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『君に会わなかった日のほうが少ない』 第5話 明日じゃなくて、土曜日

菜沙とのメッセージは、

いつの間にか毎日続くようになっていた。


始まりは決まっていない。


終わりも決まっていない。


仕事の話をする日もあれば、

どうでもいい写真が送られてくる日もある。


『これ見てください』


そう言って送られてきたのは、

コンビニで見つけた新しいお菓子だった。


『おいしいんですか?』


『まだ食べてません』


『じゃあなんで送ったんですか』


『和馬さん好きそうだから』


『俺そんなイメージ?』


『あります』


『どんなイメージですか』


『甘いものに弱そう』


『偏見です』


『当たってます?』


少し考えて、


『まあ、嫌いではないです』


と返した。


すぐに、


『ほら』


と来た。


そんな会話だった。


意味なんてない。


でも、

意味のない会話をする相手がいることが、

少しずつ当たり前になっていた。


ある水曜日の夜。


菜沙からメッセージが届いた。


『そういえば』


続けて、もう一通。


『あの映画、今週からですよ』


僕はすぐに分かった。


前に話していた映画。


菜沙が調べてくれた、

あの映画だった。


『覚えてたんですね』


『和馬さんが観たいって言ってたから』


『菜沙さんも観たいって言ってませんでした?』


少し間が空いた。


『言いました』


そこから、


会話が止まった。


画面を見る。


菜沙から次のメッセージは来ない。


僕も送らない。


たった今まで、

普通に話していたのに。


不思議な沈黙だった。


映画が始まる。


僕も観たい。


菜沙も観たい。


だったら。


そこまで考えて、


指が止まる。


誘えばいい。


ただ、それだけだ。


『じゃあ一緒に行きます?』


七文字ほど打って、


全部消した。


もう一度。


『今度観に行きませんか?』


これも消した。


なんだこれ。


会社では毎日会っている。


帰り道も一緒に歩いている。


夜にはメッセージもしている。


なのに、


休日に会おうとするだけで、


急に意味が変わる。


仕事帰りなら偶然と言える。


同じ駅だからと言える。


帰る方向が同じだからと言える。


でも休日は違う。


会うために、


会う。


それだけになる。


スマートフォンを見つめていると、


菜沙からメッセージが届いた。


『和馬さん、土曜日って何してます?』


心臓が一度、


強く鳴った。


僕が送れなかった言葉の、


ほんの少し手前。


『特に予定ないです』


送る。


既読。


返事が来ない。


一分。


二分。


まただ。


この数分が、

どうしてこんなに長いんだろう。


そして。


『映画、行きません?』


思わず、


笑ってしまった。


さっき僕が何度も書いて、


何度も消した言葉。


菜沙が先に送ってきた。


『行きましょう』


今度は迷わなかった。


すぐに既読がつく。


『よかった』


その四文字を、


僕は何度か読み返した。


よかった。


何が?


断られなくて?


一人で行かなくて?


それとも。


考えるのはやめた。


『何時にします?』


『午後がいいです』


『じゃあ上映時間見ます』


『お願いします』


そこからは早かった。


時間を決める。


映画館を決める。


待ち合わせ場所を決める。


いつものメッセージと同じなのに、


一つずつ決まるたび、


土曜日が形になっていった。


最後に菜沙が送ってきた。


『じゃあ土曜日』


僕は、


少しだけ考えた。


いつもなら、


『また明日』


だった。


でも今日は違う。


『土曜日、楽しみにしてます』


送った。


少しして。


『私もです』


画面を閉じたあと、


もう一度開いた。


『私もです』


それだけ確認して、


今度こそ閉じた。




翌朝。


会社のエントランスに、

菜沙がいた。


いつもの場所。


いつもの時間。


目が合う。


「おはようございます」


「おはようございます」


それだけなのに、


なんとなく変だった。


土曜日に会う。


そう決まっただけで、


菜沙を見る感じが昨日までと少し違う。


たぶん、


菜沙も同じだった。


エレベーターを待ちながら、


いつもより会話が少ない。


「今日、暑いですね」


「暑いですね」


終わり。


なんだこれ。


昨夜はあんなに話していたのに。


エレベーターが来る。


乗り込む。


菜沙が前を向いたまま言った。


「映画」


「はい」


「楽しみですね」


「……ですね」


菜沙が少し笑った。


僕も笑った。


それだけで、


さっきまでの変な空気がなくなった。




金曜日。


仕事が終わる。


いつもの道を歩いた。


駅前の交差点。


いつものように曲がる。


「明日ですね」


菜沙が言った。


「明日ですね」


「寝坊しないでくださいね」


「まだ言います?」


「大事なので」


「しますよ、ちゃんと」


「何時に起きるんですか?」


「そこまで管理されるんですか」


菜沙が笑う。


僕も笑った。


川沿いを歩く。


何度も歩いた道。


明日はここを歩かない。


会社にも来ない。


なのに、


菜沙に会う。


それが不思議だった。


駅に着く。


改札の前。


いつもなら、


ここで別れる。


「じゃあ」


菜沙が言う。


一瞬だけ、


言葉を探しているように見えた。


そして。


「また明日」


僕は少し驚いた。


明日は会社じゃない。


この場所でもない。


それでも、


また明日。


「はい。また明日」


菜沙が歩いていく。


その後ろ姿を見ながら、


初めて思った。


明日が来るのを、


こんなに待ったことがあっただろうか。




土曜日。


待ち合わせは十一時。


僕が着いたのは、


十時四十二分だった。


早すぎる。


自分でも分かっている。


駅前を少し歩く。


意味もなくスマートフォンを見る。


十時四十六分。


まだ十四分ある。


コーヒーでも買おうか。


いや、


今買ったら待ち合わせまでに飲み終わる。


別にそれでいいだろ。


そんなくだらないことを考えていると、


スマートフォンが震えた。


菜沙。


『着きました』


時計を見る。


十時四十八分。


僕よりは遅い。


でも、


菜沙も十二分早い。


『どこですか?』


送る。


『改札の前です』


僕は歩き出した。


人の流れの向こうに、


菜沙が見えた。


そして。


少しだけ、


足が遅くなった。


会社で見る菜沙とは違った。


髪も。


服も。


鞄も。


何より、


そこにいる理由が違う。


仕事に来たわけじゃない。


偶然会ったわけでもない。


菜沙は、


僕に会うためにここにいる。


菜沙が僕に気づいた。


笑う。


僕も笑った。


「おはようございます」


言ってから、


二人とも少し笑った。


「会社みたいですね」


菜沙が言う。


「癖ですね」


「じゃあ、やり直します?」


「何て?」


菜沙は少し考えた。


「こんにちは?」


「それも変じゃないですか」


「じゃあ……」


菜沙が笑った。


「行きましょうか」


「はい」


二人で歩き出す。


その日、


僕たちは初めて、


会社とは反対方向へ歩いた。


遠回りではない。


帰り道でもない。


会うために、


同じ場所へ来た。


僕たちにとって初めての、


約束した一日が始まった。


第5話 終わり








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