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「アメリカ」(Paul Simon 作詞作曲), その歌詞を読み解く試み

難解な言葉は使っていないのだが, ある意味「だからこそ」様々な解釈が可能な余地・余白がある, そんな余韻が感じられるこの歌。その「アメリカ」の歌詞を読み解く試みをあらためて。完全に解読するのは無理なので(それは殆ど全ての歌の歌詞に言えることだけど), あくまで, ネット上の複数の評者の解説を参考にしたうえでの, この note 筆者個人による解釈。その解釈を基にした本日付の America 歌詞和訳・改訳が, 今日の最終章。

なお, タイトル画像に Simon & Garfunkel「アメリカ」リリース(1968年4月3日, アルバム "Bookends" に収録)前の 1965年8月リリース "The Paul Simon Songbook" カヴァー写真を使っているのは, これは過去の note でも繰り返し書いていることだけれども, 写真の右側に写る Kathy(Simon のロンドン在住当時の恋人 Kathleen Mary "Kathy" Chitty)の名が「アメリカ」の歌詞に二度現われ, それだけでなくそもそもこの歌は 1964年9月に実際に Simon が Kathy と「アメリカ」を巡る旅をした, その経験にインスパイアされた曲であるため。

冒頭書いたように, 難解な歌詞の, という類の歌ではない。だから, ここまで時間と労力と文字数(「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」, 椎名誠翁お元気ですか)をかけなくても, とは思うものの, まぁ行き掛かりやら成り行きやらでこうなった。個人的には結果よりプロセスの方がより意味があったのかも。

第2章で紹介しているブログによる歌詞解読・解釈・解説は, なかなか面白い読み物だと思います。同じく英語版 Wikipedia の方の情報も興味深いものがある。ともあれ, 自身による理解を他の様々な解釈を参考に発展させ, 辿り着いたのが, 2026年3月26日付 America 歌詞和訳・改訳。


"I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」

"I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」

まずは, 次節にリンクを置く 2026年3月12日付 note「"America" (サイモンとガーファンクル) 歌詞和訳, 再び」の第2章第1節・本文を, 以下にそのまま再掲します。
…………………….

real estate について, そして Verse 1 冒頭における主人公の言葉 "Let us be lovers, we'll marry our fortunes together. I've got some real estate here in my bag" に関して, あらためて検討する。

real estate の英語の意味自体はもちろん「不動産」なのだが, この歌の歌詞を日本語に訳す際にこの real estate を含むラインをどのような日本語に置き換えるべきなのか。そこはいざ迷い出すとけっこう悩ましい話にはなる。

real estate は普通, 「不動産」の意で使われる熟語だ。これはこの歌の歌詞を訳そうとする多くの人の知るところではあると思う。これをもともと「金(かね)」を意味する熟語だと思う人はさすがにいまい。もうひとつ言えることは, この real estate の熟語の意味を知らない人なら, 辞書を引くことになる。引けば, すぐに「不動産」と分かる。

この歌の歌詞の和訳を試みたのは随分と昔のことなのだが(23年余り前, 2002年12月7日), その頃の自分は既に雑誌に掲載された英文記事などで「不動産」を意味する熟語 real estate を把握していたように思う。仮にその時点で知らなければ(まさか知らないまま「金(かね)」の意と断定するはずもなく)辞書を引くはずだから, いずれにしても real estate は「不動産」と分かったうえで, しかしこの歌詞の中では(そのラインあるいはヴァース全体を)どういう日本語で表現するのか, と考えたのだろう。

当時の自分がどういう考えで "I've got some real estate here in my bag" を「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」としたのか, 何しろ20年以上前のことでそれは自分でも想像する他ないのだが(ガキの頃, 1970年代初期!にLPレコードのライナーノーツ内で見た日本語訳の微かな記憶に引きずられた一面すらあるの「かも」しれない), 昨日切っ掛けがあり, あらためて, real estate について, そして Verse 1 冒頭における主人公の言葉に関して, 以下に検討することにした。

"Let us be lovers, we'll marry our fortunes together
I've got some real estate here in my bag"


上記 Verse 1 の冒頭, これをまずは分解し, それぞれ分けて検討してみる。

1) Let us be lovers
「僕達、恋人になろう」

2) we'll marry our fortunes together
「僕らの運命を一緒にするんだ」

marry は「結婚する」「結婚させる」などの他に 他動詞として「(~を)結合させる」という意味で使われる場合がある。ここではそれだろう。

fortune(s) は「富、財産、大金」あるいは「運」「幸運」もしくは「運勢」。歌詞の上記ラインにおいては, 「財産」「運」「運勢」(もしくは「運命」)辺りなら, そのいずれに解釈しても通る気がする。ただし, この歌の二人である限りは「財産」の場合は「少しの財産」である(要するに「富」や「大金」ではない)。

3) I've got some real estate here in my bag
「少しなら不動産があるんだ, 鞄の中に」
「少しならお金もあるんだ, バッグの中に」(意訳的)

鞄とバッグの違いにはさしたる意味はない(「不動産」という漢字を使うと「鞄」にしたくなる, ただそれだけかもしれない)。

さて, 上に書いたように, real estate は「不動産」の意で使われる熟語だ。これはこの歌の歌詞を訳そうとする多くの人の知るところではあると思う。これをもともと「金(かね)」を意味する熟語だと思う人はさすがにいまい。もうひとつ言えることは, この real estate の熟語の意味を知らない人なら, 辞書を引くことになる。引けば, すぐに「不動産」と分かる。

問題は, ここでそのまま「僕は 鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」と, 素直に(直訳あるいは逐語訳的に)日本語にすべきなのかどうか, ということ(一応付しておくと, some は「幾ばくかの」といった意味で使われる場合がある)。

「不動産」は堅苦しく言えば「土地およびその定着物(建物)」(動かせない財産)のことで, 当然ながら「土地」や「建物」は 鞄の中に入らない。バッグの中には入らない。したがって, 「僕は 鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」, では明らかにおかしい(有り得ない)表現だ。

とはいえ, その種の, 現実では有り得ないことを言葉で表わすことは, 詩もしくは歌詞の中では逆にいくらでも有り得る(比喩なり暗喩なり様々なかたちで)。そのうえで, それをどういう日本語にするのか, ということになる。要するに, 比喩なら, 詩的な表現なら, 例えば日本語にした場合にかなりの違和感があるケースでもそのまま(ある意味, 直訳的もしくは逐語訳的に)訳すのか, それとも, 文脈や前後あるいはそのヴァース全体の意味を踏まえて意訳するのか(意訳的な翻訳をするのか), そこは詩や歌詞を訳す作業において極めて難しい問題のように思える。

"Let us be lovers, we'll marry our fortunes together
I've got some real estate here in my bag"

Let us be lovers, we'll marry our fortunes together は, 上の検討によれば「僕達、恋人になろう。僕らの運命(運勢, 運, 幸運)を一緒にするんだ」「僕達、恋人になろう。僕らの財産(少しの財産)を一緒にするんだ」など。

筆者の当初の訳では「僕達、恋人になって結婚しよう。未来を一つにしてパートナーになろう」としていて, 意訳ではあるが, そう飛躍的な意訳ではないと自分では思う。

I've got some real estate here in my bag は「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」としていたのだが, これは要するに, まずは「鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」ではさすがに日本語として違和感が強いだろうと考えたのだろうと思う。そのうえで, 「不動産」を意味する real estate は ここでは何なのか, 「幾ばくかの」を意味する some と合わせ, some real estate「幾ばくかの不動産」, しかも here in my bag「鞄の中に」とはどういうことなのか, 何を意味する比喩なのか, 考えたのだろう。

考えたのだろうが, 名案も浮かばず, その前の we'll marry our fortunes together fortunes が「財産」「大金」などを意味する言葉でもあることを踏まえ(あるいはそれに釣られ), 「鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」を「鞄の中に少しのお金なら持ってるんだ」とし, 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」に落ち着いたのでは, いま察する限りでは, 23年余り前の自分の歌詞和訳作業の一部をそんなふうに, 大雑把に想像する。

さて, ここで, 今朝「発見」したあるウェブサイトのページから転載。

Then where his is home, such as it is? He tells us that in the first verse: "I've got some real estate here in my bag." His home is the road. George Carlin explained, in his famous "Place for My Stuff" routine, that a house is "just a pile of stuff with a lid on it." Well, Simon's "place for his stuff" is in his bag. All he needs is some junk food, cigarettes, and a magazine... and he's set.

http://paulsimonsongs.blogspot.com/2010/04/america.html

日本語訳

では, 彼の家は一体どこにあるのだろうか? 彼は最初のヴァースで告げている。「鞄の中に幾ばくかの不動産があるんだ」。彼の家は道路だ, 路上だ。George Carlin は, 彼の有名な "Place for My Stuff"(俺の持ち物の置き場所)という演目で, 家とは「蓋が付いたただの物の山」だと説明した。そうなんだ, ("America" の歌のなかの)Simon にとって「彼の持ち物の置き場所」は 鞄, バッグの中なのだ。彼に必要なのはいくらかのジャンクフード, タバコ, それから雑誌…それだけだ, それで準備完了ってわけだ。

