子どもが「カレー嫌い」と言った日|家事のみかたの話
Project MOON No. X-5
子どもが「カレー嫌い」と言ったとき、私は少しだけ世界を疑った。
まさか、と思った。
カレーが嫌いな子どもなんて、この世に存在するのか。
夕方のキッチン。
換気扇はゴォーッと低く唸り、
コンロの上では大きな鍋がぐつぐつと音を立てていた。
湯気の向こうで、玉ねぎがゆっくり溶けていく。
私は木べらを持ったまま、一瞬だけ動きを止めた。
私にとってカレーは、子どもの頃からずっと“絶対に裏切らない食べ物”だった。
好き嫌いが多かった小学生のころ。
給食の皿の隅にグリーンピースやニンジンを器用によけていた私でも、
カレーの日だけは違った。
銀色の食缶を開けた瞬間に広がる、あの独特の匂い。
教室の空気が少し浮き足立つ感じ。
白いご飯の上に、とろりとかかった茶色いルー。
苦手な野菜ですら、カレーに入ると普通に食べられた。
「カレー味」という言葉には、
世界を少し丸く収める力があると思っていた。
給食の質が落ちたんじゃないかと本気で給食センターを疑っていた中学生のころも、カレーの日だけは問題なく完食し、おかわりまでしていた。
母親のつくる弁当が少し苦手で、
角が立たないようにこっそり断っていた高校生のころ。
高校裏の細い路地に、小さなカレー屋があった。
辛さが細かく選べるメニュー表。
こじゃれた木製のカウンター。
無口だが愛想たっぷりの店主。
財布に余裕がある日は、だいたいそこへ行った。
湯気の立つカツカレーを前にすると、
部活や進路や人間関係のことが、どうでもよくなったものだ。
ラーメンに狂っていた大学生のころ、
カレーラーメンやカレーうどんの存在を知って本気で感動した。
「なんでもカレーにしていいんだ」
そして社会人になり、
イタリアンや食堂で働き、
少しだけ料理に自信を持ち始めたころ。
スープカレーという“意識の高いカレー”に出会った。
素揚げしたナス。
焼き目のついたパプリカ。
骨付きチキン。
スパイスの香り。
ステンレスの小鍋を片手に、
私は大人になった自由を謳歌していた。
カレーは、もはや料理というより人生だった。
そんな私の人生の相棒とも言えるカレーが、
である。
我が家の子どもたちは、容赦なく言い放った。
「今日、給食カレーだったんだよね」
「私はカレー毎日でもいいな」
「僕もカレー好きー!」
「お菓子食べたい!」
なんだこいつらは。
まだ夕飯すら完成していないのに、
ダイニングテーブルにはすでに全員集合している。
水の入ったコップ。
学校のプリント。
脱ぎっぱなしの帽子。
折り紙。
散乱した車のおもちゃ。
生活感がテーブルに堆積している。
飢えたひな鳥みたいに、
彼ら彼女たちはぴーちくぱーちく騒ぎ続ける。
私はキッチンで無言のまま鍋をかき混ぜる。
玉ねぎの甘い匂い。
炒めたひき肉の脂。
ルーが溶ける濃い香り。
そして、
ひな鳥の声を無視してカレーを作ろうものなら。
「えー!今日もカレー!?」
「私は毎日でもいい!」
「僕も!」
「お菓子食べたい!」
くっそー。ばれたか。
カレーという料理は、存在感が強すぎる。
香り。
色。
鍋にこびりつく油。
部屋全体に広がる“今日はカレーです”という空気。
あれを隠し切ることは不可能だ。
……本当はやりたい。
最後まで隠しておいて、
「ジャーン。今日もカレーです。反論は聞きません」
と出したい。
でも無理だ。
カレーはステルス性能が低すぎる。
そして結局、その夜もカレーだった。
白い皿にルーを流し込みながら、
私は子どもたちの顔を見ないふりをする。
「えー……」
「やったー!」
「僕も食べるー!」
「お菓子ぃぃぃ!」
子どもたちの表情に、
きれいなグラデーションができている。
なんなんだこいつらは。
好きなものなら五分で食べ終わる。
嫌いなものの日は、
