【本編無料】睡眠買い取ります。【ショートショート】
ピンチだ。
会社に遅刻寸前の俺は「頼む!近道であってくれ!」と願いながら一か八か路地裏に入った。
30分1,000円で睡眠買い取ります。
買取希望の方は枕元にバクの絵と分数を書いて眠りについてください。
あまりにも不思議な張り紙で足を止めた。時給2,000円だ。安月給な上にパチンコで借金を抱える俺にとって時給が目を離さなかった。しかし睡眠を買い取るなんてできる訳ない。すぐに誰かの悪戯だろうと考えるのをやめて会社に向かった。
仕事中もずっとあの張り紙が頭にあった。4時間売れば8,000円だ。毎日売れば8,000円×31日で24万8,000円になる。約25万円が手に入る。28日しかない2月ですら約22万円だ。月給15万でこんな重労働しながら怒られる日々ともおさらばできる。
仕事を終えるともう一度あの張り紙を見に行った。落ち着いて隅々まで舐めるように見たが行きで得た情報以外には何も得られなかった。
こういう上手い話には何か罠があるに決まっている。寿命が縮まるとか記憶がなくなるとかメリットだけじゃないはずだ。映画やアニメの見過ぎだろうか。でも何も注意書きがないのは怖い。
「興味がお有りですか?」
俺は身体をビクッとさせ右を見た。全身真っ黒のスーツを纏った男がこちらを見ている。口角が上がっているのに目は一切笑っていない。白い手袋をしているのがやけに気になった。
「こちら、普段から睡眠を多く取られている方に人気の買取サービスです。必要以上に売らなければ睡眠時間が少し減るだけで特に害はありません。」
「……買い取った睡眠はどこに?」
「販売しております。特に睡眠障害の方から人気なんです。」
よく寝られる人が睡眠を売り、よく寝られない人が睡眠を買う。よくできた商売だ。
「もし興味がお有りでしたら今晩試してみてください。枕元にバクの絵と売りたい分数を書くだけで構いません。翌朝までに枕元に代金を置かせていただきます。」
男は一歩も動かず、俺との距離を保ちながら話を続けた。
「ただし、買取は30分単位です。15分と書かれましても買取不可ですのでご注意下さい。」
カランッ
左の方で何やら音がした。音の正体を見つけようと目を凝らしたが何もなかった。もう一度右を見た時にはすでに男は消えていた。
その夜、俺は「バク イラスト」で検索した。バクの絵を描こうと思ったのだ。イラストで検索すると絵が下手な俺でも描けると思った。案外簡単な見た目をしている。
会社で配られたカレンダーの後ろにバクの絵を描いた。分数はどうしようか。まずは30分とも思ったが、30分1,000円の価値がある睡眠だ。今日の分を無駄にしたくないと思い、240分と書いた。
4時間と書いても良かったのかもしれないが、「時間を書いて」ではなくて「分数を書いて」と書かれていたのが引っかかってやめた。数字だけを見て4分と判断されたらたまらないと思ったからだ。
俺は枕元にバクと240分の文字が書かれた紙を置いて寝た。
翌朝、目を覚ますと俺は一目散に枕元を見た。そこには8,000円が無造作に置かれていた。時計を見るといつもより4時間早く起きている。きちんと取引が成立していた。
俺は寝ているだけで8,000円が手に入ったことに声にならない喜びを感じた。そして派手なガッツポーズを決めた。働かずにお金が手に入るのは嬉しい。もう誰がどうやってお金を置いていったのかなんてどうでも良かった。これでまたパチンコができる。増やした金で借金なんてあっという間に完済だ!
