理由のきっかけ
飛行機の中、リストに入れていた映画、サンセット・サンライズをようやく見た。三陸で生活を始める釣り好きな人の物語だ。時期はコロナ禍の2020年。この時期を過ごした人なら誰もが思い出す記憶が散りばめられている。在宅勤務の開始。不慣れな上司だけ出社。リモート飲み会。東京ナンバーの自動車が嫌がられ、ダイヤモンド・プリンセス号が悪者になった。もう5年前のことだ。その物語自体が映画の中の世界のように感じる。
2020年、ひとりで初めて三陸を訪れたのも、その年だった。丁度、そのクルーズが話題になった頃。今でも仙台駅のホームで、そのニュースを聞いた覚えがある。その後、バスに乗って、到着したのは気仙沼だった。
震災当時、大学受験生だった私は関西の予備校で揺れを感じた。日本人にとっては、地震は起こるものだ。ただ自宅に戻った後、とんでもないことが起きていることを知った。そして私の父親が岩手県に単身赴任しており、地震の影響で、工場がめちゃめちゃになり、物流もストップしていた。震災翌日、京都の大学を受験する際、携帯で見た海外のニュースや大学前で行われる募金活動など、数多くの映像とその景色を今でも鮮明に覚えている。そして、その中で一番記憶に残っているものは、気仙沼のオイルターミナルが火の海になっていた映像だ。それこそ映画のようで、この世で起きていることのようには思えなかった。
それから9年後、私は気になった。もう世間では3月11日以外は震災の話はしなくなったが、あの場所はどうなっているのだろう。今行かなきゃ、忘れてしまう、と。そして、気仙沼にある震災伝承館を訪れた後、外の景色を眺める。背丈の3倍ほどあるように感じる高い防波堤と何もない空き地が続く。ここにも家があり、人もいて、生活があったのだ。
その際、宿泊したゲストハウスでは大変お世話になった。共同運営している方と銭湯に行ったり、東京から来た大学生の皆さんとケーキ食べたり。翌日は出来たばかりの大島大橋を渡って、新しいカフェでコーヒーを飲んだりもした。そして、被災して家が無くなったこと、家族のこと、町のことも。映画では、その橋を渡る場面や港の風景が映る。
映画の中の言葉で胸が抉られた。「東北の人は東京の物をずっと見てきた。でも東京の人は東北を見ない」。だが、コロナが起きて、田舎暮らしが流行する。震災がきっかけで三陸に人が集まる。不謹慎かもしれないが、都会の人が都会以外を、そして東北を見た瞬間だ。もちろん忘れてはいけない震災の話。生きていた人の話。忘れられることは、正直辛い。だけど、震災はきっかけであり、理由ではない。もう今は震災があっから訪れる場所ではない。東北が、宮城が好きだから行くのだ。
私には大好きな港がある。そして、20年前、父親が単身赴任して以降、毎年、東北6件を家族旅行をした特別な思い出もある。それ以外にも美味しい魚、山や温泉、寂れた商店街や、しそ巻き、そんなものが心の片隅に、少しでも残っているのなら、僕らは、明日を生きていく人たちと共にサンセット・サンライズを眺めることができるだろう。