テレビのスローモーションみたいな速度でスプーンを動かす。
米粒を一粒ずつ押しつぶしながら、遠い目をしている。
少し目を離せば、おもちゃを抱えてテーブルから消えている。
動物園か、ここは。
ダイニングには、
カレーの匂いと子どもたちの声が充満している。
誰かが笑い、
誰かが水をこぼし、誰かが怒られている。
テーブルにはルーが飛び、
椅子の下には米粒が転がっている。
私たちは、
時間内にご飯を食べ終わらない子どもたちを叱り、
ときどき励まし、
戦争みたいな夕飯をなんとか終わらせる。
シンクには皿が積み上がり、
テーブルには乾きかけた米粒が残っている。
ようやく静かになったダイニングで、
私は鍋の底に残ったカレーを見つめる。
黄色い照明の下で、ルーがゆっくり冷えていく。
換気扇だけが、まだ働いている。
そして私は考える。
(……さて、明日はどう再利用するか)

カレーの再運用は、大きくいくつかに分かれる。
カレーラーメン。
カレーうどん。
カレードリア。
カレーピラフ。
カレーパン。
カレーピザ。
カレーパスタ。
スープカレー。
カレー風味のポトフ。
主菜や副菜に添えるカレーソース。
つまり我が家においてカレーとは、
一晩で終わる料理ではない。
二日目。
三日目。
状況によっては四日目まで、
静かに形を変えながら家庭へ侵食してくる。
真夜中のキッチン。
換気扇の低い音。
シンクに積まれた水筒。
冷蔵庫には学校の予定表や、
子どもが描いた謎の宇宙の絵が貼ってある。
わがままな我が家のかわいいお客様たちは、
その日の気分によって評価基準が変わる。
昨日まで喜んでいたものを、今日は突然嫌がる。
でも逆に、
昨日まで嫌だったものを突然食べたりもする。
育児とは、株価より変動が激しい。
私は鍋のフタを開け、
少し固まり始めたカレーを木べらでゆっくり崩す。
黄色い照明の下で、表面の油がぬらりと光る。
こちらの希望としては、
翌朝までは当然カレーライスでいきたい。
もしお客様の許可が出るなら、
明日の夕飯はカレーうどん、あるいはカレーラーメンとして、和風だしのスープへ溶かして使わせていただく。
◇
そして翌朝。
お客様への「連続カレーライス案」は、
あっさり却下された。
なので、
朝ごはんは別メニューへ変更となる。
私は、
残しておいたカレーを食パンへ塗り広げる。
その上へチーズをのせ、
食パンごとトースターへ放り込む。
半目で牛乳を飲んでいるひな鳥。
椅子の上で膝立ちしたまま、
ぼーっとテレビを見ているひな鳥。
寝ぐせで髪を爆発させたまま、
まだ夢の中に片足を突っ込んでいるひな鳥。
そして、
朝から声量オーディションに挑んでいるかのように泣いているひな鳥。
その横で私は、
チーズと適当な野菜をパンへ乗せ、
カレーピザトーストとして再構築していく。
トースターの中でチーズがぶくぶく膨らみ、
焼けた香りが部屋に広がるころには、
子どもたちは
さっきまでの不機嫌を少しだけ忘れている。
そして夜は、
カレーラーメン。
できれば、ここで使い切りたい。
鍋を空にした瞬間、
小さくガッツポーズをしているはずだ。
◇
私は、子どもが生まれてからどんどん料理を手抜きするようになった。
冷凍庫を開ける。
唐揚げ。
餃子。
うどん。
ブロッコリー。
アンパンマンポテト。
スーパーの惣菜。
霜のついた精鋭部隊がぎっしり並んでいる。
疲れ切った平日の夜、
彼らは無言でこちらを助けてくれる。
昔は多少の罪悪感を持っていたこの精鋭部隊だが、今は何の躊躇(ためら)いもない。
電子レンジの「チン」という音が、
救助信号に聞こえる日すらある。
そのすべてを召喚し、てなづけている。
そんな中でも、
エースとしてカレーさんに頼りたくなるのは、
大量の野菜を、
好き嫌い関係なく強い味付けで包み込み、
そのまま鍋へぶち込めるからだ。
