空気
真宗大谷派のある差別問題の研修にて、僧侶が着る法衣の色について話題となった際、同じ色にするか、それとも、現状のままかを話し合った。
法衣にはさくまドロップのように様々な色があり、教団内のルールに則って着られる色が決まっている。
僧侶になってからの年数や教団な資格、金銭納付など、様々な手段により格付けされている。
話し合いが進むうちに、お金の話になった際、「もうしょうがないよね」という雰囲気になったとき、シーンとなった。
それまで勢いよく廃止と言っていた者も、現状維持の者も、その場にいる者全員が黙ってしまった。
『日本教の社会学』にて説明される空気のことだ。
また、宗門体質という魔法の言葉そのもののことでもある。同書にて実体語と空体語の取説もされるが、まさに教団ではその構造の無限ループ。
浄土真宗はあくまでも保険であり、実際には根っからの日本教徒。
教えを勧めるが、そのほとんどが教える側の教団内外の知識人すら気づいていないが、浄土真宗の面構えをした日本教なのだ。
日本教は宗教や信仰でもなく、日本的人間の道であり、そのままをこよなく愛する。
空気を大事にする。
真宗大谷派という教団では世間における人間を問題にするが、それは日本教そのものであって、真宗の教えとやらが、日本教、つまり、世間となんら変わらない。
もちろん、親鸞さん自身はその構造に気づいている。しかし、彼も人間として、日本教徒として育っており、信心を再設定することで克服しようとした。それでも、当時からその提案は伝わりにくい。
現代ならば、なおさら、伝わりにくい。時代がくだって、さらに分からなくなっており、見分けることが困難。
気づいたとて、日本教の文脈の方が魅力的。倫理道徳だし、人間社会では、少なくとも日本国に住み続けるならば有効すぎる。
そりゃ、この空気では南無阿弥陀仏は受け入れられにくいはすだだわ。
南無阿弥陀仏
コレが限界
