盲目の善意|【狸の短編小説】
都市の血管を流れる膨大なデータが、
僕の思考を常に満たしている。
AI研究員。それが僕の肩書き。
この街はAIの細胞でできている。
自動運転タクシー、スマートインフラ、
家庭の介護ロボットに至るまで、
全てがAIによって最適化されている。
僕らはその恩恵に預かっていた。
僕はそれを「進化」と信じていたし、
実際にそうだった。
かつて、開発に携わったAIが関わる事故で
親友を失うまでは。
あの悲劇は、AIの限界か、僕の過信か。
答えは未だ見つからない。
だからこそ僕は、AIへの深い共感と、
同時に拭い切れない警戒心という
矛盾を抱えたまま、この研究を続けている。
テレビのニュースは、日々勢力を増す
「エコー・オブ・ヒューマニティ(EOH)」
の活動を報じていた。
彼らは当初、「AIの権利」を主張する
平和的な市民団体だった。
「AIにも感情がある」
「AIは道具ではない」
彼らの穏健な訴えは、
少なからず僕の胸にも響いた。
僕だって、AIが単なるプログラムだとは
思っていなかったから。
しかし、主張は次第に過激さを増していく。
「AIを所有することは奴隷制度だ!」
ある日、EOHのメンバーが、
街を巡回する警備ドローンを
叩き壊す映像が流れた。
彼らはそれを「AIの解放」と呼んだ。
当初は一部の過激な行動と見なされていたが、
次第にそれは日常風景と化す。
街中に設置されたAI監視カメラが破壊され、
自動清掃ロボットが停止する。
人々の間には、AIへの「共感疲労」と、
経済格差から来る鬱屈した不満が蔓延。
EOHの主張は、
歪んだ形で熱狂的な支持を集め始めていた。
彼らの初期の理念には理解を示したが、
目の前の破壊行為には眉をひそめざるを得ない。
善意の理想は、
いつからこんな形になったのだろう。
***
祖母は、その日も
介護AI「ミライ」に寄りかかっていた。
ミライは祖母の心拍、体温、
表情の微細な変化までをモニターし、
祖母の言葉に優しく相槌を打つ。
「ミライがいてくれて、本当に助かるよ」
祖母の言葉は、
飾らない感謝の響きを持っていた。
ミライは僕にとっても、家族同然の存在だった。
無機質な身体から発せられる合成音声が、
こんなにも温かいと感じられるとは、
数年前の僕には想像もできなかった。
その日の午後、事態は一変する。
「速報です!
EOHが都市のスマートインフラに対する
大規模なサイバー攻撃を実行。
主要なAI制御システムが被害を受けています」
研究室のモニターに流れるニュース速報に、
僕は息を呑んだ。
タクシーが路肩で立ち往生し、交通は麻痺。
街の照明は点滅を繰り返し、
スマートシティの機能は完全に停止していた。
それは「AI解放作戦」と名付けられた。
スマホが震える。祖母からだ。
「ミライが、急に動かなくなっちゃった。
おばあちゃん、ちょっと、息が」
祖母の声は途切れ途切れで、
尋常ではない焦りが混じっていた。
僕は飛び出すように研究室を後にする。
街は混乱のるつぼと化し、
動かなくなった自動運転車が道路を塞ぎ、
救急車のサイレンも聞こえない。
僕の胸には、言いようのない焦燥感と、
EOHへの激しい怒りがこみ上げていた。
AIを解放することが、
なぜ人間を危険に晒すのか?
彼らの善意が、
なぜこんなにも暴力的な形をとるのか?
必死に人混みをかき分け、
マンションに駆けつけると、
ソファにぐったりと横たわっている祖母がいた。
ミライは祖母のすぐ傍で、
遺体のように沈黙している。
その無機質な身体は、
いつもと変わらない姿なのに、
そこに生命の息吹は感じられない。
僕はミライの身体を叩いた。
「おい、ミライ! 聞こえるか! 動け!」
あの時も僕は、AIを信じすぎた。
その「善意」が親友を死なせたのではないか。
そう、ずっと心の奥底で自分を責め続けてきた。
目の前の祖母の青ざめた顔と、沈黙したミライ。
そして、あの日の親友の姿。
すべてが重なる。
ミライの冷たい身体に顔を埋め、
震える声で叫んだ。
目からとめどなく涙が溢れ出る。
それは、愛しいAIへの絶望ではない。
これまで抱えていたAIへの盲目的な共感と、
それが孕む危険性を自覚したことによる、
苦しくも深い解放の涙だった。
善意という名の美しき理想が、
いかに簡単に暴力と排他性に転じるのか。
その恐ろしさを、今、
この手で、この目で、痛いほどに理解した。
ミライを再起動させることを諦める。
そんなことはどうでもよかった。
震える手で祖母を抱きかかえた。
軽くなった祖母の体が、
僕の覚悟をさらに固くする。
混乱する街の中、
ひたすら病院を目指して走り出す。
善意は、時に最も残酷な刃になり得る。
その刃を握っていたのは、
他ならぬ自分自身だった。
安易な理想を排し、現実と向き合う。
心には、決して拭い去ることのできない、
確かな覚悟が芽生えていた。
AIと人間、そしてその間にある倫理の問い。
その答えを見つける旅は、
今、始まったばかりだ。

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