続を完了し、変態を遂げる。
ハルキとカイトが融合した、ケルベロス・セイヴィアー。
ハルキの生体脳とカイトの電脳が完璧に同期し、瞳の奥では電子の渦と生身の衝動が、凄まじい熱量でせめぎ合っている。
「……処理遅延、増加。……同期率、低下。……補正、実行」
カイトの声に、微かなノイズが混じる。
「まだいけるだろ、カイト」
「……問題ない。……だが、余裕はない」
ツイン・モーターの咆哮は、超臨界状態を示す高周波へと変わり、車体からは青白いプラズマが放電されていた。
「アツシィィィイイ!!」
ハルキの絶叫と共に、セイヴィアーが弾け飛んだ。
「全部、繋げる……! この街ごと……!」
アツシの周囲に目視できない電磁バリアが展開される。
アシュラからの黒い波が膨張する。
「解析完了。ターゲットのジャミング波形特定。……クロックアップ、……不可。だが、……『視認』は可能。視認化する」
脳内でカイトの声が響く。
カイトの演算は、アシュラの周囲に展開された不可視の電磁バリアを、ハルキの網膜に「赤い霧」として可視化させた。
「そこかァァア!!」
ハルキは赤い霧の薄い箇所を直感的に見抜き、そこへ向かってセイヴィアーを突進させた。
アシュラから放たれた黒い触手のようなナノマシンが、セイヴィアーに肉薄する。
しかし、ハルキはそれを、ミリ単位の回避行動でかわし続ける。
カイトの正確無比な動きと、ハルキの肉体の反射が、物理法則を超えた機動を生み出していた。
「……予測誤差、増加……」
「外すなよ、カイト!」
「……外さない。……だが——」
ノイズが強くなる。
言葉が、短くなる。
「無駄だ、ハルキ……。この都市のシステムすべてが、俺の味方だ!」
アツシが両手を広げると、データセンターの巨大なサーバーラックが崩れ落ち、セイヴィアーの進路を塞ぐ。
さらに、周囲のケーブルから高圧電流が放たれ、セイヴィアーの車体を焼く。
「……システム、過負荷。……義体の装甲、融解。……脳内温度、上昇。……危険域。……限界だ。……ハルキ」
カイトの警告が、ノイズ混じりに響く。
「まだだ!!」
「……ここから先は、……計算では届かない」
少し沈黙してから、カイトは言った。
「……任せる」
その言葉で、すべてが繋がった。
ハルキの首筋からは、血と冷却材が混ざり合った液体が、煙を立てて流れ落ちていた。
脳が焼ける。
意識が遠のく。
(……くそっ、ここまでか……!)
その刹那、ハルキの脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックした。
三人で走った、極東新区の第三環状線。
アツシが、コーナーの手前で一瞬だけ見せた笑顔、あの独特なアクセルワーク。
(……あいつ、あの時……いつも……)
ハルキの「予感」が、カイトの演算ロジックを飛び越えた。
「カイト!全エネルギーを、フロントの電磁アンカーに回せ!」
「……了解。……だが、……全エネルギーを回せば、エンジン・モーターが止まるぞ……私たちのゴーストは……」
「構わねぇ!あいつを止めるのは、……今しかねぇ!慣性だけでねじ込むぞ!」
セイヴィアーは、崩れ落ちるサーバーラックを飛び越え、アシュラの真正面へと突っ込んだ。
アシュラが、巨大な黒い壁となって、セイヴィアーを圧殺しようとする。
激突の瞬間。
ハルキは、セイヴィアーを強引に横滑りさせ、アシュラのカウルのある一点に向けて、フロントの電磁アンカーを射出した。
「グュウィィィィィン!!」
アンカーは、アシュラの肥大化した装甲を突き破り、その奥にある、本来のアシュラのフレーム、……アツシがかつて愛した、あのバイクのフレームへと、見事に突き刺さった。
「な……!?……俺の……フレームに……!?」
アツシの声に、驚愕が混ざる。
カイトの演算は、アシュラの電磁バリアの脆弱性を見抜いていた。
だが、ハルキの野生的な直感は、その奥にある、アツシの心臓部を捉えていた。
「カイト、今だァァァァア!!」
ハルキの叫びと共に、アンカーを通じてセイヴィアーの全エネルギーが、アシュラのフレームへと一気に流れ込んだ。