ここで再び, 件(くだん)のラインに関し, 考えを進めてみる。

「不動産」, 要するに土地や建物, 家などは動かせない, だから「不動産」だ。それが「鞄の中にある」という。そんなもの, 実際にはあるわけがない。そして, あるいは「しかし」, 彼はいま(キャシーと二人で)「アメリカ」(が象徴するもの, もしくは「アメリカ」が象徴するものと彼が考えたもの, 自由, 希望, チャンスなど)を探す旅に出るところだ。彼の家(「不動産」)はその旅の中にある, あるいはその旅の途上にある, ある意味「有り体に言えば」その旅をするうえでの, 路上にある。

そんなふうに解釈したうえで I've got some real estate here in my bag を「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」という些か皮肉めいてユーモラスな語感のある日本語に置き換えるなら, それを上記のような解釈を背景としたものだとするのであれば, これはこれでわるくないかなと思う。

疲れたね(笑)。

2002年12月7日 初訳

「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 お金なら何とかなるさ
 バッグに少し持ち合わせているんだ」

2026年3月12日 試訳(案)

「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 少しなら不動産だって持ってるんだ
 鞄の中だけどね」

「"America" (サイモンとガーファンクル) 歌詞和訳, 再び」(2026年3月12日)

訳(わけ)あって, 再び。

下掲 note 前口上, 以下はその目次及びリンク

1. "Kathy," I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
2. America 歌詞和訳
 1) "I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」
 2) America 歌詞和訳

3. 訳(わけ)あって, 再び 〜 その切っ掛け
 1) 切っ掛け
 2) "I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」

4. American Tune 歌詞和訳 - One Nation Under a Groove - America 歌詞和訳 - Rolling Stone

ではでは。

参考資料 1 〜 ブログ "Every Single Paul Simon Song*" から "America" (解説を翻訳・試訳, および補足メモ)

このブログを知ったのは, "Was a Sunny Day" 歌詞和訳の時

Was a Sunny Day の歌詞和訳の際に初めて知り, その後, 「"America" (サイモンとガーファンクル) 歌詞和訳, 再び」の際にも参照している(後者は本節にて後述)。

上掲 note 第3章第3節「訳注を兼ねた解説 その 2」より転載。

一気に Was a Sunny Day, Paul Simon, meaning でググってみようと思い立ち, それで見つけたのが,

これまでに ポール・サイモンの曲の歌詞を 25曲分も和訳しながら(今日の Was a Sunny Day 加えると 26曲!), こんなサイトがあるなんて 知らなかった。というか, 今までの和訳はこの種のサイトをあまり気にせずにやってきたわけだけど(いやまぁ, 曲によってはググって有用な情報得たりしたこともあったな)。

しかし, Was a Sunny Day のそれのようにシンプルな歌詞でありながら, ググって見つけたサイトでその隠し味を知ることになる, これはなかなかに貴重な経験だった。

歌詞を和訳するうえで純粋に日本語表現に関する部分で他力を得ることは今後もできるだけしたくないけれど, 今回の例のようなものは有意義だという感想です。

とりあえず 上掲のサイトに書かれていることをざくっと以下に記すと(詳細は リンク をクリックして確認を!),

以下, 略

「"America" (サイモンとガーファンクル) 歌詞和訳, 再び」においても参照している。

第2章第1節("I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」)より。

さて, ここで, 今朝「発見」したあるウェブサイトのページから転載。

鉤括弧付きで「発見」と書いたものの, これはあらためて I've got some real estate here in my bag, meaning でググって「再発見」したウェブサイト, 実際には, 上記の Was a Sunny Day 歌詞和訳の際に見つけたサイトにおける America 歌詞解説のページ。

内容は, 試訳と若干の補足のメモを添えて, 次節で紹介する。

ブログ "Every Single Paul Simon Song*" から "America" (解説を翻訳・試訳, および補足メモ)

「アメリカ」(Paul Simon 作詞作曲, Simon & Garfunkel 1968年2月1日録音, Simon & Garfunkel 4作目のアルバム・1968年4月3日リリース "Bookends" に収録), 主としてその歌詞について。

本節では, このブログ(シカゴ在住のブロガー・音楽ライターによるもの, 因みに当ブログの趣旨はこのページに記述)の著作権に鑑み, 原文の転載は特に重要だと思われる「部分」のみに留める(その他は翻訳・試訳のみ)。

以下, 所々に筆者(本 note の筆者)による注釈・メモを付しながら, このブログに書かれた歌詞の解釈・解説を紹介する。

If this song depicts travelogue, it takes place over a relatively small slice of a very large country. The speaker-- we assume it is Simon himself, as his travelling companion is Kathy, presumably the same one as in "Kathy's Song"-- started (as far as we know) in Saginaw, MI. It took him "four days to hitch-hike," from there to... where it is they are together boarding "a Greyhound [bus] in Pittsburgh." The only other location we are given is "The New Jersey Turnpike." Obviously, they are travelling east.

(試訳)

この歌が旅行記を描写(表現)しているとすれば, それは広大な国(アメリカ)のごく一部を舞台としていることになる。語り手(おそらくサイモン本人だろう, そして旅の同行者はキャシーで, こちらもおそらく「キャシーの歌」に出てくるキャシーと同じ人物だ)は, (我々の知る限り)ミシガン州サギノーから旅を始めた。そこから「ヒッチハイクで 4日間」かけて, 二人が「ピッツバーグでグレイハウンドバス」に乗り込む場所までたどり着いた。他に場所が示されているのは「ニュージャージー・ターンパイク」だけだ。明らかに, 彼らは東に向かって旅をしている。

… … メモ
筆者(本 note の筆者)が この歌の歌詞を訳そうと最初に試みた時(2002年12月だから 23年以上前に遡る), いやそれだけでなくごく最近まで, この歌の歌詞で描かれる「アメリカ」の旅は(歌詞の中では)その一部が描写されているという前提で(前提でというより何の疑問も持たず, ということだったかもしれないのだが), この歌が「広大な国(アメリカ)のごく一部を舞台」とした「旅行記」になっているといったことを特段意識することはなかった。というか, 歌詞に登場する地名やその地理的関係などに関してさほど深く考えなかったと思う。

そもそも筆者(本 note の筆者)は これまで, "Michigan seems like a dream to me now. It took me four days to hitch-hike from Saginaw .." を「ミシガンは僕には今では夢のようだよ。前なら 4日もかかったんだ, サギノウからヒッチハイクをしたらね ..」と訳していて, 要するに勝手に, 歌詞には明示のない「前なら」「以前なら」というニュアンスを加え, サギノウ(本来 Saginaw (/ˈsæɡɪnɔː/) は「サギノー」と表記すべき)からの「ヒッチハイクで 4日間」はこの歌の歌詞における旅の一部ではなく, 語り手(これはサイモン本人)がある程度の昔を思い出しながら "時代が変わった" という感慨をキャシーに伝えているものと解釈し, その解釈をもとに意訳していたことになる。

最近になって, この意訳はガキの頃, それはもう半世紀を優に超える小学校高学年の頃になるのだが, 当時の田舎の我が家にあった LPレコードのライナーノーツに付いていた歌詞の和訳の記憶が影響していたのではないか, そう思うようになった。そう感じ出すと, 少なくともこの歌「アメリカ」の歌詞の和訳に関しては, 他の箇所にも, 半世紀以上前にライナーで見た和訳歌詞の記憶からの影響と思われるところがある。実際, 大人になってからはライナーの類はほぼ読まなくなったものの, ガキの頃はかなり熱心なライナーノーツ読者だったと思う。何しろ好きな歌やミュージシャンのことは, 何でも知りたかったのだ。

ともあれ, 上掲ブログの著者によれば, この歌詞における物語(それは実際のキャシーとの「アメリカ」を巡る旅の経験にインスパイアされたフィクションなのだが)の中では, まず語り手(ポール・サイモン)は, as far as we know(我々の知る限り, 要するに歌詞から最低限わかる限りにおいては)ミシガン州サギノーから旅を始め, そこから「ヒッチハイクで 4日間」かけてピッツバーグ(あるいはその近辺)にたどり着き, そこでキャシーと(そこでキャシーと会い, あるいはキャシーという女性に出会い, もしくはキャシーに再会して)二人で「ピッツバーグでグレイハウンドバス」に乗り込む, そんなふうな筋書きになる, ということなのだろうと思う。
… … メモ

(上掲ブログ, 続き)

If they are only seeing one part of the country, then, do they mean when say they are "look[ing] for America"?

(試訳)

もしも彼らが国の一部だけを見ているのなら, 彼らが「アメリカを探している」と言うとき, それは文字通りの意味になるのだろうか(それはどういう意味になるのだろう)。

If they were looking for the "real America," as in the small towns of the Heartland... well, they were closer when they were in Michigan to begin with. They went past Philadelphia, too, so they are not looking for America's birthplace or a sense of its history. They are not looking for the tourist's America, the one comprised of a checklist of natural wonders and national landmarks; they do not go to Mt. Rushmore, the Grand Canyon, or Niagara Falls.