私は
玉ねぎを刻む。
ニンジンを細かくする。
キノコを裂く。
ピーマンをみじん切りにする。
まな板の上に、
野菜の破片がどんどん散らばっていく。
包丁の音だけが、
夜のキッチンに一定のリズムを刻む。
子どもたちに見つかれば終わる…こともある。
いやないか。
だから細かくする。
もはや工作である。
生野菜より茹で野菜のほうが栄養価が落ちる、
という話も聞く。
それでも私は、野菜やキノコ、
ありとあらゆる食材を細かく刻み、
茹で、煮込み、最後は“カレー”という存在感の強い味で包み込んでいく。
ぐつぐつ煮える鍋。
立ち上る湯気。
額に張りつく前髪。
シンクに置かれた使い終わった包丁。
カレー色に染まり始めた木べら。
そして、それを完食してもらう。
空っぽになった皿をシンクへ運ぶ子どもを見る。
また、皿をテーブルに置きっぱなしにしている子どもの横顔も。
口のまわりにルーをつけたまま、
「おかわりある?」
と聞いてくる。
それだけで、
「まあ、今日はなんとかやれたか」
と思えることもある。
子どもたちが普段なかなか食べない野菜たちを、
カレーという巨大な乗り物に乗せて、
半ば強引に胃の中へ送り込んでいる感覚に近い。

今日も主食はカレーである。
ただ、今日はカレーライスではない。
昨夜の鍋底に残っていたカレーを、
和風だしでゆっくり伸ばす。
木べらで混ぜるたび、
固まっていたルーがとろりと溶けていく。
そこへ、
少しやわらかめに茹でたラーメンを入れる。
湯気が立ちのぼる。
カレーの匂いに、だしの香りが混ざる。
その瞬間から、“今日もカレーか……”という空気が、別の料理への期待に変わる。
実際、カレーが苦手だと言い始めたひな鳥も、
ラーメンやうどん、
パスタなどの麺類になると問題なく食べるのだ。
カウンター越しにうどんをすすりながら、
「これは好き」
と平然と言うからだ。
そうだよね。
だって先月までは好きだったじゃん。カレー。
さて、
カレーラーメンをテーブルに運ぶ。
「わー!カレーラーメンだ!やったー!!」
椅子へ座る前から、
一匹のひな鳥がテーブルをバンバン叩く。
「早く食べたーい!」
別の一匹は、走って席に着く。
「カレーラーメンもスキー!」
さっきまで“カレー反対派”だった小鳥も、完全にこちら側へ寝返っている。
「お菓子たべたーい……」
末っ子だけは今日も自由だ。
テレビではお気に入りのYouTubeが流れ、
キッチンでは換気扇が低く唸っている。
私は副菜のサラダへ自家製ドレッシングを回しながらかける。
最後にポテトチップスを数枚砕いて乗せる。
クルトン代わりである。
こういう雑な工夫を、
最近の私はむしろ堂々と行っている。
そして今日も、
飢えた小鳥たちの前へ夕食を並べる。
「美味しそう!いただきまーす!」
「やったー!お腹すいたー!」
「おかわりあるー?」
「あ!ポテチ入ってるー!」
さっきまで騒がしかった食卓が、
一瞬だけ静かになる。
全員ちゃんと食べている。
……いや、
末っ子は今日も好きなものだけ口に入れている。
まあ、それだけでも、今日はもう十分。
早く食器を片付けて、
次の家事フェーズへ移らなければならない。
私の幼少期からの親友でもあるカレーは、
今も変わらず強力な相棒である。
いわゆる、「家事のみかた」だ。
そしてまた、
子どもたちが少しずつ“カレー離れ”を始めた未来に向けて、
この巨大戦力の新しい魅力や、
新しい“見方”を今のうちに覚えておかなければ。
うるさくて、わがままで、
でも毎日ちゃんと腹を空かせて帰ってくる、
小さなお客様たち。
私はその声を半分くらい聞き流しながら、
たぶん三日後もまたカレーをつくっている。
了
🌙初めてMOONへ来られた方へ
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