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【どグ報#05】「素人SNS禁止」発言から考える、芸人のトレードオフとプロ意識。

 SNSでは書けない本音を、有料だからと高を括って書き殴る有料マガジン『どすグロい報告書』略して『どグ報』。

 今回のトピックは、お笑いコンビ・チョコレートプラネットの松尾駿の炎上が止まらない件だ。発端はYouTubeでの「素人はSNSをやるな」発言なのは、もう周知の事実だろう。

 すでにチョコプラのチャンネル内の元動画は削除され、最新動画のコメント欄も封鎖されている。なので文句を言いたい人々、いや……ここではあえてチョコプラ松尾節でいうところの“素人”たちは、過去動画へのコメントで、チョコプラ松尾へ火を焚べている状態だ (この切り抜きは、人類が電気というエネルギーを失うまで、残り続けるだろう)。

 AERAのwebでも「選民思想が透けて見える」「時代錯誤」などと書かれたりしている。

 一方、ネパールでは、政府がSNSの規制をしたことで、大規模なデモに発展し、35名の死者を出しながらも、たったの2日で政権が崩壊した。

引用元(https://apnews.com/article/nepal-genz-protest-social-media-ban-9dc6ecd2c089141cc8c36af5949cfc09 【AP通信写真/ニランジャン・シュレスタ】)

 政府の目的は、誹謗中傷や陰謀論など誤情報の拡散の危険性を危惧しての処置だそうだが、SNS規制はいわばデジタル情報網である現代のインフラを破壊することであり、同時に「表現の自由」規制へと繋がるわけで、それに市民が怒り、政権へカチコんで政権崩壊というのは、近年稀な革命的な出来事だ。

 話の規模こそ違うが、チョコプラ松尾氏の発言は、ネパール政府のSNS規制と内容自体は大差がない。もしネパールなら今ごろ松尾氏は、本当に身体を物理的に炎上させられていたかもしれない。

 当人には、この炎上が「日本で本当に良かったね」と言ってあげたい気持ちでいっぱいだが、普通に嘘なので、DMやYouTubeのコメント欄へは何もしないでおく。

 事の発端は、先日身の潔白が証明されたアインシュタイン稲田氏の「アカウント乗っ取り事件」への誹謗中傷に対して、怒りを表明する趣旨でのチョコプラ松尾氏の発言であった。

 芸能人は、その仕事の性質上、どうしても誹謗中傷を受けざるを得ない身であるが、それ故の反動として「SNSは、誹謗中傷の武器になるから素人に使わせるな」という発言だ。本心には彼なりの正義感があったに違いない。

 僕も彼の気持ちは分からなくはない。芸能人だって人間だ。プライベートではそっとしておいてほしいし、顔の見えない人間からの誹謗中傷は卑怯だし辛い (僕は、Youtubeでときどき食らう)。

 また現代社会では彼のような芸人に限らず、一般市民素人も、何らかの不快な行為が世間へ露呈したとき、SNSでは該当人物を「社会的に殺せ!」とばかりに袋叩きにする。今回の炎上は、アインシュタイン稲田氏への同情が発端だが、この現状に松尾氏は、SNSが普及した現代において一般市民素人へも同情的であってもおかしくないのだが……。

 なぜ、彼はそうならなかったのか。

 今回は、このチョコプラ松尾炎上から、芸人における真のプロの振る舞いを考えながら、同時に今後のチョコプラ松尾氏への活動へのささやかなアドバイスを、おせっかいながらしていきたいと思う。

※この記事は途中からは、有料記事です。
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あと、今回の記事には一般市民や一般人に、“素人”というルビを振ります。ちょっとした嫌味です。ご了承ください。


「素人がSNSするな」が、間違っている理由


 チョコプラ松尾氏は、動画のなかで「SNSの利用は、完全な免許制にしろ」とも語っている。では、SNSを免許制にしたところで、誹謗中傷がなくなるのだろうか考えたい。

 生活の中にある身近な免許制のアイテムに車がある。車の免許を持っている人は、何らかの特殊な事情がない限り、国が定めた自動車教習所に通い、適切な指導と教習のもとで、試験に合格したのち運転免許証が取得できる。

 チョコプラ松尾氏の発言に照らし合わせ、免許制にして誹謗中傷がなくなるのだとすれば、不思議でならないのは、免許を持っている人間が、車を使って事故や事件を起こすことである。

 こんな子供でもわかる理論を展開するのも恥ずかしいのだが、運転免許が必要な人間は、主に生活のために免許を取るのであって、無免許運転での犯罪と事故を防ぐ目的で取るわけではない。

 免許制は、車を乗ることで発生しうる事故率を最低限に抑えるためで、運転免許証は無事故無違反を約束するものではない。むしろ車に乗るという行為は、事故や事件に合うリスクを拡大している(「だから免許制」という理論がループするのだが)。

 そしてほとんどの場合、自分や他人の不注意で自主的にしろ、巻き込まれる形にしろ、我々は事故に合う。そして一部の人々は自らの意志で、車やバイクを違法改造し、交通規則を破ったりと犯罪行為に走る(車だけに!)