(試訳)

もしも 彼らが Heartland(訳者注:アメリカの中部地域・保守的で伝統的な価値観が支配的な地域, ハートランド, アメリカ中西部)の小さな町々にあるような「本当のアメリカ」を探していたのだとしたら… そもそもミシガン州にいた時にはその「本当のアメリカ」に近いところにいたことになる(訳者注:余談だが, ブログに書かれている "when they were in Michigan" は, 一方では "It took me four days to hitch-hike from Saginaw (Saginaw, Michigan)" と言うサイモンが 既にミシガンでも一人でなくキャシーと二人だったという意味合いになるようで, そこはやや疑問)。

彼らは Philadelphiaフィラデルフィア)も通り過ぎたのだから, アメリカ発祥の地を探しているのでもなく, アメリカの歴史を感じたいのでもない。自然の驚異や国の史跡を巡るような, 観光旅行者向けのアメリカを探しているのでもない。ラシュモア山や グランドキャニオン, ナイアガラの滝には行かないのだ。

*以下, 続く4段落分は, このブログの著作権(各ページの最下段に注釈)に鑑み, 翻訳・試訳のみ掲載する。

しかし, サイモンが ニューヨーク出身(訳者注:ポール・サイモン はニュージャージー州ニューアーク市生まれで, 3歳頃からニューヨーク州ニューヨーク市育ち)であること, そして彼にとって「アメリカ」が ニューヨークにあることは, 地図やGPSがなくても分かるのだ。そして, ピッツバーグからペンシルベニア・ターンパイクを東へ進めば, ニュージャージー・ターンパイクに入り, その ニュージャージー・ターンパイクを北に進むとニューヨーク市に着くのである。

しかし 彼はまだそこに着いていない。歌は彼がまだ旅(「アメリカ」の旅)の途中にいるところで終わる(訳者注:ただしフェイドアウト)。最初のヴァースでは「僕たちは…アメリカを探しに歩き出した」とある。そしてサイモンはキャシーに言う, 「僕はアメリカを探しに来たんだ」と。それから, 彼らの目的地らしきところに近づいた辺りでキャシーはうたた寝してしまうのだが, しかしサイモンはそれでも彼女に告げる, "I'm lost." と(訳者注:ここは色んな訳し方ができる, 「僕はどこにいるのか分からなくなったよ」「僕は何をすべきか分からなくなったよ」あるいはシンプルに「僕は道に迷ったんだ」など)。
He has "look[ed]" and "look[ed]" and is still "lost".(彼は「探して」も, 「探して」も, つまり 探し続けても, それでもまだ「分からなくなって」いる。あるいは それでも「道に迷っている」)
そして サイモンは, 自分が道に迷っている, 分からなくなっているという感覚を, 同じ highway(目的実現のための直行路)を旅する他の旅人たちにも投影する:"They've all come to look for America!"(「みんなアメリカを探しに来たんだ!」)

彼が(「アメリカ」を)見つけられないのは 驚くことではない。他の誰も見つけられないのだ。
All they can do is travel the highways, looking.(彼らにできるのは highway を走り, 旅し, 探すことだけだ。)

道中, 我々は(この歌の歌詞から)提供された詳細により彼らの関係, 間柄について知ることになる。彼らは楽しそうに冗談を言い合い, タバコを吸い, あるいは雑誌を読む。
彼らは同乗者について即興で陰謀論のジョークを飛ばして暇をつぶすのが好きだ。That fellow is just too self-consciously stuffy-looking, with his "gabardine suit" and his "bow tie"-- he must be a "spy"!(あの男は人目を気にし過ぎで不機嫌そうに見えるね, 「ギャバジンスーツ」に「蝶ネクタイ」で -- きっと「スパイ」に違いない!

以下, 再び, 原文英語および日本語訳。

And, just as Simon notices the Moon, we must notice how he evokes the roundness of it with the assonance of the long O. He sees it as it "rOse Over an Open" meadow [capitals mine]. He doesn't say, yet he shows, that this is a full Moon.

(試訳)

そして, サイモンがまさに月について気づいたように, 我々は彼がいかに長母音の "O" の assonance(母音韻, 複数の語の母音を同じにする押韻の技法)を使って月の丸みを想起(連想)させているのか, 気づかなければならない。彼は月を見る際, as it "rOse Over an Open" meadow(大文字はブログ著者による)(月が開けた牧草地を昇る, それをそんなふうに描写している。)(訳者注:meadow は牧草地のこと, 「アメリカ」の実際の歌詞においては And the moon rose over an open field
つまり, 彼はそう明言はしていないものの, こうしてその月が満月であることを示しているのだ。

Simon doesn't realize it, but he has found America... in that he hasn't. America, after all, is less a place than a state of being. And that is a state of yearning, of being pulled forward toward an endlessly receding destination. "I'm empty, and aching, and I don't know why."

(試訳)

サイモンは気づいていないが, 彼は「アメリカ」を見つけた…(それはしかし「アメリカ」を)見つけていないという事実において。「アメリカ」とは結局のところ, 場所というよりも, むしろ存在の状態なのだ。そしてそれは, 切望の状態であり, 果てしなく(訳者注:心理的な意味で「何処までも」)遠ざかる目的地へと引き寄せられている状態なのだ。「僕は空っぽで, 苦しくて(心が痛んで), おまけにどうしてなのかもわからないんだ

The whole trip is about moving. He didn't live in Saginaw, he hitch-hiked "from" there. He didn't visit Pittsburgh, he "boarded a Greyhound" there. He does not mention his destination, but he also makes no mention of relocating there or staying there for any length of time.

(試訳)

この旅のすべては移動に関するものだ彼は サギノーに住んでいたわけではなく, 「そこから」ヒッチハイクをした。彼は ピッツバーグを訪れたわけではなく, そこで「グレイハウンドバスに乗った」。彼は目的地について何も言及していないが, そこに引っ越したり少しの間でも滞在したりといったことにも全く触れていない。

This is the unlike his feeling in "Kathy's Song" and "Homeward Bound," in which he yearns to be somewhere specific he is not. Here, he knows he is not home, yet he can't seem to imagine where that could be, either.

(試訳)

これは「キャシーの歌」や「早く家に帰りたい」における彼の感情とは異なる。それらの曲では, 彼は今の自分がいない特定の場所に行きたいと切望していたのだが, しかしここでは(この歌「アメリカ」では), 彼は自分が家にいないことを分かっているにもかかわらず, ではそれが何処にあるのか, それも想像できないようなのだ。

Then where his is home, such as it is? He tells us that in the first verse: "I've got some real estate here in my bag."
His home is the road. George Carlin explained, in his famous "Place for My Stuff" routine, that a house is "just a pile of stuff with a lid on it." Well, Simon's "place for his stuff" is in his bag. All he needs is some junk food, cigarettes, and a magazine... and he's set.

上のパラグラフは, 「"America" (サイモンとガーファンクル) 歌詞和訳, 再び」第2章第1節("I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」)(今日の第1章第1節に転載)で 既に取り上げており, そこでは次のように日本語訳を掲載していた。今日の本章本節の表記に合わせ, "America" は「アメリカ」, Simon は「サイモン」に代えて, 以下に転載する。

では, 彼の家は一体どこにあるのだろうか? 彼は最初のヴァースで告げている。「鞄の中に幾ばくかの不動産があるんだ」。
彼の家は道路だ, 路上だGeorge Carlin は, 彼の有名な "Place for My Stuff"(俺の持ち物の置き場所)という演目で, 家とは「蓋が付いたただの物の山」だと説明した。そうなんだ, (「アメリカ」の歌のなかの)サイモンにとって「彼の持ち物の置き場所」は 鞄, バッグの中なのだ。彼に必要なのはいくらかのジャンクフード, タバコ, それから雑誌…それだけだ, それで準備完了ってわけだ。

… … メモ
His home is the road 
とあるが, road は「巡業、遠征」「進路、道筋」といった意味でも使われる言葉。一方, real estate は「不動産」(因みに「動産」は personal estate もしくは personal property)。日本語だと「土地およびその定着物(家など)」を意味する「不動産」は, 漢字から「動かせない財産」の意味合いが強く出るのだが, 英語の方ではそうでもない(英語ではそういう見た目の言葉ではない)。

結局, サイモンは「バッグの中に幾ばくかの(本来は土地や家を意味する)不動産 real estate がある」と言いながら, もちろん土地や家がバッグの中に入るはずもなく, 実際には「ジャンクフード, タバコ, それから雑誌」など, つまり「動産」(personal estate もしくは personal property)をバッグに持っている, ということになる。

持っているのは 実は「動産」だけなのに, 家などを意味する「不動産」real estate をバッグの中に持っていると言っているのは, 自分は何処かに定着するのではない, 自分の家は路上にある, 自分の家は旅路そのものだという, そんなボヘミアン的な感覚を表わすための, ある種ユーモラスな比喩のようなものだろうか。
… … メモ

*ブログ の残り 3段落分は, 再び, このブログの著作権(各ページの最下段に注釈)に鑑み, 以下では(英語原文の転載は割愛し)本 note 筆者による翻訳・試訳および メモの掲載に留める。

