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捨て活航海日誌|「私は、断捨離ができていない」と思っていたけれど。捨て活の先に見えた、私なりの心地よい境界線。

「断捨離」という言葉に感じていた、小さな違和感

「自分は、断捨離ができていない」

ミニマリズムやシンプリストといった言葉が定着し、スッキリした部屋の画像がSNSに溢れる昨今。私もそんな暮らしに憧れ、日々「捨て活」に励んでいる一人です。かつて溜め込んできた不要なモノを手放し、少しずつ身軽になっていく実感はあります。けれど、「断捨離」という言葉の本来の意味を紐解くたび、私はどこか気恥ずかしさを感じてしまうのです。

なぜなら、私の部屋の棚には、どうしても手放せないコミックやアニメのブルーレイBOXが、今も大切に並んでいるから。「モノを持たないことが正義」とされる風潮の中で、それらを持ち続けている自分は、まだ断捨離の入り口にさえ立てていないのではないか。そんな思いが心のどこかにありました。

しかし、自分なりの「捨て活」を深めていくうちに、あることに気づきました。完璧な断捨離はできていなくても、確かな変化が起きていることに。今回は、そんな私の現在地についてお話しさせてください。


そもそも「断捨離」の本当の意味とは?

「断捨離」という言葉は、今や片付けの代名詞です。しかし、そのルーツがヨガの行法(断行・捨行・離行)にあることは、意外と意識されにくいかもしれません。改めてその意味を整理すると、こうなります。

  • 断: 外から不要なモノが入ってくることを【断】つ

  • 捨: 今持っている不要なモノを【捨】てる

  • 離: モノへの執着から【離】れる

この三つのステップを循環させることで、心の中を整理し、執着から自由になる。それが本来の姿です。ただ、最初からこれらすべてを完璧にこなすのは、想像以上にハードルが高いものです。だからこそ、私は「断捨離」という高い山を見上げる前に、まずは今の自分にできることから始めようと決めました。それが、私が現在推し進めている「捨て活」です。


【捨】の記録:手放した先に生まれた「余白」

私が取り組んでいる「捨て活」とは、これまで長い時間をかけて溜め込んできた「不要なモノ」や、惰性で続けてきた「不要なコト」を、一つひとつ手放していく過程そのものです。

かつての私は、どこか「いつか使うかも」「もったいない」という言葉に縛られていました。しかし、意を決して手放し始めてみると、意外な発見がありました。手放したモノについて、後悔することが全くないのです。

むしろ、多くのモノを手放すごとに空間に「余白」が生まれ、思考がクリアになっていく心地よさ。この「身軽さ」を知ったことで、私の捨て活は単なる掃除を超えて、自分自身の価値観を再構築する作業へと変わっていきました。順序は少し変則的かもしれませんが、まずは物理的な【捨】を徹底することで、私の生活は確実に「断」や「離」へとつながる入り口に立ち始めたのです。


【断】の工夫:好きなものとの「適正な距離感」

「不要なモノを入れない」という【断】のステップについても、自分なりのルールができてきました。これを完璧に実行しようとすると、一切の買い物を禁じるような修行をイメージするかもしれませんが、私の場合は少し違います。

たとえば、大好きな「推しのグッズ」。これらは生活必需品ではありませんが、私の人生を豊かにしてくれる大切なエッセンスです。だからこそ、私は「一切買わない」と決めるのではなく、自分の中で「管理できる範囲、程度をわきまえて購入する」という境界線を引いています。

また、趣味のゲームについても、最近はダウンロード版を選ぶことが増えました。中身は存分に楽しみつつも、物理的な「モノ」としての体積は増えない。これは、現代におけるスマートな【断】のひとつの形だと思っています。物欲を無理やりゼロにするのではなく、自分の管理できる範囲を見極める。それが、私なりの「入ってくるモノを断つ」という向き合い方です。


【離】の現在地:執着ではなく「厳選」

そして、もっとも難しいとされる【離】。モノへの執着から離れること。 正直に言えば、私にはまだ手放せないものがたくさんあります。全巻揃えたお気に入りのコミックや、何度も見返したアニメのブルーレイBOX。これらを今すぐ手放して、何もない部屋で過ごすことが「正解」だとは、どうしても思えませんでした。

ただ、以前の自分と違うのは、それらを「際限なく増やさない」と自ら制限をかけていることです。自室の棚に収まる程度に留める。これは「執着に振り回されている」状態ではなく、自分が本当に大切にしたいものを「厳選して、管理下に置いている」状態だと言えるのではないでしょうか。

無理に手放して心に穴をあけるのではなく、今の自分にとっての「適正量」を知ること。それが、執着から少しずつ距離を置くための、私なりの第一歩なのです。


未完成の「断捨離」が、今の私にはちょうどいい

「私は、断捨離ができていない」 そう思っていたはずの私の現在地を改めて見つめ直してみると、不思議なことに、少しずつその域に近づいている自分に気づきます。

徹底的に手放した(捨)ことで身軽になり、その心地よさを守るために「本当に必要なもの以外は入れない」習慣(断)が形作られました。その結果、今手元に残っているのは、自分の目で選び抜いた「厳選されたお気に入り」ばかりです。

たしかに、趣味のモノへの愛着は残っています。でも、それはかつてのような「モノに支配される執着」ではありません。今の私にとって、それは「離」の境地に達していないというより、自分の人生に豊かな彩りを与えてくれる、心地よい「余白」の一部なのだと思えるようになりました。

完璧な完成形を求める必要はありません。大切なのは、自分が今、好きなモノに囲まれ、それらを自分でコントロールできているという実感です。

これからも、私は「断」の閾値を上げ、一歩ずつ「捨」を進めていくでしょう。もっともっと好きなモノだけに囲まれたい。そして、それ以外のモノに対しては、軽やかに、しなやかに「離」の思いを高めていきたい。「断捨離」はゴールではなく、心地よい自分であり続けるための、終わりのない旅のようなもの。

私はこれからも、私なりの「捨て活」を楽しみながら、この道を歩んでいこうと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。


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