《カニバリズムとiPod(アイポッド)について》 こじれた話
人間が人間の肉体を食べる。これはちょっとおぞましい行為だ。
動物の「共食い」も生物学的にはカニバリズムに該当するらしい。
今ではほぼ絶滅した習慣だが、誰にでもカニバリズム的嗜好が微かながら残っているのでは?と思う時がある。
例えばぽっちゃりした赤ちゃんを見た時。そのふくよかでプリプリした二の腕や太ももを食べたくなる時もあるだろう。
これってカニバリズムの残り滓?
カニバリズムを扱った映画『羊たちの沈黙』ではハンニバル・レクター博士が人肉を調理し、見事に皿に盛り付けて食らうシーンがある。
現代のカニバリズムは圧倒的な支配・所有欲と極度の倒錯的美食嗜好が結びついたものなのだろうか?
またマルキ・ド・サドの小説『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』(1797年〜1801年)のなかにはアペニン山脈に住むミンスキーという人肉嗜食者の話が出てくる。興味ある方はご一読あれ。
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カニバリズムに関する小疑問。
もし自分で自分の身体の一部を食らえば、それはどうなる?
自分で自分の身体の一部を食らうかのような行為があれば、それは"自己カニバリズム"なのだろうか?
そんな例は知らないが、それに近い例はある。
例えばタコ。タコは自分の足を食らうこともあるそうだが、それは空腹によるものではなく、ある種のストレスによるものらしい。人間に例えれば、爪を噛むようなものだろうか。それとも単なる自傷行為?
タコの足について書いていたら、ビートルズの軽快なナンバー《オクトパス・ガーデン》が聴きたくなった。
リンゴ・スターのちょい鼻声で素人っぽい歌声、結構好きです。この少しアホっぽくも楽しいノリの曲にはぴったりだと思う。
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今やほとんど目にすることがなくなったが、ちょい数年前までアップルの製品ラインナップに「iPod」という携帯型の音楽再生プレイヤーがあった。
ソニーのウオークマンが発売された時も驚いたが、かなりの容量で好きな曲を沢山持ち運べる「iPod」の便利さと手軽さにも驚いた。
しかしこの「iPod」、意外と短命だった。
なぜならiPhoneに同様の音楽再生アプリが付加されたからだ。
iPhoneを購入すれば、「iPod」は必要なくなる。まあ音楽を聴きながらジョギングをしたり、ジムで筋トレするような方には軽くて小さなサイズの「iPod」は未だ重宝されているようだけど。
iPhoneに音楽再生アプリを付加するかどうかで、アップル社内では喧々諤々、ひと悶着あったらしい。
「iPod」を担当する事業部のスタッフはiPhoneに音楽再生アプリを付加すると「iPod」が売れなくなるから、そして自分の部署の立場も危うくなるから反対したそうだ。
たしかに一理ある。しかしスティーブ・ジョブズは他社(アンドロイド)がいずれ遅かれ早かれスマホに音楽再生アプリを付加するだろうと考え、他社のスマホによって「iPod」の売れ行きが落ち込むぐらいなら、自社のiPhoneで自社の「iPod」に引導を渡すべきだと考えた。
つまりアップルをタコに例えると、「iPod」という自分の足を他社(アンドロイド)に食われるぐらいなら、それを自分で食らうことに決めたのだ。
これは経営的自己カニバリズムとでも呼べばいいのだろうか?
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おまけの一曲は《蛸庭園》。
