SNSでの発信について今思うこと
最近、SNSの限界を強く感じる。かつてSNSは、「人と人が繋がる場所」だった。少なくとも2010年代後半から2020年前後までは、コミュニティ形成や情報交換、趣味や価値観を共有するための空間として機能していたと思う。しかし現在、SNSは根本的に別のものへと変質している。もはや主目的は「繋がり」ではなく、広告とアテンションの獲得であり、アルゴリズムによる滞在時間の最大化である。
特にAIの普及やアルゴリズムの変化以降、その傾向はさらに加速した。以前であれば、SNSは一次情報や現場感覚を得るための「情報収集」の場としても機能していた。しかし現在は、アルゴリズムによって過剰に最適化されたコンテンツが流れ込み続け、さらにはAIのテクノロジー的精度が高まることで何が本当に重要な情報なのかすら見えづらくなっている。しかも、その一方でSNS上の数字や反応は、音楽、出版、研究、映画、アートなど、ほぼあらゆる業界において以前にも増して重要視されるようになった。
音楽業界はその象徴的な例だろう。本来であれば、長期的な育成や作品作り、ライブ経験を積み重ねる中でアーティストは成長していくはずだった。しかし今は、既にSNS上で数字を持っていることが前提条件になりつつある。レーベルは「これから育つ才能」より、「既にファンベースが可視化されている人材」を求める。さらにアーティストは楽曲制作やパフォーマンスだけではなく、日々コンテンツを投稿し続ける、ほぼインフルエンサーと同義の「クリエイター」的な役割まで求められるようになった。
しかし視聴者側も、膨大なコンテンツによってアテンションを引き裂かれている。そのため、発信はどんどん過激化していく。なぜなら、短時間で強い刺激を与えなければ埋もれるからだ。結果として、作品そのものよりも、「どれだけ強い感情を瞬間的に発生させられるか」が重視される構造になっていく。
これは音楽業界だけの話ではない。作家も研究者も、ある種の「インフルエンサー性」を求められる時代になった。もちろん全員がその流れに乗っているわけではないし、意図的に距離を取っている人もいる。それでも、SNS上で継続的に存在感を保ち続けるためには、「リアルを見せる」ことや、絶えず新鮮な発信をし続けることが半ば義務化されている。だが、その負荷は想像以上に大きい。体力的にも精神的にも、その速度についていける人だけが生き残れる構造になりつつある。
特に問題なのは、「発言」が過剰な意味を持たされることだ。本来、人間の意見や感情は揺れ動くものであり、文脈やタイミングによっても変化する。しかしSNSでは、一つの投稿が切り取られ、極端に単純化され、人格全体の証明のように扱われる。しかも現在のプラットフォーム構造は、対話よりも対立の方が拡散されやすい。わざと炎上を起こして収益化する人々も増え、「怒り」や「不快感」が最も強いエンゲージメントを生む以上、アルゴリズムもそれを優先的に増幅していく。
その結果、「言いたいことを言う」「リアルを見せる」という行為そのものが、以前より遥かに高リスクになった。だから最近、「アーティストは政治的発言をするべきか」という議論を見るたびに、単純に「発言すべき」「沈黙は加担だ」と言い切れない複雑さを感じる。もちろん、自分の信念や社会問題について声を上げることは重要だ。しかし今のSNS環境では、その発言が冷静に受け止められる保証はどこにもない。むしろ、断片化され、拡大解釈され、攻撃の材料にされる可能性の方が高い。
実際、現在のSNSで積極的に発信を続けられるのは、「誰に何を言われても全く気にならない」「炎上すら注目として楽しめる」タイプのメンタルを持った人に偏りつつある。逆に、誠実に対話しようとする人、他人を傷つけたくないと考える人ほど消耗していく。結果として、良心的な人々がプラットフォームから離れ、さらに悪意と敵対心が濃縮された環境が出来上がっていく。
その傾向を特に強く感じるのがThreadsだ。X(旧Twitter)も十分に過酷だが、Threadsはまた別種の問題を抱えている。フォローしているわけでも、関心があるわけでもない投稿が大量に流れてきて、その多くが「不快感」を引き起こすことでエンゲージメントを稼ぐ構造になっている。プラットフォーム側が意図的に対立や嫌悪感をアルゴリズムで増幅し、それに反応した人々が攻撃的なコメントを書き込む。怒りや嫌悪感によってユーザーをアプリに留め続ける設計だ。
さらにThreadsでは、従来のSNSにあったコミュニティ性や文脈が極端に希薄だ。既存のフォロワー関係やカルチャーが存在しないまま、匿名性の高い空間で無数の「一般人」が突然可視化される。その結果、本来は限られたコミュニティの中で共有されるはずだった悩みや葛藤、精神的な不調に関する投稿までもが、無関係な大量の他者に届き、嘲笑や攻撃の対象になる。
私は以前から本でも書いてきたが、2020年前後には確かに存在していたSNS上の「コミュニティ性」は現在ほとんど消失している。同じアプリ名でも、中身は完全に別物になったと考えた方がいい。かつてFacebookや初期Twitterの感覚で投稿していたものが、今では世界中の見知らぬ他人のジャッジ対象として流通する。にもかかわらず、多くの人はその変化を十分に認識できていない。
だからこそ、「なぜアーティストは発言しなくなったのか」「なぜ慎重になるのか」という問いに対して、単純な言説で一概に片付けるべきではないと思う。問題なのは個人の姿勢だけではなく、その発言を消費し、増幅し、時に破壊する現在のSNS構造そのものにもある。メッセージを介する媒体に目を向けない限りは、本当の問題が透明化されてしまうばかりだ。
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