超臨界状態の電子の奔流が、アシュラを構成するナノマシンを、内部から焼き尽くしていく。
「グアァァァァァァァアア!!」
アツシの絶叫が、第八廃棄管区のサーバー全体に響き渡る。
黒い霧が散って、アシュラの肥大化したボディが崩壊していく。
その奥から、本来のアツシの姿が、一瞬だけ、……あの日と変わらない、ニカッと笑ったアツシの顔が現れた。
「……やっと……追いついたな……ハルキ」
「バカ野郎……」
「カイトも……いるんだろ……?」
ハルキは、答えない。
答えられない。
「……ハルキ、カイト。……ありがと、な……」
合成音声ではない、アツシ自身の生身の声。
それは、溶鉱炉のように燃え盛る赤銅色の渦の中に、静かに溶けていった。
激しい爆発と共に、アシュラは完全に消滅した。
その衝撃波で、データセンターの光ファイバー回線が、次々と引き千切られていく。
極東新区のシステムが、瞬間的に停止した。
静寂。
崩れ落ちたサーバーラックと、融解した金属の、鼻腔を突く異臭が漂っていた。
瓦礫の中で、大破したケルベロス・セイヴィアーは横たわっていた。
車体は真っ黒に焼け焦げ、エンジンから立ち上る煙は消えて、ただの鉄の塊と化している。
ハルキは、ケルベロスのシートから這い出した。
全身は火傷と血で覆われ、右腕は動かない。
首筋のポートからは、カイトのコネクタが、溶け落ちるようにして外れていた。
「……カイト……」
ハルキは、動かないカイトのコネクタに触れた。
冷たい。
生体反応も、電子の脈動も、何もない。
カイトのゴーストは、あの最終出力の瞬間に、アツシのナノマシンと共に、煉獄の彼方へと消滅したのだ。
「……バカ野郎。……ひとり消えやがって……お前だけヒーローじゃねぇか……」
ハルキは、瓦礫の山を見上げた。
データセンターの天井が崩れ、そこから、本物の夜空が、……酸性雨に濡れていない、星の瞬く夜空が、一瞬だけ、見えた気がした。
ハルキは、焼け焦げたケルベロスのタンクを、左手で殴りつけた。
「……また、俺だけ……生き残っちまった」
首筋のポートに残ったカイトのコネクタの破片を握りしめ、ゆっくりと立ち上がった。
全身の痛みは、生身の人間であることを、残酷なまでに主張していた。
ハルキは、崩壊したデータセンターの闇を背に、ゆっくりと、歩き出した。
彼方のビルの上層階では、一時的に停止していたホログラム広告が、再び、やけに鮮やかな明滅を始めていた。
極東新区の夜は、何事もなかったかのように、また偽物の夜の熱を帯びていく。
ハルキの網膜には、青白い光の残照が、いつまでも消えなかった。
あの大規模なシステム障害から、数年が経った。
第八廃棄管区の事件は、公式記録では「原因不明の過負荷による自壊」として処理され、アツシの名も、カイトの消失も、都市の膨大なデータの中に埋もれて消えた。
皮肉にも極東新区は、あの日よりも明るくなった。
システムの再構築により、ホログラムの解像度は上がり、かつての薄汚れた熱気は、管理された無機質な清潔感に取ってかわっていた。
街が、過去の傷跡を上書きして消し去ろうとしている。
街外れの修理工場。
夕暮れのスクラップ場には、右足を少し引きずりながら歩く男の姿があった。
ハルキは、錆びついたコンテナの陰で、一台のバイクの整備を終えたところだった。
寄せ集めのパーツで作られた、ただの旧式バイクだ。
彼は首筋のポートに触れた。
そこには今も、カイトのコネクタの破片が埋まっている。
神経と癒着し、もはや摘出不能なそれは、時折、古い演算回路のような幻痛を走らせる。
「……ちょっと走るか」
エンジンをかける。
低く重い排気音が、スクラップ場に響く。
彼はふと、空を見上げた。
高層ビルの隙間から見える空は、相変わらず偽物の茜色を投影しているが、あの一瞬にだけ見えた、本当の夜空の星の瞬きを、忘れてはいない。
「おまえら……行くぞ!」
ハルキはアクセルをひねり、光り輝く監獄のような都市へと走り出した。
その眼には、三本の轍が、今も鮮やかに焼き付いている。
たとえ隣に友がいなくても、ハルキが走り続ける限り、その轍が途切れることはない。🛣🏙

