一杯の記録|第97話 磯自慢 特別本醸造(静岡・焼津)
一杯の酒から、その土地をたどる。
遠く、深い旅を終えて戻ってきた、いつもの場所。
波が引くように、心が整う。
高揚も、沈潜も、すべてはこの瞬間のためにあったか。
静岡、焼津。
富士を望む海辺の、清澄な空気。
磨き抜かれた、普遍の美。
特別本醸造という、飾らない自負。
そこには、一寸の狂いもない静かな宇宙が広がる。
背伸びをしない。
ただ、本質を研ぎ澄ます。

さて、本題。
立ち香は、慎ましやか。
早春のメロンを思わせる、淡い瑞々しさ。
五感を解き放つ、清冽な招待状。
口に含む。
もはや、重ささえも忘れる。
それは、調和。
なめらかな甘みが、絹のように滑り、
抵抗なく、身体の隅々にまで溶けていく。
鮮やかすぎるほどの、引き際。
この潔さこそが、完成された美学。
透明な確信。
旨いという事実だけが、そこに在る。
やがて、
何もなかったかのように、さらさらと消えていく。
あとに残るのは、深い安らぎ。
自分自身に還ってきたことを、
身体が静かに受け入れているかのように。
—— 馴染む。
この一杯は、
長い旅の果てに、日常の尊さを知るための調和。
そんな一杯として、ここに記録しておく。