ニューヨークに近づくにつれ, サイモンは(訳者注:彼が考える「アメリカ」を前にし)期待でワクワクして胸躍るはずだった。結局, 歌にあるように, ニューヨークで成功できれば何処でも成功できるのだろうから。
しかし実際にはそうではなく, 彼は まるで emptiness(虚無感)に満たされているかのようだ。ここは他の場所と比べて良い場所というわけではない, 彼はただそのことを知っているのだ。

しかし, これが アメリカという「場所」だ。アメリカは 名詞というより動詞 だ。「アメリカを探す」ことはできない。アメリカとは, 探し求め, 捜し続け, 求め続ける, その状態なのだ。グレイハウンドバスは 決して何処にも着かない, それはただ, 次の街へ君を連れて行ってくれるだけのものなのだ。

… … メモ
*アメリカという「場所」は, 名詞ではなく動詞。「アメリカとは, 探し求め, 探し続ける状態」, つまり, アメリカとは「アメリカを永遠に探し続ける旅」, 「アメリカを探し続けながら永遠に見つからない, 終わりのない旅」を意味するもの。となると, まるで アメリカの何処にも「幸福」がないかのよう。あるいは, 「幸福」はその永遠の旅の中で見つけるものなのか。

まるで 永遠の「山のあなたの空遠く 幸(さいはひ)住むと人のいふ」だな。であるならば, 何気にアメリカは随分と不幸な「場所」にも思えてくるね。それと, ここいら辺りで 「アメリカの歌」のアメリカも思い起こせるような気がする。
… … メモ

最後に一言, この曲の構成について。歌詞に 韻が踏まれていないために緩い(締まりがない)ように見えるが, 一方で この曲はかなり厳格なワルツのリズムに従っている。

参考資料 2 〜 Wikipedia "America" から, 複数の評者・ライターなどの解説・解釈(和訳, および補足メモ)

America (Simon & Garfunkel song) から, 歌詞の解読・解釈に有用な部分を中心に和訳, および補足のメモを(2026年3月25日現在の Wikipedia 記述内容をもとに)。

It was inspired by a 1964 road trip that Simon took with his then-girlfriend Kathy Chitty.

「アメリカ」は, 1964年に サイモンが 当時の恋人キャシー・チッティ(Kathleen Mary "Kathy" Chitty)と行なった(アメリカ国内を巡る)ロードトリップ, クルマによる長旅から, 着想を得た曲である。

Background(背景)

"America" was inspired by a five-day road excursion Simon undertook in September 1964 with Chitty. Producer Tom Wilson had called Simon, living in London at the time, back to the United States to finalize mixes and artwork for their debut studio album, Wednesday Morning, 3 A.M. Simon, reluctant to leave Chitty, invited her to come with him; they spent five days driving the country together.

Several years later, "America" was among the last songs recorded for Bookends, when production assistant John Simon left Columbia Records, forcing Simon, Garfunkel, and producer Roy Halee to complete the record themselves.

In 2004, Bob Dyer, a former disc jockey from Saginaw, Michigan, explained the song's genesis in an interview with The Saginaw News. According to Dyer, Simon wrote the song while visiting the town in 1966 after Dyer had booked him for Y-A-Go-Go, a concert series hosted by the Saginaw YMCA.

I asked Paul Simon if they were still charging the $1,250 we paid them to play and he said they were getting about four times that much then. Then I asked him why he hadn't pulled out, and he said he had to see what a city named Saginaw looked like. Apparently, he liked it; he wrote "America" while he was here, including that line about taking four days to hitchhike from Saginaw.

(日本語訳)

「アメリカ」は, サイモンが 1964年9月に チティ(Kathleen Mary "Kathy" Chitty)と行なった 5日間の(アメリカ国内を巡る)ロードトリップ, クルマによる長旅 から着想を得た 曲だ。プロデューサーのトム・ウィルソンは, 当時ロンドンに住んでいたサイモンをアメリカに呼び戻し, (サイモンとガーファンクルの)デビュー・スタジオ・アルバム Wednesday Morning, 3 A.M. のミックスとアートワークを完成させようとしていた。
チティ(Kathleen Mary "Kathy" Chitty)と離たくなかったサイモンは, 彼女を誘ってアメリカに戻り, 一緒に(アメリカ国内をクルマで巡る 5日間の旅をした。

数年後, 「アメリカ」は(サイモンとガーファンクル 4作目のアルバム)Bookends のために録音(1968年2月1日)された最後の曲の1つとなった。制作アシスタントのジョン・サイモンがコロンビア・レコードを去ったことで, サイモン, ガーファンクル, そしてプロデューサーのロイ・ハリーだけでレコードを完成させざるを得なかった。

2004年, ミシガン州サギノー出身の元ディスクジョッキー Bob Dyer は, The Saginaw News とのインタビューで この曲の誕生について説明した。
Dyer によれば, サイモンはこの曲を, 1966年に サギノーYMCA主催のコンサートシリーズ Y-A-Go-Go に出演するよう Dyer が 彼をブッキングした後, (サイモンが)その町を訪れた際に書いた, ということだ。

「ポール・サイモンに, 我々が演奏料として支払った1250ドルを今でも請求しているのかと尋ねると, 彼は当時その4倍くらいの金額を請求していたよと答えたんだ。それから, じゃぁなぜ公演を中止しなかったのかと尋ねると, 彼は サギノーという街がどんなところか見なくちゃと思ったからだと答えたんだよ。どうやら彼はその街を気に入ったようで, サギノー滞在中に『アメリカ』という曲を作詞作曲し, その歌詞には サギノーからヒッチハイクで 4日間かけて というライン(It took me four days to hitch-hike from Saginaw)も含まれたってわけさ。」

* 上掲, 最後の「 」内は, 以下の The Saginaw News の記事終盤からの引用による。

https://www.mlive.com/news/saginaw/2010/12/anonymous_artist_explains_moti.html

Composition(構成, 作詞作曲)以下, 抜粋。

The lyrics are written in blank verse.

(日本語訳)

歌詞は ブランクヴァースで書かれている。

なお, 「ブランクヴァース」とは, 

ブランクヴァース無韻詩, Blank verse)は詩の一種で、規則的な韻律(meter)は持つが、押韻(rhyme)は持たないのが特徴である。英語詩において、ブランクヴァースに最も一般的に用いられる韻律は弱強五歩格である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ブランクヴァース

America (Simon & Garfunkel song) から, Composition(構成, 作詞作曲)に戻る。

The narrator spends four days hitchhiking from Saginaw to join Kathy in Pittsburgh, where together they board a Greyhound bus to continue the journey.[8]

For the trip, they purchase cigarettes and Mrs. Wagner's Pies.
The narrator begins with a lighthearted and optimistic outlook ("Let us be lovers, we'll marry our fortunes together") that fades over the course of the song.
To pass time, he and Kathy play games and try to guess the backgrounds of their fellow passengers.
Over the course of their journey, they smoke all their cigarettes.
Kathy reads a magazine before falling asleep, leaving the narrator awake to reflect on the meaning of the journey alone.[8]

In the final verse, the narrator is able to speak his true emotions to Kathy, now that she is sleeping and cannot hear or answer. "I'm empty and aching and I don't know why" captures the longing and angst of the 1960s in nine simple words.

(日本語訳)

語り手(サイモン)は ピッツバーグで キャシーと合流するために サギノーから 4日間ヒッチハイクし, (その後)ピッツバーグで 二人はグレイハウンドバスに乗って 旅を続ける。[8]

旅のために, 彼らはタバコとミセス・ワグナーのパイを買う。
語り手は 最初は 軽快で楽観的な見方("Let us be lovers, we'll marry our fortunes together"「僕達, 恋人になろう, 運命(未来)を共にしよう」)で旅を始めるが, 歌が進むうちにそれは薄れていく
時間をつぶすため, 彼とキャシーはゲームをしたり, 他の乗客の素性を推測しようとしたりする。
旅を続けながら, 彼らはタバコをすべて吸う。
キャシーは車内で眠る前に雑誌を読み, 語り手(サイモン)は眠らずに一人, 旅の意味を考える。[8]

最後のヴァースで, 語り手(サイモン)は 今は眠っていて聞こえず返事もできないキャシーに 本当の想いを伝えることができる。それは "I'm empty and aching and I don't know why"「僕は空っぽで, 苦しくて(心が痛んで), おまけにどうしてなのかもわからないんだ」という独白なのだが, その 9つの英単語からなるシンプルな言葉は, 1960年代当時の(アメリカの)人々の切望と漠然とした不安を見事に捉えているのだ。

[8]

Mrs. Wagner's Pies

The narrator then stares out the window "counting the cars on the New Jersey Turnpike".

Many other empty, aching, and lost souls are on the highway, each on their own journey alone even if someone is traveling with them.

The soaring harmony lines and crashing cymbals create a powerful and poignant end to the song's final verse: "They've all come to look for America."

Pete Fornatale interprets this lyric as a "metaphor to remind us all of the lost souls wandering the highways and byways of mid-sixties America, struggling to navigate the rapids of despair and hope, optimism and disillusionment."

