いってらっしゃい、と見送った朝
ようやく、セミの合唱が聞こえてくるようになった。
我が家の庭でも、あちらこちらで抜け殻を見かけるようになった。
昨日の夕方、庭へ水やりに出ると、三匹のセミがそれぞれ違う姿で羽化をしていた。
一匹はこれから殻を破ろうとしているところ。
一匹は、まさに殻から抜け出す瞬間。
もう一匹は、ラベンダーセージの陰で羽を乾かしながら、じっと動かずにいた。
思わず水やりをやめ、その様子をしばらく見守った。
そして翌朝。
庭へ出ると、二匹はもう飛び立っていた。
残っていた一匹をしばらく眺めていたが、ほんの五分ほど目を離した間に、その姿もなくなっていた。
「飛んでいったんだ。」
少し寂しく思った瞬間、ふと考えた。
こんな時にかける言葉は、「さようなら」なのだろうか。
それとも、「いってらっしゃい」なのだろうか。
調べてみると、セミは飛び立つと、もうこの庭には戻ってこないという。
だから「さようなら」なのかもしれない。
けれど、羽化したばかりのセミにとっては、ここからが成虫として生きる時間の始まりだ。
そう思うと、「いってらっしゃい」のほうが、私にはしっくりきた。
今年飛び立ったセミたちは、何年も前に木の枝へ産みつけられた卵から生まれ、土の中で長い時間を過ごしてきたという。
そして今年産まれる卵もまた、数年後の夏へつながっていく。
庭から飛び立ったセミは、もうこの庭へ戻ってくることはない。
それでも不思議と、「さようなら」という気持ちとは少し違った。
私には短いと思える地上での命の時間だけれど、それは何年もの土の中の暮らしの先にある時間でもある。
思いきり鳴いて、
思いきり生きて。
ささやかに願って、
「いってらっしゃい。」
と送り出したい。

下に落ちないのか心配

慌てて水やりをやめた!
まだ薄い緑の羽とラベンダーセイジの葉、
少し似ていた

まだいた!

「いってらっしゃい」

