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それは誰に向けたメッセージなのか パーソナルコミュニケーションとマスコミュニケーション

団子坂こころのカウンセリングルーム-KIKU-を開設してから、noteというオンライン上の場所に、小さなエッセイをいくつか掲載してきました。私は不特定多数の方々に向けて、カウンセリングや私たちのカウンセリングルームに興味を持っていただくことを目的として、記事を書いています。このような不特定多数に向けたメッセージはマスコミュニケーションですが、パーソナルコミュニケーションの世界で生活してきた私は、はじめ非常に戸惑いを感じました。自分が知らないところで、知らない人が自分のメッセージ(記事)に何かを感じていて、それを知ることができないままでいるのはこわいことであり、プライベートや同業の知人、友人、親しい人が目にしたり、直接フィードバックをもらうことにもどこか居心地の悪さを感じます。


当たり前と思われるかも知れませんが、どこで、誰に向けて、どのように発信するのかによって、思考や感情の流れ方がずいぶんと違うことに、改めて驚きました。誰の目にも触れない自分だけの記録(日記)なのか、特定の人に読んでもらう手紙なのか、LINEで伝えるのか、会って話すのか、仕事仲間と話すのか、研究会など公の場で報告、議論するのか、などなど。私はパーソナルコミュニケーションが好きで、「いつどこで誰に何を話そう」と相手を想定したり、実際に話したことに反応をもらうことで、自分自身の中に湧き起こってくるものが興味深く、楽しく感じます。


集団精神療法の手法の一つに、「大グループ」というものがあります。広い部屋(場所)に50人、100人という大人数のメンバーが集まって、始めと終わりの時間のみが決められていて、その場で思い浮かんだことをことを話す、それを皆で聞く、というルールで行われるセッションです。テーマも、話す順番も決まりはなく、話す内容も、長さも自由です。多くの場合、大人数が集まる場には発表者や司会者がいて、あらかじめ進行が決まっているものです。発表者と聴衆は向き合うかたちで会場が設営され、前方の席に関与度の高いメンバーが配置されていることが多いと思います。ところが大グループでは、部屋のどちらが前ということはなく、席は多重円状に並べられ、メンバーは好きな席を選んで座ります。リーダーはあらかじめ決まっていますが、司会進行を担う役割はなく、グループがグループでいること(つまり、メンバーが自分の意志で大グループにとどまる)を守り、メンバーのからだの安全、こころの安全を守り、各々がグループに居ながら自分のこころを体験的に知ること、率直に自己表現すること、自分自身を理解することを促進するために、目配り、気配り、発言を行います。


私は、学会の中で実施される大グループや、実験的に設定された大グループに参加したことがあります。どの大グループでも、始まる時はそこに居るだけで緊張します。その中で何か話そうとするとドキドキします。発言のタイミングを逃して悔しくなったり、時には怖い思いをすることもあるのですが、私は程よく鈍感で、自分なりの身の置き方を何となく心得たのか、比較的楽しんで参加できるようになりました。自分の中にあまりにもたくさんの感情が湧き起こってくることに驚き、圧倒されることもあります。


大グループでは、グループ全体に向けた発言だけでなく、相手を特定した発言やメンバー同士での会話や対話も生じます。日常のコミュニケーションでは、話しかけられた相手は応答を返すのが自然ですが、大グループではそれに答えるも答えないも自由。表に見える応答がないと、「既読スルー」と似たような後味を体験します。しかも、それをメンバー全員が見ています。それなので、私は悩んでしまいます。本当にこのグループの中でこの人に言いたいことなのか? ただ言いたいだけなのか? 反応が欲しいのか? 意志や真意を問われていると感じます。セッション中でなくても個人的に話せばいいではないかという考え方もありますが、グループにおいて全体に聞き届けられるという環境の中で発信することは、二人にとって意味も体験も全く異なります。


ここに書いたことは、大グループで起きる現象、体験のほんの一例です。100人のメンバーがいたら100通りの見え方、体験があります。大グループは、マスコミュニケーションとパーソナルコミュニケーションがリアルの場所で同時に行われるような、自然発生的には生じない事態と言えるでしょう。物理的な場所を共有すること、時間の連続性があること、そして自分と他者が身体ごとそこに存在すること、これらの要素がコミュニケーションを特別なものにします。それは、言葉になるものもならないものも含め、からだが直接感じることができる体験で、その場に存在している人と人が共鳴するからなのです。


「グループ」といえば、オンラインのグループを思い浮かべる方もいるかもしれません。人々が、グループチャットやS N Sと繋がりながら生活するようになった今や、場所、時間を共通土台とするコミュニケーションはますます貴重なものになっています。ネット上には、誰から誰に向けて発信されたものかわからないメッセージが溢れていて、多くの人が人知れず傷ついています。つながる瞬間の安心を求めて、その一瞬、一瞬をつないでいくこともできますが、頭と指先だけで発信されたメッセージによって人の命が奪われることさえあるということが、ネットいじめや誹謗中傷、炎上などの現象によって明らかになっています。情報としての言葉や文字、記号によって人のこころがこんなにも深く傷つくのだということを予測できたでしょうか。時間、場所、からだという物理的なものから離れて情報が行き交うことによって、イメージや空想が暴走することの危うさを示唆していると言えるでしょう。


コミュニケーションを情報交換と捉える向きもあるかもしれませんが、お互いの顔と顔が見え、自分と相手のからだが同じ場所に存在するコミュニケーションは、情報交換以上の豊かな意味と体験があり、こころを守る幾つもの安全装置があります。そのための時間と場所を意図的に作っていくことが、これからますます大切になってくるのではないでしょうか。オンラインのコミュニケーションのように、相手が見えない状況ではなおさら、「それは誰に向けたメッセージなのか」と自分に問い、それを受け取った相手や、見ている人々に何を呼び起こすのかを自分のからだを使って吟味し、しなった枝が戻るような、伸ばしたゴムが縮むような、しなやかな主体性をもって発信することが必要ではないかと感じます。


団子坂こころのカウンセリングルーム-KIKU-カウンセラー 
臨床心理士 髙橋あすか


文京区千駄木にある心理相談室です。
「こころ」にまつわるお悩みやお困りごとがありましたらどうぞお気軽にご相談ください。
https://dango-kokoro.com

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