(日本語訳)

それから 語り手(サイモン)は 車窓の外を見つめ, 「ニュージャージー・ターンパイクで 走る車を数えている」。

◆ New Jersey Turnpike: The New Jersey Turnpike (NJTP) is a system of controlled-access toll roads in the U.S. state of New Jersey「ニュージャージー・ターンパイク(NJTP)は, アメリカ合州国(合衆国)ニュージャージー州にある, アクセスが制限された有料道路網である」(turnpike はアメリカの〔有料の〕高速道路, もしくは〔高速道路の〕料金所)

(日本語訳, 続き)

他にも多くの 空虚で, 痛みを感じ, 迷える魂が, 高速道路(幹線道路, あるいは目的実現のための直行路・直接の手段)上にいる。たとえ誰かが他の誰かと一緒に旅をしていても, 実際にはそれぞれが孤独だ。

高揚するハーモニーの旋律と鳴り響くシンバルが, 力強くそして胸に迫る結末をもたらす, この歌の最後のヴァースに:"They've all come to look for America."「彼らもアメリカを探しに来たんだ, みんなアメリカを探しに来たんだ」

Pete Fornatale はこの歌の歌詞をこんなふうに解釈している, 「絶望と希望, 楽観主義と幻滅の激流を航行しようと苦闘しながら, 1960年代半ばのアメリカの高速道路や脇道をさまよう迷える魂たちを我々皆に思い出させるメタファー(隠喩, 暗喩)である」と。

Reception(評判・評価), この項目も面白い内容だが, ここでは(転載・日本語訳を)割愛する。

最後にひとつ, 上記項目など読み進めつつ, この歌の「歌詞を読む」うちに想い起こしたことがあって, それはこの歌の時代背景には, 同じポール・サイモン(サイモンとガーファンクル)が 音楽を提供した同時代(1960年代)の「アメリカ」の映画『卒業』のそれと共通するものがあるということ。

卒業」(1967年) 〜 原題は The Graduate だから「卒業生」なんだけど, 邦題はまぁあれでよかったのではないかと思う

次章「"America" 歌詞和訳, 前回まで」を挟み, 最終章では, 今日 2026年3月26日付の 歌詞和訳・改訳と共に, あらためて, 「アメリカ」の 歌詞を「読む」。

"America" 歌詞和訳, 前回まで

2002年12月7日 初訳(私訳)

2002年12月7日 初訳, 2019年12月20日 note 掲載。

2026年3月12日 一部改訳の試み(試訳)

2026年3月12日 note 掲載。

そして,

"America" 歌詞和訳 〜 2026年3月26日 改訳

"America" 歌詞和訳 〜 2026年3月26日 改訳

America from Simon & Garfunkel's 1968 album Bookends

https://genius.com/Simon-and-garfunkel-america-lyrics

「僕達, 恋人になろう, 二人の未来を一つにしよう (*1)
 少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」(*2)
そして僕らは タバコを一箱とミセス・ワグナーのパイを買いました (*3)
それから歩き始めたのです, アメリカを探すために (*4)

「キャシー」と僕は言いました, 二人でピッツバーグで グレイハウンドに乗って (*5)
「ミシガンは 僕にはもう夢のようだよ
 4日もかかったんだ, サギノーからヒッチハイクでやって来てね (*6)
 僕はアメリカを探しに来たんだ」

バスの中では二人で笑い合って
乗客の顔を見ながらゲームをしました
彼女がギャバジン・スーツの男は実はスパイなのよと言うので (*7)
僕は言ったんです, 「気をつけなよ, 彼の蝶ネクタイは本当はカメラなんだ」

「タバコを投げてくれないか, レインコートに1本残っているはずだから」
「私達, 最後の1本を吸ってしまったのよ, 1時間も前にね」
だから僕は窓の外を眺めたんです, 彼女は雑誌を読んでいました (*8)
外では大地の彼方を 月が昇っているところでした (*9)

「キャシー, 僕はわからなくなってしまったよ」, でも彼女が眠っているのは知っていました (*10)
「僕は空っぽで, 苦しくて, おまけにどうしてなのかもわからないんだ」 (*11)
ニュージャージー・ターンパイクでは 走る車を数えたりしましたが
彼らもみんな アメリカを探しにやって来たんです (*12)
みんなアメリカを探しに来たんです (*13) 
みんなアメリカを探しに来たんです

… ♫ … ♫

訳注(単語やフレーズの解釈, 歌詞の意味, ほか)は, 次節以降で。

訳注 *1 〜 “Let us be lovers, we’ll marry our fortunes together ..”, この話は何処で?

“Let us be lovers, we’ll marry our fortunes together. I’ve got some real estate here in my bag”, この会話(歌詞の中では語り手の言葉しかないが)は, 語り手(Paul Simon が 投影されている)が Verse 2 で語るようにミシガン州サギノーから 4日間かけてヒッチハイクして(おそらくは)ペンシルバニア州のピッツバーグ辺りで キャシー(1964年の実際の「アメリカ」の旅における Kathleen Mary "Kathy" Chitty が 投影されている)と会った, その場所, もしくはその付近での会話だと思われる。これから, グレイハウンド(バス)に乗ろうという, そんな状況における会話。

昔々(23年以上前, 2002年12月7日)の初訳の際は, そして実際わりと最近までは, Verse 1 の「時と場所」など気にしていなかったのだが(この歌の「アメリカ」は 文字通りのアメリカだけでなく比喩・隠喩的なアメリカをも意味する, その後者を踏まえれば, 必ずしも気にしなければいけない類のことでもないとは思うが), 今回, 一般的な歌詞解釈などを丁寧に読み, そこを一度きちんと「気にして」みようと思った次第。

we'll marry our fortunes together, ここでの marry は「(~を)結合させる」といった意味の他動詞で, fortune(s) は「富、財産、大金」あるいは「運」「幸運」もしくは「運勢」。歌詞の上記ラインにおいては, 「財産」「運」「運勢」(もしくは「運命」)辺りなら, そのいずれに解釈しても通る気がする。ただし, この歌の二人である限りは「財産」の場合は「少しの財産」である(要するに「富」や「大金」ではない)。

we'll marry our fortunes together は, 「僕らの財産を一緒にするんだ」「僕らの運命を一緒にするんだ」など。後者なら意訳すれば「僕らの未来を一緒にするんだ」。筆者の歌詞和訳の中では「二人の未来を一つにしよう」とした。

訳注 *2 〜 “.. I’ve got some real estate here in my bag”, 不動産がバッグの中に?

今日の第1章第1節("I've got some real estate here in my bag" 〜 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」, 「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」)から, 該当部分をあらためて。

I've got some real estate here in my bag
「少しなら不動産があるんだ, 鞄の中に」(直訳的)
「少しならお金もあるんだ, バッグの中に」(意訳的)

鞄とバッグの違いにはさしたる意味はない(「不動産」という漢字を使うと「鞄」にしたくなる, ただそれだけかもしれない)。

ここは初訳(2002年12月7日, 前章第1節)では「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」としていた。

土地や家などを意味する「不動産」が バッグの中に入るはずもなく, we'll marry our fortunes together が「僕らの財産を一緒にするんだ」とも訳せることから(fortune は「富、財産、大金」の意味にもなる), ここはユーモラスな比喩として「バッグの中の金(カネ)」(some で修飾されているから「バッグの中の幾ばくかの金」「バッグの中の少しの金」)を意味するのだろうと, そんな解釈をしたのだと思う(何しろ 23年余り前, 自分のことながら推測)。

しかし, 今回の訳では, あえて「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」とする。

既に書いたように, real estate は「不動産」の意で使われる熟語だ。これはこの歌の歌詞を訳そうとする多くの人の知るところではあると思う。これをもともと「金(かね)」を意味する熟語だと思う人はさすがにいまい。もうひとつ言えることは, この real estate の熟語の意味を知らない人なら, 辞書を引くことになる。引けば, すぐに「不動産」と分かる。

問題は, ここでそのまま「僕は 鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」と, 素直に(直訳あるいは逐語訳的に)日本語にすべきなのかどうか, ということである(一応付しておくと, some は「幾ばくかの」といった意味で使われる場合がある)。

「不動産」は「土地およびその定着物(建物)」(動かせない財産)のこと。当然ながら「土地」や「建物」は 鞄の中に入らない。バッグの中には入らない。

したがって, 「僕は 鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」, では明らかにおかしい(有り得ない)表現だ。

とはいえ, その種の, 現実では有り得ないことを言葉で表わすことは, 詩もしくは歌詞の中では逆にいくらでも有り得る(比喩なり暗喩なり様々なかたちで)。そのうえで, それをどういう日本語にするのか, ということになる。

比喩なら, あるいは詩的な表現なら, 例えば日本語にした場合にかなりの違和感があるケースでもそのまま(直訳的もしくは逐語訳的に)訳すのか, それとも, 文脈や前後あるいはそのヴァース全体の意味を踏まえて意訳するのか(意訳的な翻訳をするのか), そこは詩や歌詞を訳す作業において極めて難しい問題のように思える。

“Let us be lovers, we’ll marry our fortunes together
I’ve got some real estate here in my bag”

Let us be lovers, we'll marry our fortunes together は, 前述の検討によれば, 「僕達, 恋人になろう。僕らの運命(運勢, 運, 幸運)(もしくは未来)を一緒にするんだ」, あるいは「僕達, 恋人になろう。僕らの財産(この歌の二人である限りは, 少しの財産)を一緒にするんだ」など。