それから俺は頻繁に睡眠を買取に出した。安月給で働くのが馬鹿馬鹿しくなり会社を辞め、たくさん寝ることを考えた。
買い取ってもらう分数は日に日に増えていった。睡眠でお金を稼ぎ、他の時間は家でボーっとするかパチンコだ。体力をほとんど使わないので睡眠が短くてもへっちゃらだった。
しかしある日、480分を買取に出したのに翌朝枕元には8,000円しかなかった。8時間売ったのに4時間分のお金しかもらえなかったのだ。稼いだはずのお金が半分もない。
俺はすぐにあの男に文句を言うことにした。あの張り紙があった路地裏に向かったがあの男に会う方法がわからない。くそっ!と思いながら張り紙に目をやると文章が付け足されていた。
睡眠の質が悪い場合は、買取価格が下がります。
いつの間に書き足されたんだ。あの男はそんなことちっとも言ってなかったじゃないか。
「最近、お客様の睡眠は質が悪く、通常料金での買取は難しくなっております。」
ビクッとして右を見るとあの全身真っ黒のスーツを着た男が立っていた。相変わらず目は笑っていない。
「8時間も売って半分の値段にしかならないなんてあんまりだ!俺はずっと寝不足で頑張ってるんだ!!」
「しかしながら、質の悪い睡眠は高値で売れません。こちらも商売ですので……」
「じゃあ、8,000円返すから睡眠も返してくれ!!」
8時間売って8,000円にしかならないなら寝た方がマシだと思った。
「申し訳ありません。お客様が8時間売ったのも我々が8,000円を払ったのも証拠がなく対応できかねます。」
「何言っているんだ!これが今日枕元にあった8,000円だ!」
俺は寝起きでポケットに捩じ込まれままのお札を取り出して男に突きつけた。力が入りすぎてクシャクシャになったお札に一瞬ギョッとしたが、強く握った拳は下ろせなかった。
「我々が払ったお金だという証拠にはなりません。あなたがATMで下ろしたお金かもしれませんし、元々財布にあったお金かもしれませんよね。」
会社を辞め、睡眠を売って生活していた俺は「全部お前たちが払った金だ!!!」と叫びたかったが確かに証明できるものは何もなかった。目の前に突き出したお札が急に不気味なものに見えてきた。これは誰のお金だ?
カランッ
音に気を取られると男はすでに消えていた。
それから俺は睡眠の質を上げるために、怪しいサプリやグッズを買い漁った。よく寝られる睡眠法を試したり食生活に気をつけたり、ありとあらゆる方法を試した。
結果はどれもダメだった。
寝ることを考えすぎてしまい寝られなくなってしまったのだ。たまに睡眠を買取に出しても1時間で600円ほどにしかならなくなってしまった。
お金がなくなりバイトを始めた。会社員に戻る体力は無くなっていた。うまく寝付けずここのところ3時間睡眠。売れるほど睡眠は余っていない。
しばらくボーっとした生活をしていた俺は、久しぶりにあの路地裏に行った。何か生活を激変させる出会いがあるような気がしたのだ。
30分3,000円で睡眠を販売します。
買取希望の方は枕元にバクの絵と買いたい分数のお金を置いて目を閉じてください。
あの男、買い取った睡眠を3倍の値段で売ってやがる。路地裏で見つけたのは怒りだった。
「質が悪い睡眠でしたら格安ですよ。」
また黒スーツの男がどこからか現れて言った。今日も目は笑っていない。あの時と同じだ。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが俺は男を無視して家に帰った。
次の日、俺は気持ちよく起きることができた。枕元に置いた2万4,000円は姿を消していた。
それから俺は何度も睡眠を買った。すると徐々にうまく寝られるようになっていった。バイトにも力が入るようになり時給がアップした。
正社員の誘いを受けるまでになった。やはり人間にとって睡眠はかなり重要なようだ。今思えば30分1,000円は安すぎたのではないだろうか。
会社を辞めて5ヶ月ぐらい経ったころ、会社員時代の同僚から飲み会に誘われた。久しぶりにあの路地裏の近くを通った俺は妙にあの張り紙のその後が気になった。
睡眠泥棒にご注意下さい。
その夜、俺は一睡もできなかった。
あとがき
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