一杯の記録|第95話 花陽浴 純米大吟醸 五百万石 無濾過生原酒(埼玉・羽生)
一杯の酒から、その土地をたどる。
昨日までの静寂が、遠ざかっていく。
真っ白だった視界に、一滴、濃密な色が落ちる気配。
それは、冬が終わる合図。
埼玉、羽生。
利根川の風が、止まっていた時間を揺らす。
南陽醸造の蔵から溢れ出すのは、抑えきれない生の肯定。
整えるのではなく。
溢れ出すのを、ただ、祈るように待つ時間。

さて、本題。
香りが、襲う。
完熟したパイン、あるいは真昼の太陽を浴びた蜜。
記憶の底にある最も甘い瞬間を呼び覚ます、鮮烈な一撃。
口に含む。
もはや、液体であることを忘れる。
それは、閃光。
五百万石の硬質な酸が、
蜜の重さを切り裂き、
閉ざされていた五感を、
鮮やかにこじ開けていく。
甘美が、奔流となって喉を潤す。
その熱こそが、いま、生きている証。
モノクロだった世界に、原色が蘇る。
血が巡り、指先が、新しい季節に触れたくなる衝動。
やがて、
眩暈のような余韻を残し、すっと風に還る。
あとに残るのは、心地よい渇望。
再び世界へ漕ぎ出すための、美しい飢え。
—— 咲く。
この一杯は、
魂を再起動させるための、最も甘美な劇薬。
そんな一杯として、ここに記録しておく。