筆者の当初の訳では「僕達, 恋人になって結婚しよう。未来を一つにしてパートナーになろう」としていて, 意訳ではあるが, そう飛躍的な意訳ではないと自分では思う。

I've got some real estate here in my bag は「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」としていたのだが, これは要するに上に書いた通りで, まずは「鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」ではさすがに日本語として違和感が強いだろう(土地や家が 鞄の中に入るはずがない)と考えたのだろうと思う。そのうえで, 「不動産」を意味する real estate は ここでは何なのか, 「幾ばくかの」を意味する some と合わせ, some real estate「幾ばくかの不動産」, しかも here in my bag「鞄の中に」とはどういうことなのか, 何を意味する比喩なのか, 考えたのだろう。

考えたのだろうが, 名案も浮かばず, その前の we'll marry our fortunes together fortunes が「財産」「大金」などを意味する言葉でもあることを踏まえ(あるいはそれに釣られ), 「鞄の中に幾ばくかの不動産を持ってるんだ」を「鞄の中に少しのお金なら持ってるんだ」とし, 「お金なら何とかなるさ, バッグに少し持ち合わせているんだ」に落ち着いたのでは, 今になって察する限りでは, 23年余り前の自分の歌詞和訳作業の一部をそんなふうに, 大雑把に想像する。

今回は(というか前回, 前章第2節「2026年3月12日 一部改訳の試み(試訳)」), あらためて以下を手がかりにした。

Then where his is home, such as it is? He tells us that in the first verse: "I've got some real estate here in my bag." His home is the road. George Carlin explained, in his famous "Place for My Stuff" routine, that a house is "just a pile of stuff with a lid on it." Well, Simon's "place for his stuff" is in his bag. All he needs is some junk food, cigarettes, and a magazine... and he's set.

http://paulsimonsongs.blogspot.com/2010/04/america.html

日本語訳(試訳)

では, 彼の家は一体どこにあるのだろうか? 彼は最初のヴァースで告げている。「鞄の中に幾ばくかの不動産があるんだ」。彼の家は道路だ, 路上だ。George Carlin は, 彼の有名な "Place for My Stuff"(俺の持ち物の置き場所)という演目で, 家とは「蓋が付いたただの物の山」だと説明した。そうなんだ, ("America" の歌のなかの)Simon にとって「彼の持ち物の置き場所」は 鞄, バッグの中なのだ。彼に必要なのはいくらかのジャンクフード, タバコ, それから雑誌…それだけだ, それで準備完了ってわけだ。

https://note.com/dailyrock/n/n48ce8e8dc4f7

件(くだん)のライン, I've got some real estate here in my bag に関し, 考えを進めてみる。

「不動産」, 要するに土地や建物, 家などは動かせない, だから「不動産」だ。それが「鞄の中にある」という。そんなもの, 実際にはあるわけがない。そして, あるいは「しかし」, 彼はいま(キャシーと二人で)「アメリカ」(が象徴するもの, もしくは「アメリカ」が象徴するものと彼が考えたもの, 自由, 希望, チャンスなど)を探す旅に出るところだ。彼の家(「不動産」)はその旅の中にある, あるいはその旅の途上にある, ある意味「有り体に言えば」その旅をするうえでの, 路上にある。

そんなふうに解釈したうえで I've got some real estate here in my bag を「少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」という些か皮肉めいてユーモラスな語感のある日本語に置き換えるなら, それを上記のような解釈を背景としたものだとするのであれば, これはこれでわるくないかなと思う。

訳注 *3 〜 Mrs. Wagner’s pies

The company ceased operations in July 1966, 「ミセス・ワグナーズ・パイ」の会社は, 1966年7月にその事業を終え, 工場を閉鎖している。つまり, この歌「アメリカ」(1968年2月1日録音, 同年4月3日リリースのアルバム "Bookends" に収録)がリリースされた時には, 既に「ミセス・ワグナーズ・パイ」は公式には無かった(因みに Paul Simon がこの曲を書いたのは 1966年)。

Mrs. Wagner's Pies were single-serving pies sold in waxed paper, produced by the Wagner Baking Company, originally located in Ocean Grove, New Jersey, and later in Brooklyn, New York.[1][2]

The eponymous Mrs. Wagner was selling homemade pies in Jersey City, New Jersey, as early as 1897.[3] She was Mary J. Wagner, wife of William Wagner; she died in Ocean Grove on March 31, 1911, aged 72.[4]

In September 1940, The Newark News described Mrs. Wagner's Pies as the "largest pie bakery in the country, with its home plant in Newark and five branches as far west as Chicago." Its president at the time was F. W. Birkenhauer.[5]

The company ceased operations in July 1966.[6][7]

ミセス・ワグナーズ・パイ、あるいは、ミセス・ワグナーのパイ(Mrs. Wagner's Pies)は、パラフィン紙に包んで販売されていた、1人前のパイ。1960年代までアメリカ合衆国東部を中心に、特にニューヨーク州やニュージャージー州で都市部の労働者向けに広く販売されていた。

訳注 *4 〜 And walked off to look for America

「それから歩き始めたのです, アメリカを探すために」, "walk off" は「立ち去る」と訳されるような熟語だが, ここはこんな感じでいいと思う。

この「歩き始めた」のは何処か, というと, これは「訳注 *1 〜 we’ll marry our fortunes together」で,

“Let us be lovers, we’ll marry our fortunes together. I’ve got some real estate here in my bag”, この会話(歌詞の中では語り手の言葉しかないが)は, 語り手(Paul Simon が 投影されている)が Verse 2 で語るようにミシガン州サギノーから 4日間かけてヒッチハイクして(おそらくは)ペンシルバニア州のピッツバーグ辺りで キャシー(1964年の実際の「アメリカ」の旅における Kathleen Mary "Kathy" Chitty が 投影されている)と会った, その場所, もしくはその付近での会話だと思われる。これから, グレイハウンド(バス)に乗ろうという, そんな状況における会話。

と書いたことを前提にすれば, 語り手が「ミシガン州サギノーから 4日間かけてヒッチハイクして(おそらくは)ペンシルバニア州のピッツバーグ辺りで キャシー」「と会った, その場所, もしくはその付近」なのだろうと思う。そこから walked off to look for America し, グレイハウンド(バス)に乗る場所に向かう, そんなふうな物語設定になるのだろう。

ただ, これも「訳注 *1 〜 we’ll marry our fortunes together」で触れたことだが, 「アメリカ」は 文字通りのアメリカと隠喩的なアメリカ(その国の美しさや理想と共に消え去ってしまったかのようなアメリカ)を この歌における語り手が探し求める様子を描いた映画のような風景を作り出す歌 である, ということを踏まえるなら,

walked off to look for America した「(文字通りの)場所」は, 少なくともそこに拘泥するほどのことではないようにも思う。要するに, 一方で「比喩(隠喩)的な」意味で解釈するのなら, ここでは地理上の場所を超えた「場所」を想像するくらいでもいいのかもしれない。あんまり言うと身も蓋もないが(笑)。

訳注 *5 〜 “Kathy,” I said, as we boarded a Greyhound in Pittsburgh, キャシーとは?

「キャシー」と僕は言いました, 二人でピッツバーグで グレイハウンドに乗って。

「キャシー」?

"America" was inspired by a five-day road excursion Simon undertook in September 1964 with Chitty.

https://en.wikipedia.org/wiki/America_(Simon_%26_Garfunkel_song)#Background

「アメリカ」は, サイモンが 1964年9月に キャシー・チティ(Kathleen Mary "Kathy" Chitty)と行なった 5日間の(アメリカ国内を巡る)ロードトリップ(クルマによる長旅)から着想を得た曲だ。

「キャシーの歌」は "Kathy's Song" の邦題, 今日は ポール・サイモンが 1964年にイギリスで音楽活動をした時期に彼の恋人であった Kathy (Kathleen Mary "Kathy" Chitty) に関わるポール・サイモン作詞作曲の3曲の歌詞の和訳を掲載するので, 本 note のタイトルは文字通り「キャシーに関わる歌の歌詞の和訳」の方が相応しいんだろうけど, しかしまぁそれでは何やら堅苦しくて格好がつかない。3曲の「キャシー」との関わりは質がそれぞれ異なるものの, その度合いに濃淡があっても歌作りに「キャシーの」影響があったということ自体は共通している。だから, 今日はその意味で「キャシーの歌」。

第1章で言及するように, その意味での「キャシーの歌」にはもう1曲, "The Late Great Johnny Ace" があるけれど, この歌の歌詞はまだ訳したことがないので, それはまたの機会に。

キャシー(Kathleen Mary "Kathy" Chitty)について詳しくは, 上掲 note 第1章「キャシー と ポール・サイモン 〜 Kathleen Mary "Kathy" Chitty & Paul Frederic Simon」にて。

以下, 話を「アメリカ」の歌詞に戻します。

グレイハウンドとは勿論, あの有名な, アメリカの長距離バス。「グレイハウンド」と言えば そのバスを運行する会社の名前(Greyhound Lines, Inc.)を意味する場合もあり, バスそのものを意味する場合もある。

