フェアじゃない「法案のデメリットだけ集めた二次創作を公式扱いはやめて欲しい話」
この文章はフェアに主張をしていないと思う。
内容ではなく、この文章の中にはずるい書き方が多々見受けられる。
内容については、この文章で扱わない。
その点を指摘するため、この文章を書いた。
無意識的または荒削りな点もあると思うので、細かいところは指摘しない、何度も繰り返される書き方を意図的であると判断し、指摘していく。
引用部分は全て上記noteからである。
文章の中で否定的に表現したい部分にのみ「!」をつけたり、叫ぶような口調にして感情的に見せている
「!」を含む文章を全て抜き出してみる
ただひたすらに、この条文がもし悪用されたら、こんな最悪の事態になるかもしれない!という極端なワーストケースばかりを抽出し、それらをつなぎ合わせて、ほら!こんなおぞましいディストピアが完成したぞおおお!!!!と大騒ぎする。
それなのに、そのメインストを完全に無かったことにして政府は国民を監視し言論を弾圧し独裁を企んでいる!!という自分たちの脳内で作り上げた都合のいいヴィラン設定を付与し、それを隠された真実だ!と吹聴して回っている。
光の部分を一切語らず影の落ちる部分だけを過剰に濃く描き殴った歪なデッサンを見せられて、これが現実だ!目を覚ませ!と叫ばれても、こちらとしては、いや……元の原作の形が全く残ってなくないっすか……?と曖昧な笑みを浮かべるしかない。
私が明日から、いいえ違います!国家情報局の真の目的は、お国の偉い人たちが自分好みのムキムキの受を地下施設に監禁し、国家権力を私物化して合法的にドスケベ拷問をするために作った法案なのです!全ては淫棒によるものです!高市総理は激ヤバの腐女子で、国会議員は全員腐です!と真顔で主張してデモに参加してもいいのだろうか。
想像してみてほしい。
私がもし「国家権力によるドスケベ拷問反対!」という手作りのクソデカプラカードと、バニー姿で開脚しながらドスケベ拷問を受けている無辜の市民の絵を掲げて彼らのデモに合流したら、彼らは「その通りだ同志!共に権力の変態的暴走から市民を守ろう!」と熱く肩を組んでくれるだろうか。
「国家権力が暴走して、罪のない市民が監視され、弾圧される暗黒時代!」だの「特高警察がオタクの部屋に踏み込んでくる!」だの、そういう手に汗握るスリリングな展開は薄い本の中だけでやってくれという話なのだ。
彼らは「暴政から命と尊厳を守る!」と大義名分を掲げながらその実、現実の法律や実在の政治家を都合よく切り貼りして自分たちを巨大な悪に立ち向かう悲劇のレジスタンスに見立てた、政治的エンタメ消費に酔いしれているだけに見える。
けれどそのフェアじゃない二次創作を絶対の真実としてコーティングし、オタクがこぢんまりと暮らしているテリトリーで頼んでもいないのに「真実はこうだ!」と急に立ち上がって啓蒙活動を始めてビックリさせないでほしいし、その思想のためになんの関係もない版権やアイドルのペンライトを振り回すのをやめて欲しい。
「!」がついている部分を全て抜き出すとわかるように、ほとんどが著者が批判している対象のセリフや主張に使われている。
それ以外には、私がこんなこと言ったら?だめであろうのように反語表現のフリとしてしか使用していない。
自分の主張には「!」を使わず、否定したいもの、否定するものに「!」を使うことで、自分は冷静であると印象操作をしている。
また、叫んでいるような言葉づかいも同様の使い方を行なっている。
正しい比較対象をテーブルにあげていない
私が通しているフィルターがBLと性癖で、彼らが通しているフィルターが悪い政府ありきのディストピア小説。
今ではなくてもいつか悪い政治家が悪用するかも、という話とBLと性癖(個人の話)では、比較対象にならない。
自分のあげた関係のない例と相手の主張を並べることで、相手の主張をめちゃくちゃなものだと印象操作している。
デメリットだけをつぎはぎした最悪のケースを人々に開示し、それを現実の法案の裏の目的だと断定して大騒ぎするというアプローチの構造においては、私のお国の偉い人によるドスケベ拷問説も、彼らの治安維持法の再来で市民が虐殺される説もやっていることは変わらない。
ここで挙げられている「ドスケベ拷問説」と、「治安維持法の再来で市民が虐殺される説」を比べてみる。
私が明日から、いいえ違います!国家情報局の真の目的は、お国の偉い人たちが自分好みのムキムキの受を地下施設に監禁し、国家権力を私物化して合法的にドスケベ拷問をするために作った法案なのです!全ては淫棒によるものです!高市総理は激ヤバの腐女子で、国会議員は全員腐です!と真顔で主張してデモに参加してもいいのだろうか。
国家情報局は重要情報活動及び外国情報活動への対処(影響工作への対処を含む。)に関する重要事項を調査審議する機関であるとされる。
(出典:https://www.cas.go.jp/jp/houan/260313/gaiyou.pdf)
懸念として
・監査組織の規定がない
・個人情報の取り扱いの懸念
などがあげられる。(https://www.asahi.com/articles/ASV4344KDV43USPT001M.html)
著者が文章で例示しているものは、これらと全く関係しないものである。
(私が見つけられなかった理屈があるのかもしれない点は付け加えておく)
おそらく後者はスパイ防止法のことを指していると思われる。
スパイ防止法は
・スパイ行為の罪の範囲が広い、曖昧であることで、国に都合が悪い人を逮捕することが可能であること
などの懸念がある。
(https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1985/1985_2.html)
反政府運動を取り締まる治安維持法
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2116564?page=2
との類似の指摘は妥当であるといえる
著者が挙げた「ドスケベ拷問説」は、著者が批判する「治安維持法の再来で市民が虐殺される説」に比べて、突拍子のないものである。
これらを比べることでどちらも突拍子がないという印象操作を行なっている。
また、
私がもし「国家権力によるドスケベ拷問反対!」という手作りのクソデカプラカードと、バニー姿で開脚しながらドスケベ拷問を受けている無辜の市民の絵を掲げて彼らのデモに合流したら、彼らは「その通りだ同志!共に権力の変態的暴走から市民を守ろう!」と熱く肩を組んでくれるだろうか。
絶対にそんなわけがない。
バニー姿で開脚しながらドスケベ拷問を受けている無辜の市民の絵を掲げて街中を歩く、という間違いなくセンシティブ判定される例を出して、議論をずらしている。
私の意見
現実の社会不安や複雑な国際情勢を自分たちの正義の物語を盛り上げるための都合の良いヴィランとして消費し、それに付き合わない人間を「どうして無視するのだ」と嘆き「あなたたちは何も知らないのだから私たちの話をとりあえず聞くべきだ」と断ずる。
しかしこちら側から見れば、現実とフィクションの境界線を完全に見失い、現実の広場で自分たちの作ったディストピア同人誌を大声で朗読している彼らこそ、ある意味で最もタチの悪いマナー違反のヴィランなのだ。
著者は批判対象に向かって、「ヴィランとして消費している」とし、また、「彼らこそヴィランだ」と書いている。
批判対象へ向けた発言がそのまま帰ってきているのではないか?
政府憎しで、これから始まる法案や憲法改正の悪い面だけを切り取りまくって、つぎはぎにする二次創作を公式扱いするのは、本当にマジでやめて欲しい。
「批判対象の悪い面だけを切り取りまくって、つぎはぎにする二次創作を公式扱いする」ことをやっているのはこの文章の著者であると私は思う。