 車の事故や事件なら物理的な損害があるので分かりやすいが、ことSNSの場合は、事象がもっと複雑である。

 例えば、ある有名人が「僕は、結婚しても浮気をし続けます。オープンマリッジってやつですねw これに関しては他人の意見は、一切受け付けません」と発言したとして「それってモラルとしてどうなの?」とSNSで一般人素人の誰かがボソッと呟くと、発言者本人から「はい! 誹謗中傷ー! 法的処置とりますー!」と返信があったとする。

 この事象にSNS免許制度があったとしたら、一般通念上の素朴な意見を述べた素人が罰せられるのか、法的処置を仄めかす発言をした側を罰するのか。

どちらを罰する対象にし、そこに「表現の自由」という権利は誰に適用し、誰に適用されないのか。素朴な意見の表明が、受け取り手側の感覚ひとつで「誹謗中傷」になるのだとすれば、何を基準に誹謗中傷を定義するのか、是非ともこういった問題にも、チョコプラ松尾氏には答えてもらいたい。

 車の免許持つ人のほとんどが、わざと事故を起こさないのと同じように、SNSでは誰もが誹謗中傷をするつもりがないのに、誹謗中傷をした人認定されてしまう事象もある。

 ここまで読んでいる方々からは「いやいや、悪意のある明らかな誹謗中傷だってあるだろ!」という指摘も飛んでくるだろう。

 もちろんそうである。悪意のこもった誹謗中傷は明らかに存在するし、チョコプラ松尾氏もそれについて言及している。これについて考えるには、芸人という「プロ」の仕事とは、何なのかについて考えなければならない。

芸人における“プロ”とは、何なのか?


どんな仕事でも、そこに賃金が発生すれば「プロ」である。という意見をよく聞く。

 僕も福岡でDJをやっていたころ、少なからず出演イベントにギャラを要求していたし、ギャラがあるからこそプロ意識を持って、毎晩DJに挑んでいた(中には仲間内、先輩との上下関係でノーギャラで出ざるを得ないこともしばしばあった。なんか思い出すとムカついてきた)。

 僕は、なりたくてDJになった。

 そのために学生の間にバイトをして機材を購入し、酒に溺れながら夜の街を飲み歩いた。先輩からの断れないテキーラショットを飲み、後輩のイベントに顔を出して酒を奢り、フロアのむちゃぶりに付き合い、ハメを外し過ぎて、人に迷惑をかけたこともしばしばだった。

 もちろん、DJでは生活など到底成り立たないので、昼はパン屋、ゲームのデバック、書店員などいろいろな仕事をした。生活維持のための仕事が好きだったかというとそうではない。辛いこともあったが、仕事が苦痛な状況は精神衛生にもよくないので、仕事を好きになる努力や工夫はたくさんした。

 これと同じように、芸人を目指す人々には嫌々な人は、おそらくほとんどいないだろうと思う。

 昔からテレビのバラエティ番組や漫才が嫌いだった。芸能界には行きたくもない。誰からも注目を浴びたくない。笑いの追求なんてくだらない。そう考えている人が、なんらかの我慢をして芸人に嫌々なることは、ほとんどないのではないか。

 DJや芸人のように「人生で目標があることが素晴らしい」とか言いたいわけじゃない。

 世の中の全ての人がそうではないが、生活のためにやりたくもない労働やサービス業に従事して、日々をこなしている人は多いはずである(いまの僕もそうだ)。

 嫌だけど、今日の晩御飯のため、明日の生活のために、満員電車に揺られ、嫌な上司や取引先へ顔を出し、砂と埃に身体を汚し、苦手な勉強にも精進し、誰かに頭を下げたり、調子を持ち上げたりして、僕らは日々生活している。

 DJ時代の僕も、DJの夜の世界と、生活維持の昼の世界での苦悩は様々だったが、そのすべてがDJブースに立つための代償であり、必要なトレードオフなのだと腹を決めて生きていた。

 そう、仕事には必ずトレードオフがある。

 仕事とは、人生の時間を切り売りして、賃金を稼ぐ行為であり、そのサイクルには大小様々な犠牲と代償が付きまとう(何かダジャレのようなことになったが気にするな)。賃金が発生すれば、それは仕事としての体を成すが、そこの裏には、発生するトレードオフを受け入れられるか? という問題が潜んでいる。

 概ね、世間(=素人)の仕事は、やりたくないことをする代償として賃金があるが、芸人は有名になることでその代価として一般庶民素人の目線からは莫大な金額の報酬を得るのであり、そのトレードオフは、知名度向上とともに反比例して縮小するプライベートであり、世間からの関心を寄せられることであろう。有名税と言ってもいい。

 今回、チョコプラ松尾氏は、自分に対して向けられる視線とそこから起こりうる炎上を想像できず、ごく自然に自分が世間一般素人の感覚から、かけ離れた感覚であることを露呈させてしまった。

 現代の芸能界は、いかに殿上人である芸人/芸能人が「庶民的であるか」をこぞって主張し合いながら、ふんわり芸能人たる威厳、風格をまとい「やっぱり、芸能人は違うな〜」といかに世間へ思わせるかの戦いなのだ(自宅訪問とか、高級品を買わせるバラエティとか)。

 話が逸れたが、要はチョコプラ松尾氏は、芸人という職業のトレードオフとしての誹謗中傷に耐えられなかったのだ。だからダメだということではなく、これはSNSが普及した現代では残酷な日常でもある。

 先にも述べたが、その誹謗中傷は現在、素人である我々をも巻き込んで、当事者を社会的に殺しにかかることが多々ある異常な世界である。

 こんな世界における芸人の “プロ” という状態は一体どういう状態なのか。

 それは……

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