そして,

訳注 *6 〜 “Michigan seems like a dream to me now. It took me four days to hitch-hike from Saginaw ..”, なぜ 「ミシガン」「サギノー」なのか, そして 「4日間のヒッチハイク」 の謎

「ミシガンは 僕にはもう夢のようだよ。4日もかかったんだ, サギノーからヒッチハイクでやって来てね ..」

まず, なぜ 「ミシガン」「サギノー」なのか。

以下, 今日の第3章 参考資料 2 〜 Wikipedia "America" から, 複数の評者・ライターなどの解説・解釈(和訳, および補足メモ)より。

2004年, ミシガン州サギノー出身の元ディスクジョッキー Bob Dyer は, The Saginaw News とのインタビューで この曲の誕生について説明した。
Dyer によれば, サイモンはこの曲を, 1966年に サギノーYMCA主催のコンサートシリーズ Y-A-Go-Go に出演するよう Dyer が 彼をブッキングした後, (サイモンが)その町を訪れた際に書いた, ということだ。

「ポール・サイモンに, 我々が演奏料として支払った1250ドルを今でも請求しているのかと尋ねると, 彼は当時その4倍くらいの金額を請求していたよと答えたんだ。それから, じゃぁなぜ公演を中止しなかったのかと尋ねると, 彼は サギノーという街がどんなところか見なくちゃと思ったからだと答えたんだよ。どうやら彼はその街を気に入ったようで, サギノー滞在中に『アメリカ』という曲を作詞作曲し, その歌詞には サギノーからヒッチハイクで 4日間かけて というライン(It took me four days to hitch-hike from Saginaw)も含まれたってわけさ。」

* 上掲, 最後の「 」内は, 以下の The Saginaw News の記事終盤からの引用による。

https://www.mlive.com/news/saginaw/2010/12/anonymous_artist_explains_moti.html

なぜ 「ミシガン」「サギノー」なのか, そこに上記の他に深い理由があるのかどうかは 不詳。それ以上は追求しません。探求しません, look for しません(!)

次は, 4日間のヒッチハイクの謎。これは少しだけ, 探求してみる。

「ミシガンは 僕にはもう夢のようだよ。4日もかかったんだ, サギノーからヒッチハイクでやって来てね ..」

ミシガン州サギノーSaginaw, Michigan)から ペンシルベニア州ピッツバーグPittsburgh, Pennsylvania)までの距離は? クルマの所要時間は?

The driving distance from Saginaw to Pittsburgh is 375.8 miles (604.8 kilometers), with an estimated driving time of approximately 7 hours and 1 minute.

https://www.airmilescalculator.com/distance/mbs-to-pit/

これは大きな謎になるのかな。「4日もかかったんだ, サギノーからヒッチハイクでやって来てね ..」, ピッツバーグに?

普通に考えれば, いくら 1960年代とはいえ, そして「ヒッチハイクで」とはいえ, 高速道路ではなく "一般道" 的な道路を主に使ったヒッチハイク(?)だったとしても, 「サギノーから」ピッツバーグまでなら「4日もかか」らないのではないか。

謎と言えば謎。

"もしかしたら" ではあるが, 今日の第2章第2節 ブログ "Every Single Paul Simon Song*" から "America" (解説を翻訳・試訳, および補足メモ)で紹介したブログの「アメリカ」解説 によれば(以下, その 4段落目),

But one need not have a map or a GPS to know that Simon is from New York, and that's where "America" is for him. And, if you travel from Pittsburgh east along the Pennsylvania Turnpike, you hit the New Jersey Turnpike, which takes you north to New York City.

これを補足しながら訳すなら,

しかし, サイモンが ニューヨーク出身(訳者注:ポール・サイモン はニュージャージー州ニューアーク市生まれで, 3歳頃からニューヨーク州ニューヨーク市育ち)であること, そして 彼にとって「アメリカ」が ニューヨーク にあることは, 地図やGPSがなくても分かるのだ。そして, ピッツバーグからペンシルベニア・ターンパイクを東へ進めば, ニュージャージー・ターンパイクに入り, その ニュージャージー・ターンパイクを北に進むと ニューヨーク市に着くのである。

ということなので, あるいはこの「ミシガンは 僕にはもう夢のようだよ。4日もかかったんだ, サギノーからヒッチハイクでやって来てね ..」は, この歌の語り手が, 以前やったことのある「サギノーからヒッチハイクで」ニューヨークまでの旅, を "昔語り" している, と推測することも可能なのでは, と思う。距離は倍くらいになるだろう。

それでも距離が短い(?)かもしれないが, 「ヒッチハイク」のやりようでは, というところ。筆者, ヒッチハイクに関しては昔々の「1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅」で, トルコからシリアに陸路入る際にやった1回の経験しかない(!)。

訳注 *7 〜 She said the man in the gabardine suit was a spy

gabardine suit, リンク先で画像(英語仕様なら Images)検索して想像してみよう。

spy, これは米ソ「冷戦」時代に作られた歌。現代なら 今は亡き(無き)「ソ連」でなく, あるいはロシアですらなく, イスラエルがアメリカをますますイスラエル寄りにする為の工作をする spy がいそうだけどね。

訳注 *8 〜 So I looked at the scenery, she read her magazine

magazine, 雑誌 と言えば(以下, 2026年3月11日付「American Tune 歌詞和訳 - One Nation Under a Groove - America 歌詞和訳 - Rolling Stone」前口上より),

America は Simon & Garfunkel の歌, 邦題「アメリカ」, この曲は映画 Almost Famous(邦題「あの頃ペニー・レインと」)にも使用された曲で, その映画 Almost Famous は ロックが好きな若者が 雑誌「流石」ではなくて「転石」, Rolling Stone に記事を書く話,

でも So I looked at the scenery, she read her magazine の magazine は, Rolling Stone magazine とかではなくて, ある意味もっと当たり障りない類の雑誌だろうな。「何気なく」(という感じで)キャシーが読んでる雑誌なんだ, だからそんな気がする。

話が思い切り脱線するが, Rolling Stone magazine には近頃クソくだらない記事があった。その件は,

の 第3章(世界で最も愚かなカルト宗教国家「アメリカ」に捧ぐ「アメリカ」 〜 America 歌詞和訳)第3節「Rolling Stone のくだらない記事」に。

訳注 *9 〜 And the moon rose over an open field, 開けた草原を「満月」が昇る

「外では大地の彼方を 月が昇っているところでした」, open field は「開けた草原」「広々とした野原」といった意味になるのだろうが, ここは「大地の彼方を 月が昇っている」と個人的にしたかったのだ, これは意訳よりも我が儘訳に近いかもしれない(笑)。

それから,

And, just as Simon notices the Moon, we must notice how he evokes the roundness of it with the assonance of the long O. He sees it as it "rOse Over an Open" meadow [capitals mine]. He doesn't say, yet he shows, that this is a full Moon.

http://paulsimonsongs.blogspot.com/2010/04/america.html 8段落目

(試訳)

そして, サイモンがまさに月について気づいたように, 我々は彼がいかに長母音の "O" の assonance(母音韻, 複数の語の母音を同じにする押韻の技法)を使って月の丸みを想起(連想)させているのか, 気づかなければならない。彼は月を見る際, as it "rOse Over an Open" meadow(大文字はブログ著者による)(月が開けた牧草地を昇る, それをそんなふうに描写している。)(訳者注:meadow は牧草地のこと, 「アメリカ」の実際の歌詞においては And the moon rose over an open field
つまり, 彼はそう明言はしていないものの, こうしてその月が満月であることを示しているのだ。

確かに, これに関しては, この歌を初めて聴いたガキの頃から, 頭の中でイメージとして「満月」が昇る風景だったと思う。

訳注 *10 〜 “Kathy, I’m lost,” I said, thought I knew she was sleeping

「キャシー, 僕はわからなくなってしまったよ」, でも彼女が眠っているのは知っていました。

being lost は「道に迷っている(自分がどこにいるのか分からない)」「途方に暮れている(何をすべきか分からない)」というニュアンス。

訳注 *11 〜 “I’m empty and aching and I don’t know why”

「僕は空っぽで, 苦しくて, おまけにどうしてなのかもわからないんだ」

Simon doesn't realize it, but he has found America... in that he hasn't. America, after all, is less a place than a state of being. And that is a state of yearning, of being pulled forward toward an endlessly receding destination. "I'm empty, and aching, and I don't know why."

http://paulsimonsongs.blogspot.com/2010/04/america.html 9段落目

(試訳)

サイモンは気づいていないが, 彼は「アメリカ」を見つけた…(それはしかし「アメリカ」を)見つけていないという事実において。「アメリカ」とは結局のところ, 場所というよりも, むしろ存在の状態なのだ。そしてそれは, 切望の状態であり, 果てしなく(訳者注:心理的な意味で「何処までも」)遠ざかる目的地へと引き寄せられている状態なのだ。「僕は空っぽで, 苦しくて(心が痛んで), おまけにどうしてなのかもわからないんだ

訳注 *12 〜 Counting the cars on the New Jersey Turnpike, they’ve all come to look for America

再び, 今日の第2章第2節 ブログ "Every Single Paul Simon Song*" から "America" (解説を翻訳・試訳, および補足メモ)で紹介したブログの「アメリカ」解説 によれば(以下, その 4段落目),

But one need not have a map or a GPS to know that Simon is from New York, and that's where "America" is for him. And, if you travel from Pittsburgh east along the Pennsylvania Turnpike, you hit the New Jersey Turnpike, which takes you north to New York City.

