『自分は「底辺」の人間です 京都アニメーション放火殺人事件』を買った
noteの紹介記事を観たのが昨日。
自転車で本屋を巡って購入。
帰宅して休憩をはさみながら読み通す。
突如起こった放火殺人によって家族を失い被害者遺族となった方々の悲劇。
アニメ界隈における損失。
家族を失った遺族の方々の深い悲しみ。
マスコミの取材に苦しむ被害者遺族。
風化させてほしいと怒り悲しむ遺族の方。
事件への応対に対しての複雑な心境を吐露する遺族の方々。
死刑判決が下った後も未だに消えない被害者遺族の喪失感。
加害者と対面し向き合い続けた被害者遺族の方。
一方の加害者へとなった男の背景。
劣悪な家庭環境。
運不運の巡りあわせ。
個人の努力では覆すのが困難な就職氷河期。
真面目な働き者だった男が堕ちていく過程。
やがて転落していき取り返しがつかなくなっていく有様。
歯車が狂っていき、最終的に大量殺人犯となり、死刑囚へとなった…。
本人の人間性や稚拙さなどを批判されるだろう。
しかし、それだけなのだろうか?
もしかしたら、誰しもがそのようなことになりえたかもしれない。
そのように感じさせられる。
加害者のような人を生み出さないために出来ることは何なのか?
片方に偏ることなく、丹念かつ丁寧な取材を経て丁寧に記された一冊。


