自分史とFIFAワールドカップ / 1986年 第13回メキシコ大会
2002年7月24日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。
1984年の秋に合計5年間のフランスでの大学生活を終えた。
そして翌年の1985年の春からエールフランスの子会社で働き始めることになる。勤務地はパリ近郊のシャルル・ド・ゴール空港。
空港は祝祭日を問わず機能している。夜中に到着するカーゴ便などのフライトを入れると、24時間・年中無休のようなところだ。だからそこで働く者の勤務シフトも変則で、6日間働いて3日間休むシフトが多くのところで採用されていた。
一緒に働くスタッフには、フランス人や日本人だけではなく、アラブ系、東南アジア系の移民など、いろいろな国の人々がいた。そんな多国籍軍的なチームのスタッフの共通の話題といえばスポーツ。それはテニスであり、F1であり、そしてなんと言ってもサッカーだった。そんな彼らにとって翌年、1986年の初夏に開催されるワールドカップ・第13回メキシコ大会は待ち遠しいイベントで、あの選手の名前が希望と共に語られていた。
今度こそ絶対にミシェル・プラティニがフランスを優勝に導く・・・。
そんな連中に感化され、私にとってもワールドカップは避けて通れないものになっていった。以前はさほどサッカーに興味を示さなかった私の豹変ぶりに、大学生時代の悪友、ジョルジュは苦笑していた。
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ルイス・フェルナンデス、ジャン・ティガナ、アラン・ジレス、そしてミシェル・プラティニで構成されるフランス代表チームの豪華な中盤、「Le Carré Magique / 魔法の正方形」は素晴らしかった。全盛期を迎えた彼らが支えるチームは悲願の初優勝を狙えるだけの力を備えたチームだった。しかし反対に、この大会で優勝を逃すと、これだけのメンバーが揃わないだろう4年後の苦戦は明らかだった。

1次リーグを勝ち進んだフランスが準々決勝で対戦したのはブラジル。
その歴史的な試合は1986年6月21日(土)グアダラハラにて行われた。
ブラジルのカレカが前半に、そして後半にはミシェル・プラティニがゴールを決め、試合は延長戦にもつれ込む。そしてこの試合のハイライトを演出するのはフランスのGK、ジョエル・バツ。
バツは延長戦後半に自分のミスでブラジルにPKを与えてしまう。蹴るのはジーコ。誰もがこれでブラジルの勝利を確信した。しかしバツはこのPKをセーブ、自分のミスを帳消しにしたバツは波に乗り、PK戦ではソクラテスのPKを止め、フランスの劇的な勝利に貢献した 。
そしてこの試合は1998年にジネディーヌ・ジダンがフランスをワールドカップ優勝に導くまで、伝説の試合、歴史的名勝負として多くのフランス人に語り継がれることになる。
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翌日6月22日(日)、アメリカでF1・デトロイトグランプリが開催された。
ブラジルの若き天才ドライバー、アイルトン・セナは柵に囲まれたデトロイトの市街地コースで二人のフランス人ドライバー、ジャック・ラフィットとアラン・プロストを抑えきり、優勝を飾る。翌日のフランスのスポーツ新聞の一面は、ファンから受け取ったブラジル国旗を手にしながらウイニング・ランを走るアイルトン・セナの姿。そして見出しは 「La Vengeance de Brésil / ブラジルの復讐」 だった。

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「またか・・・」
前回同様、準決勝でフランスは再び西ドイツと対戦する。しかし前大会のリベンジは成らず、またしてもフランスは西ドイツに敗れ去る。その後、フランスはベルギーを下してなんとか3位を確保し、ワールドカップを終える。
ミシェル・プラティニは自身に残された最後の勲章であるワールドカップ優勝をとうとう手にすることが出来なかった。
その後フランス代表を待っていたのは、長くて暗いトンネル、「不遇の時代」の到来だった。
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「またか・・・」
フランスを破った西ドイツは前大会に続き、再び決勝戦で敗れた。
ローター・マテウスを擁する西ドイツは決勝戦でディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンと対戦する。試合は両チームの意地が真正面からぶつかり合う熱戦となったが、アルゼンチンが西ドイツを3-2で下し、2度目の優勝を果たした。
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ワールドカップも終わり、夏が過ぎ、秋を迎えた頃から社内である噂がひそひそと流れ始めた。そしてそれはクリスマス前に現実のものとなり、私や仲間を直撃した。
業績不振に伴い、私たちの所属部署が急遽廃止されることになり、私たちは年末にリストラの憂き目に遭うこととなった。
第13回メキシコ大会
1986年5月31日~6月29日
最初に開催国として選ばれていたコロンビアが経済状況の悪化などの理由で開催を返上したため、代替開催地としてメキシコが選ばれた。しかし開幕の約1年前、1985年9月19日にメキシコ中西部沖で大地震が発生。幸いにも試合会場に予定されていたスタジアムには致命的な被害がなかったので、メキシコ政府は、地震の爪痕が街中に残る中、大会の開催を強行した。
前大会がパオロ・ロッシの大会ならば、この大会はディエゴ・マラドーナの大会とも言える。82年のフォークランド紛争以来、初の当事国同士の対戦としても注目を集めていたアルゼンチン対イングランド戦は、マラドーナの 「神の手ゴール」 と 「60メートル・5人抜き」 の2得点で、ワールドカップ史に残る試合となった。
準々決勝でアルゼンチンに敗れたイングランドのゲーリー・リネカーが6得点で得点王に輝く。
今大会でモロッコがアフリカ勢として初めて1次リーグを通過する。
*** 前後の大会 ***