これを補足しながら訳すなら,

しかし, サイモンが ニューヨーク出身(訳者注:ポール・サイモン はニュージャージー州ニューアーク市生まれで, 3歳頃からニューヨーク州ニューヨーク市育ち)であること, そして 彼にとって「アメリカ」が ニューヨーク にあることは, 地図やGPSがなくても分かるのだ。そして, ピッツバーグからペンシルベニア・ターンパイクを東へ進めば, ニュージャージー・ターンパイクに入り, その ニュージャージー・ターンパイクを北に進むと ニューヨーク市に着くのである。

But he's not there, yet. The song ends with him still on the road. In the first verse, it's "we... walked off to look for America." Then Simon tells Kathy: "I've come to look for America." Then, almost to their probable destination, Kathy has nodded off, but Simon tells her anyway, "I'm lost." He has "look[ed]" and "look[ed]" and is still "lost". Then Simon projects his sense of being lost to the rest of the travelers on his highway: "They've all come to look for America!"

http://paulsimonsongs.blogspot.com/2010/04/america.html 5段落目

(試訳)

しかし 彼はまだそこに着いていない。歌は彼がまだ旅(「アメリカ」の旅)の途中にいるところで終わる(訳者注:ただしフェイドアウト)。最初のヴァースでは「僕たちは…アメリカを探しに歩き出した」とある。そしてサイモンはキャシーに言う, 「僕はアメリカを探しに来たんだ」と。それから, 彼らの目的地らしきところに近づいた辺りでキャシーはうたた寝してしまうのだが, しかしサイモンはそれでも彼女に告げる, "I'm lost." と(訳者注:ここは色んな訳し方ができる, 「僕はどこにいるのか分からなくなったよ」「僕は何をすべきか分からなくなったよ」あるいはシンプルに「僕は道に迷ったんだ」など)。

He has "look[ed]" and "look[ed]" and is still "lost".(彼は「探して」も, 「探して」も, つまり 探し続けても, それでもまだ「分からなくなって」いる。あるいは それでも「道に迷っている」)

そして サイモンは, 自分が道に迷っている, 分からなくなっているという感覚を, 同じ highway(目的実現のための直行路)を旅する他の旅人たちにも投影する:"They've all come to look for America!"(「みんなアメリカを探しに来たんだ!」)

訳注 *13 〜 They’ve all come to look for America. All come to look for America, 「アメリカ」 歌詞解釈・歌詞和訳

前項(訳注 *12 〜 Counting the cars on the New Jersey Turnpike, they’ve all come to look for America)を踏まえ, 

今日の第3章 参考資料 2 〜 Wikipedia "America" から, 複数の評者・ライターなどの解説・解釈(和訳, および補足メモ)最下段より,

高揚するハーモニーの旋律と鳴り響くシンバルが, 力強くそして胸に迫る結末をもたらす, この歌の最後のヴァースに:"They've all come to look for America."「彼らもアメリカを探しに来たんだ, みんなアメリカを探しに来たんだ」

Pete Fornatale はこの歌の歌詞をこんなふうに解釈している, 「絶望と希望, 楽観主義と幻滅の激流を航行しようと苦闘しながら, 1960年代半ばのアメリカの高速道路や脇道をさまよう迷える魂たちを我々皆に思い出させるメタファー(隠喩, 暗喩)である」と。

Reception(評判・評価), この項目も面白い内容だが, ここでは(転載・日本語訳を)割愛する。

最後にひとつ, 上記項目など読み進めつつ, この歌の「歌詞を読む」うちに想い起こしたことがあって, それはこの歌の時代背景には, 同じポール・サイモン(サイモンとガーファンクル)が 音楽を提供した同時代(1960年代)の「アメリカ」の映画『卒業』のそれと共通するものがあるということ。

グレイハウンドではないが, 映画『卒業』のラスト・シーンも, バスの中だった。以下, 

に書いた, ラスト・シーン感想メモ。

二人は上に書いたように「微笑む」んだけど、その後の二人の表情、動きも最後まで印象的なのだ。二人の顔からやがて微笑みは消え、月並みな言い方をしてしまえば、一つのことから「卒業」し、短いひとときの解放感を味わった後に不意に襲ってくる、将来への期待・希望だけでなく「その先」への不安を思わせるような二人の表情。後で少し繋がりがあるようなことを書いているけれど、こういう「卒業」、「ひとときの解放感」、「期待」、「希望」、「不安」とかいったものは、なにも若者だけが経験し、味わい、感じることができる彼らの特権的なものなどではなく、歳を重ねてからも「ある」ことなのではないかと思っている(ただ、やはり若者だからこそ持つ感性と人生における意味合いの濃さの上で、若い時だからより強く感じる類のもの、とは言えるのかもしれない)。

(映画「卒業」のラスト・シーン)

このシーン, もちろん "The Sound of Silence" は素晴らしいが, "America" でもわりと似合いそうな気がする。

二人の顔からやがて微笑みは消え、月並みな言い方をしてしまえば、一つのことから「卒業」し、短いひとときの解放感を味わった後に不意に襲ってくる、将来への期待・希望だけでなく「その先」への不安を思わせるような二人の表情。

によりマッチするのは "The Sound of Silence" の方なんだろうな, とは思うけれど。

ところで, 上掲 note に,

「今的な感覚で見ても、リアル・タイムな感覚で感動するという種類の映画ではない」とか、あるいは「その時代が生み、とりわけその時代の特定の世代の心を動かした映画」とか書いているけれど、まぁ確かにそうなんだけど、しかしやはりこれも書いたように、「卒業って言葉そのものは、どうも深い言葉なのかもしれ」ず、というかおそらく深い言葉で、そんなことを踏まえながら、時代や国の文化、登場人物の生活環境などを超えて(越えて、と書いた方がしっくりくるかも)普遍的に映画のメッセージを受け取るのなら、先に書いたような制作・公開の時期から影響を受けた「時代の感覚」みたいなものを楽しむだけでない楽しみ方ができる、今の、あるいは観る側が歳を取ってからのその時の自分に即した感動の仕方ができる、そんな映画ではあると思う。

と書いたけれど, 映画にそんな鑑賞・解釈の有り様があるように, 歌(やその歌詞)の解釈にも, ある種の「様々(さまざま)」があっていいのではと思う。

以下は, Paul Simon "America" 歌詞和訳・初訳(2002年12月7日)note(2019年12月20日)より。

この歌 "America" については、歌詞の中で表現されているような America 探しの「旅」の歌でもあり、また、わけのわからぬ期待と不安の中で将来をみつめる若者たちの自分探しの「旅」の歌でもあり、若き日の Paul Simon 自身の自分探しの「旅」の歌でもあると解釈しています。しかし、期待や不安を抱くことは、若者だけに許された特権ではないでしょう。この歌は、老いも若きも、姿の見えない未来に向かおうとする全ての人のための、自分探しの「旅」の歌でもある。そんなふうに私は受け取っています。そう捉えれば、この歌は必ずしも、アメリカ人に向けたメッセージに留まらず、今日と明日を生きようとする全ての人への応援歌だと思ってもいいのではないでしょうか。もちろん、そもそも Paul Simon 自身の意図したところが何処にあったのか、それは知る由もありません。しかし、全ての歌、もっと言えば、全ての表現作品は、鑑賞するものがそれを受け取った時、既に作者の意図からある程度離れていくものでもあるのだろうと私は思っています。

"Say a few words!!" (audience)

"Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live.." (Paul Simon)

「僕達, 恋人になろう, 二人の未来を一つにしよう
 少しなら不動産だって持ってるんだ, 鞄の中だけどね」
そして僕らは タバコを一箱とミセス・ワグナーのパイを買いました
それから歩き始めたのです, アメリカを探すために

「キャシー」と僕は言いました, 二人でピッツバーグで グレイハウンドに乗って
「ミシガンは 僕にはもう夢のようだよ
 4日もかかったんだ, サギノーからヒッチハイクでやって来てね
 僕はアメリカを探しに来たんだ」

バスの中では二人で笑い合って
乗客の顔を見ながらゲームをしました
彼女がギャバジン・スーツの男は実はスパイなのよと言うので
僕は言ったんです, 「気をつけなよ, 彼の蝶ネクタイは本当はカメラなんだ」

「タバコを投げてくれないか, レインコートに1本残っているはずだから」
「私達, 最後の1本を吸ってしまったのよ, 1時間も前にね」
だから僕は窓の外を眺めたんです, 彼女は雑誌を読んでいました
外では大地の彼方を 月が昇っているところでした

「キャシー, 僕はわからなくなってしまったよ」, でも彼女が眠っているのは知っていました
「僕は空っぽで, 苦しくて, おまけにどうしてなのかもわからないんだ」
ニュージャージー・ターンパイクでは 走る車を数えたりしましたが
彼らもみんな アメリカを探しにやって来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです

… ♫ … ♫

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