海外生活記シリーズ:国外追放⁉ビザの更新ができず取り直しに国外脱出計画始動
「7日以内にタイから出て行ってください!」
は?
いやいやいやいやいやいやいやいやいや。
何言ってるのかさっぱりわからなかった。
ここはバンコクのイミグレーション。
毎日毎日大勢の外国人がここでビザの延長をしてもらう。タイに在住された方はおそらくどちらかのイミグレーションに行くだろう。
MRTサムヤーン駅前・チャムチュリースクエア内のイミグレーション:BOI申請企業向け。即座にビザと労働許可証を発行可能。
チェーンワタナのイミグレーション:バンコク市内勤務のNon-BOI向け。更新手続きはこちら。
※BOI(タイ投資委員会)とは、首相府直下の海外企業向け支援機関。その恩典の一つに、ビザ・労働許可書のスムーズな発行手続きがある。
僕が働いた会社は、1社目のパンケーキ屋も2社目のコンサルティング会社も、どちらもNon-BOI。よってビザ更新はチェーンワタナ、労働許可書はディンデーンの労働局に出頭する必要があった。
タイで働くのも一苦労なのだ。
そんなビザの更新で、事件は起きた。
朝6時から整理券争奪戦!地獄のチェーンワタナ・イミグレ体験
「チェーンワタナに朝早くに集合ね」
これはビザ更新の決まり文句である。
イミグレーションでは、まず整理券の争奪戦から始まる。開局は朝8時30分だが、6時頃から並ぶ人もいるほど。あの当時のイミグレーションはビザ発給までにとにかく時間がかかった。
僕も以前は、お客様のビザ更新のために朝から同行し、通訳としてサポートしていた。
だがその日は、自分自身のビザ更新。
「普段通りで大丈夫やろ」と思っていたが——6時間後、悪夢を見ることになる。
6時間待って出た結果:「7日以内に出国してください」
その日、ゆっくり目に到着した僕は、すでに100人以上の行列に絶望する。
「しまった」
この時点で夜までイミグレ拘束確定。
パソコン・充電器などのフル装備で6時間待ち、午後2時過ぎにようやく書類を提出できた。
が、ここからが本番。
5cmにも及ぶA4用紙の束を、事務官が一語一句チェックする。
サイン抜けで突っぱねられ、記載漏れで出直し——そんなのは日常茶飯事。
そして僕の結果は、
事務官:「名義が少ないから受理できない。7日以内に国を出ろ」
わし:「はひ?」
事務官:「7日の猶予やるから国でろっつってんの」
ちーん。詰んだ。

いざラオスへ!強制ビザラン発動
正直、この後のことはよく覚えていない。
言われるがままに、「ビザラン」サービスを使って、ラオスの在ヴィエンチャン・タイ王国総領事館に向かうことに。
社内の弁護士や会計士が総出で書類を用意。
PDFで届いた書類を印刷し、サインし、詰めに詰めて5cmの資料束を用意。内訳は、
会社登記簿謄本
決算書
登録従業員の国民登録証コピー
労働写真
ビザ申請書 などなど。
夜、まるで夜逃げのように**夜行バン(ロットゥー)**に乗って東北タイを抜け、国境へと向かう。
徒歩で越えるラオス国境と、書類トラウマの再来
国境ではパスポートを見せて徒歩で越境。大陸だからこそできることだ。

ラオス側で入国ビザを取得し、ビザラン業者と合流。
そこから一目散に総領事館へ。
1時間ほど待って、ようやく僕の番。
「また何か言われたらどうしよう」「帰れなかったら…」と内心パニック状態。
だが、5cmの申請書は無事に受理!

その後、ホッと一息ついてラオス料理店で昼食をとった。
ビザランでの出会いは一期一会
ビザランには不思議な魅力がある。
国籍も背景も違う外国人たちと、腹を割って話す機会があるのだ。
僕はこれまでに3回ビザランを経験し、日本人やフィリピン人など様々な人々と出会ってきた。
「同じタイに住む仲間」として、不思議な結束力が生まれる。

もう10年も前の話だが、あの時出会った人たち、元気にしてるかな。
無事にビザが発給され、タイへ帰還!
翌日、ようやくビザ発給。
再びタイに入国できた瞬間、心の底からホッとした。
「生き返った」気がした。

海外生活に潜むスリルと面白さ
外国で暮らすということは、こういった不便やトラブルも日常にある。
でもそれがスリリングで、時に面白い経験となる
今回のビザラン体験も、その一つ。
なお、翌年にもう2回も出国することになるとは、当時の僕は知る由もなかった——。
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