心を縛る「ちゃんと」を、少しだけ手放してみませんか
「ちゃんとしないと」
この言葉を、一日に何回、自分に言い聞かせているでしょうか。
ちゃんと仕事をしなきゃ。
ちゃんと家事をしなきゃ。
ちゃんと返事をしなきゃ。
ちゃんと笑わなきゃ。
気づけば、「ちゃんと」は生活のあちこちに入り込んでいます。
私も、ずっとそうでした。
むしろ、「ちゃんとできる人」でいたかった。
真面目で、責任感があって、人に迷惑をかけない人。
そんな自分でいられたら安心できると思っていました。
でも、その安心は長く続きませんでした。
一つ終われば、また次の「ちゃんと」が待っています。
頑張っても、頑張っても、「まだ足りない」と感じてしまう。
今思えば、あの頃の私は、自分のためではなく、「ちゃんとした人に見られるため」に生きていたのかもしれません。
精神科病院に入院する少し前から、その「ちゃんと」は音を立てて崩れていました。
朝、起きられない。
お風呂に入る気力もない。
メールを返すことすら苦しい。
それまで当たり前にできていたことが、一つもできなくなりました。
そんな自分を見て、私は思いました。
「なんて情けないんだろう」
でも、本当に情けなかったのでしょうか。
今なら違うと言えます。
苦しかったのは、病気だけではありません。
「ちゃんとできない自分を許せなかったこと」が、私をさらに苦しめていました。
精神保健福祉士として働くようになってから、多くの方とお話しする機会があります。
その中で感じるのは、心が疲れている人ほど、とても真面目だということです。
「もっと頑張らなきゃ」
「迷惑をかけちゃいけない」
「私が我慢すれば丸く収まる」
そんな言葉を、自分に向け続けています。
誰かに言われたわけではないのに、自分で自分を追い込んでしまう。
その姿を見ていると、昔の自分を思い出します。
だから私は、「もっと頑張ってください」とは、とても言えません。
頑張りすぎたからこそ、今ここにいる人もたくさんいるからです。
ある日、支援を受けていた方がこんなことを話してくれました。
「私はちゃんと生きられないんです」
その言葉を聞いたとき、胸が苦しくなりました。
ちゃんと生きるって、何だろう。
毎日休まず働くこと?
笑顔でいること?
弱音を吐かないこと?
もしそうだとしたら、私はうつ病だった頃、「ちゃんと生きていなかった」ことになります。
でも、そんなはずはありません。
苦しくても生きていました。
泣きながらでも、一日を終えていました。
それも立派に、生きるということだったはずです。
心理学では、「~すべき」という考え方は、自分を苦しめやすい思考のクセだと言われています。
もちろん、「責任を持つこと」は悪いことではありません。
でも、その責任が「自分を責める材料」になってしまったら、少し立ち止まってもいいのではないでしょうか。
私は最近、「ちゃんと」を一つ減らす練習をしています。
疲れた日は、部屋が散らかっていてもいい。
返信が遅れてもいい。
夕飯が簡単でもいい。
以前なら、「こんな自分じゃダメだ」と思っていたことを、「今日はそんな日だった」と受け止めるようにしています。
最初は罪悪感がありました。
でも、不思議なことに、そのほうが次の日は少し元気になれるのです。
ずっと張りつめていた糸が、少しだけ緩むような感覚でした。
「ちゃんとしなきゃ」
その言葉が浮かんだら、一度だけ聞いてみてください。
それ、本当に"今"の私に必要?
もしかしたら、その「ちゃんと」は何年も前に誰かから教わった価値観かもしれません。
もう役目を終えたルールを、今も守り続けているだけかもしれません。
もしそうなら、少しだけ手放してもいい。
全部じゃなくていいんです。
一つだけ。
今日だけ。
「今日はここまでで十分。」
そう言えたら、それだけで心は少し軽くなります。
頑張ることは素敵です。
でも、頑張り続けることだけが素敵な生き方ではありません。
休む日があってもいい。
誰かを頼る日があってもいい。
できない日があってもいい。
私は、病気になったことで、それをようやく学びました。
あの経験がなければ、今でも「ちゃんと」に追いかけられながら生きていたと思います。
だから今は、「ちゃんと生きる」よりも、「無理なく生きる」を大切にしています。
そのほうが、長く笑っていられる気がするからです。
もし今、あなたが「ちゃんとしなきゃ」に苦しくなっているなら、今日だけはその荷物を少しだけ下ろしてみてください。
あなたが思っているより、人生は少しくらい肩の力を抜いても、大丈夫です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
sora
