防波堤の灰
朝はだいたい同じ匂いがする。洗剤と、湿った段ボールと、なんか乾ききってない空気。たぶん昨日の続き。
ドアを開けると、それがそのまま顔にくる。
「おはようございます」
誰かが言う。誰に言ってるのかは知らない。たぶん全員あて。便利な言葉だと思う。
「おはようございます」
少し遅れて、同じことを言う。反射みたいなもんだ。
今日も袋詰め。透明な袋に部品を五つ入れる。五つ。閉じる。箱に置く。終わり。
それを繰り返す。ずっと。
五つ。五つ。五つ。
考えなくていいのがいい。数だけ合ってれば怒られない。間違えても、だいたい大丈夫って言われる。
成功もしないけど、失敗もしない。
ちょうどいい。たぶん。
隣のAが、朝から元気に話しかけてくる。
「今日、クソ暑いらしいよ」
「へえ」
「もう夏じゃん」
Aはよく笑う。別に面白いことは言ってないけど、笑う。才能だと思う。
「海とか行かね?」
「行かない」
「もったいねえなあ」
何がもったいないのか、少し考える。やめる。手が止まるから。
五つ。五つ。五つ。
昼前、職員が見て回る。
「いいですね、その調子で」
いつも同じことを言う。たぶん本心。たぶんテンプレ。
前に言われたことがある。
「ここは安心して続けられる場所だから」
安心。便利な言葉その二。
休憩になると外に出る。灰皿がある。屋根はない。雨の日は普通に濡れる。平等だと思う。
一本取り出して、火をつける。
一口目が一番うまい。それだけは信用してる。
煙を吐くと、さっきまでの「五つ」が遠くに行く。ああ、消えたなって分かる。
Aも隣で吸ってる。
「これないと無理だわ」
「まあな」
「やめようと思ったことある?」
「ない」
「俺ある。三日でやめた」
「それやめてないだろ」
「やめるのをやめた」
ちょっとだけ面白い。
空は白い。海は見えないけど、匂いだけくる。潮。ずっといると分かるようになる。
午後も同じ。五つ。五つ。五つ。
新しく来たやつがいた。若い。手がぎこちない。職員が横で説明してる。
「大丈夫ですよ、ゆっくりで」
魔法の言葉。
その若いやつ、ずっと謝ってた。
「すみません、すみません」
別に怒られてないのに。癖なんだと思う。
数日でいなくなった。
理由は誰も言わない。聞かない。ここはそういう場所。
終わりの時間になると、全員ぴたっと止まる。機械みたいでちょっと面白い。
片付けて、帰る。
今日も何も起きなかった。
それがちょっと安心で、ちょっと退屈。
帰りにコンビニ。いつもの店。いつもの店員。
「いらっしゃいませ」
顔は見ない。向こうもたぶん見てない。
弁当とタバコ。いつものやつ。
「ありがとうございました」
どういたしまして、とは言わない。
外に出る。風がある。海の方向。
防波堤まで歩く。町の端っこ。
夜は人がいない。そこがいい。
座って、火をつける。
ここだと、少しだけ考える。昼間はやらない。やると詰まる。
波の音。一定。ずっと同じことしてる感じがして、ちょっと親近感ある。
ふと考える。
このまま十年いったらどうなるんだろう。
同じ場所、同じ作業、同じ煙。
十年後の自分、たぶん想像できる。したくないけど。
途中でやめる。
煙吐く。
今日のはちょっとまずい。
次の日も同じ。
匂い。挨拶。五つ。
Aがまた話しかけてくる。
「なあ」
「ん」
「ここさ、居心地いいよな」
「まあ」
「楽だし」
「うん」
「でもさ」
止まる。
「……いや、いいや」
よくないやつだと思うけど、聞かない。聞くと面倒なやつ。
五つ。五つ。五つ。
午後、ミスる。四つしか入ってなかった。
「ここ、四つですね」
「あ、すみません」
「大丈夫ですよ、直せば」
いつもの。
でもなんか、軽い。
大丈夫って、どこまで大丈夫なんだろうって思う。
ここにいれば、確かに大丈夫。
でもそれ、何も起きないってこととほぼ同じじゃないか。
守られてるっていうより、止められてる感じ。
ちょっとだけ手が遅くなる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
便利すぎる言葉その三。
週の終わり、Aが来なくなる。
理由はない。説明もない。ただ席が空く。
休憩、ひとりで吸う。
風、ちょっと強い。
一口目、あんまりうまくない。
夜、防波堤。今日は少し早い。まだちょっと明るい。
座る。火つける。
煙、流れる。
Aどこ行ったんだろうなって思う。
居心地いいって言ってたのに。
「でもさ」の続き、たぶん大したことじゃない。でも、ちょっと気になる。
聞かなかった。
楽なほう選んだだけ。
煙吐く。
やっぱちょっとまずい。
ここにいれば、何者にもならなくていい。
その代わり、何にもならないまま終わる。
それでいいと思ってた。わりと本気で。
今は、ちょっとだけズレてる。
波の音がでかい。
ポケットのスマホ、なんか重い。
求人、開く。
難しそう。全部。
閉じる。
開く。
閉じる。
だるい。
もう一本吸う。
二本目はまあ普通。
全部変えるのは無理だなって思う。そもそもそんな気ない。
明日もたぶん行く。普通に。
でも、ちょっとだけ変えてもいいかもしれない。
防波堤、もう少し早く来るとか。
タバコ、一本減らすとか。
その程度。
海を見る。
煙吐く。
風、少し弱くなる。
波、いつも通り。
何も変わってない。
でも、立ち位置が数センチずれた感じはある。
気のせいでもいい。
立つ。
空箱ポケットに入れる。
明日も同じ匂いだと思う。
同じ挨拶して、同じことやる。
たぶん、それでいい。
ただ、ちょっとだけ選び方をいじる。
それくらいなら、できる。
たぶん。
変わらないって、まあ選んでるってことだし。
じゃあ、少しだけ雑に選び直す。
そのくらいの話。
