【幕末】第4話 坂下門外ノ変
⚪︎はじめに
前回の記事にて条約問題&将軍継嗣問題を強引に解決した大老井伊直弼が多くの人々の反感を買い、桜田門外ノ変にて暗殺されたことを解説しました!!
この事件によって幕府は大老を失い、大きく権威を削がれました。
今後幕府はどう動くのか??
一緒に見ていきましょ!!
⚪︎徳川家定の死去

実は条約問題や将軍継嗣問題で幕府が混迷し、安政の大獄などで大名弾圧を行う真っ最中将軍である徳川家定が死去していました。
そこで、将軍継嗣問題にて将軍の後継になっていた徳川慶福が将軍に就任します。
ここで徳川慶福、改め徳川家茂(とくがわ いえもち)が将軍となります。

また、大老井伊直弼が暗殺され、老中の座に
安藤信正が就任しました。
今後の幕政は安藤信正に任されました。

⚪︎公武合体
幕府は桜田門外ノ変にて失った権威を回復するために公武合体という考え方をするようになります。
公武合体とは第0話でも解説しましたが、公(公家)と武(武士)が協力して手を取り合い、幕末のこの難局を乗り切ろうとする考え方です!
※公武合体についてはこちらで詳しく解説しています↓↓↓↓↓↓
⚪︎航海遠略策

特に長州藩(今の山口県付近)は最初、公武合体の立場をとって動いていきます。
その中心となる人物が長井雅楽(ながい うた)
です。

彼は航海遠略策という考え方を提唱します。
航海遠略策とは、幕府が行った条約締結を朝廷が命令して行ったことにして人々の納得を得る。
その上で、外国と貿易を行って武器等を輸入して、力を強めて外国勢力を手懐けるというものです。
長井雅楽はこの考えを朝廷、幕府双方に伝えて了承を得ます。
この働きがけによってさらに公武合体が進められていきます。
⚪︎和宮降嫁(かずのみやこうか)
この公武合体が進められる中で、老中首座安藤信正は孝明天皇の妹である和宮を将軍徳川家茂の嫁にもらうことを考えます。

もし、この政略がうまくいけば徳川家茂は実質的に孝明天皇の弟になります。
この話を孝明天皇に持ち出したところ、鎖国に戻すことを条件に妹を嫁として送ると発言し、幕府は「10年以内に鎖国体制に戻す」と返事して、和宮を徳川家茂の嫁として迎えいれることに成功します。
しかし、実は和宮はもともと有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)と婚約関係にあり、この降嫁に乗り気ではありませんでしてた。

そのため、この一件は安藤信正が天皇様の妹を政治に利用したとして、過激派たちの反感を買っていきます。
⚪︎坂下門外ノ変

1862年、1月15日。
この日は各地の大名が江戸城にて将軍様に謁見する予定がありました。
もちろん、安藤信正も江戸城に登ります。
朝8時に藩邸から駕籠にて坂下門に向かった安藤信正は坂下門に向かっていきます。
そのときです、、
駕籠訴を装い、駕籠に近づいてきた男が発砲しました。
その男を含め過激派の浪士6名と安藤信正の家来で斬り合いとなります。
桜田門外ノ変の二の舞か!?と思われましたが、このときはそういきませんでした。
安藤信正は背中に軽い傷を負いますが、その場で浪士6名を全て打ち取ります。
しかし、背中の傷は武士の恥。
安藤信正はこの事件を最後に老中を辞職。
幕府は権威を再び落とすことになるのでした。
⚪︎おわりに
今回は幕府の権威回復に向けた動きを見ていきました。
坂下門外ノ変によって、幕府と長州藩の公武合体に向けた動きはここで滞ってしまいます。
そこで、政治界に登場してくるのが雄藩の1つである薩摩藩です!!
次回は文久の改革について見ていこうと思います!!
⚪︎参考文献
・「詳説日本人探究」山川出版
・「詳説日本史研究」山川出版
・「YouTube高校」https://youtu.be/jzO7R-LgMYc?si=JLxtOdarNAd8SVV6
・Wikipedia
⚪︎画像出典
・Wikipedia
・朝日新聞
