【幕末】第3話 桜田門外ノ変
⚪︎はじめに

前回の記事にて、当時幕府が抱えていた2つの問題(条約問題と将軍継嗣問題)は大老井伊直弼の力によって強引に一気に解決されました。
しかし、その強引な解決が一橋派の反感を買います。
今回は特に一橋派の中心角である徳川斉昭・一橋慶喜と島津斉彬(しまづ なりあきら)がそれぞれ属する水戸藩、薩摩藩の動きについて解説していこうと思います!
⚪︎薩摩藩の動き

島津斉彬と西郷隆盛は将軍継嗣問題の敗北を受けて、朝廷を守ることを名目に薩摩藩で兵を率いて上洛することを考えます。
しかし、その最中で島津斉彬が死去します。
島津斉彬が亡くなり、藩主は斉彬の養子であった島津忠義(しまづ ただよし)に変わります。
しかし、忠義は当時19歳と若く、実際に藩で力を持ったのは忠義の実父であり斉彬の弟である
島津久光でした。
⚪︎水戸藩の動き

徳川斉昭、一橋慶喜は将軍継嗣問題の敗北を受けて大激怒💢
2人は江戸城に乗り込み、井伊直弼が天皇を無視して条約に調印したこと(違勅調印)を批判します。
⚪︎安政の大獄(あんせいのたいごく)

ここで、大老井伊直弼も動き出します。徳川斉昭を中心に幕府を批判する者を処罰していくのです。
徳川斉昭には謹慎、松平慶永(まつだいら よしなが)には謹慎&隠居、伊達宗城(だて むねなり)は隠居、山内豊信(やまうち とよしげ)は隠居に追い込まれます。
この隠居を機会に松平慶永は松平春嶽(しゅんがく)、山内豊信は山内容堂(ようどう)に名前を変更します。
また、朝廷に働きがけていた橋本左内(はしもと さない)は処刑。
西郷隆盛は島流しに追い込まれます。
この他にも100名を超える処罰者がいました。
なかなかに大規模な弾圧ですね。
この弾圧を総称して安政の大獄といいます。
⚪︎戊午の密勅(ほごのみっちょく)

そんな中、朝廷は幕府を見捨て水戸藩に直接働きかけていきます。
なんと、朝廷は水戸藩に※密勅を出すのです。
※密勅:秘密のお手紙
本来なら天皇→関白→武家伝奏→京都所司代→老中というルートで幕府に届くはずの手紙が水戸藩にそのルートを通らずに渡ったのです。
手紙の内容としては違勅調印はよくないということ、幕府だけで判断せずに大名ともっと話し合うべきであると伝えるものでした。
この密勅を戊午の密勅といいます。
⚪︎動く幕府
この状況を見て危機を感じた井伊直弼は朝廷に開国は一時的なものであって、日本が力をつけたら再び鎖国体制に戻すことを伝えます。
その結果、孝明天皇は納得。朝幕関係は落ち着いたのです。
しかし、このことを世の中に発信することはできませんでした。もし、日本国内全体でこの事実を共有してしまうと必ず外国の耳にも入ります。つまり、対外関係の危機に陥ります。
幕府はこの状態で水戸藩に密勅の返納を求めます。しかし、水戸藩は朝幕関係が緩和されたことを知らず、返納に関しては賛否が分かれ収集のつかない状態に陥りました。
こうして、水戸藩の過激派は井伊直弼の暗殺に向けて動き出します。
⚪︎一方薩摩藩は?

当時の薩摩藩では西郷隆盛が島流しに合っているため、その親友である大久保利通が藩士を主導していました。
水戸藩の過激派たちの動きを見て、大久保利通ら薩摩藩の過激派も井伊直弼暗殺に加わろうとします。
しかし、この動きを見て島津久光が薩摩藩がどうなるかわからないと不安を感じ、大久保利通らを誠忠の者たちと称し、今は攻め時ではないとその動きを中止させます。
このときから、大久保利通ら藩士は誠忠組を結成し、今後薩摩藩にて影響力を強めていきます。
⚪︎桜田門外ノ変

水戸藩士たちは自身の藩に迷惑がいかないように脱藩した上で江戸にいた薩摩藩藩士1名と共に暗殺実行に向けて動き出します。
時は1860年3月3日のひな祭りの日。
この日は江戸城にて午前10時から式典がありました。江戸城に入門できる門は桜田門と大手門。
井伊直弼の屋敷は桜田門付近にありました。
つまり、井伊直弼は3月3日の朝10時までに一度は桜田門に現れるのです。
水戸藩士らはこのタイミングを狙いました。
計画実行当日、浪士らは愛宕山(あたごやま)に集合しました。この日は雪が降り積もっていました。
浪士らの内訳は水戸出身17名、薩摩藩出身1名でした。
彼らは桜田門付近にて民集に紛れて井伊直弼を待ち構えました。
そこに井伊直弼の屋敷の方向から井伊直弼が乗った駕籠が直弼の家来たちと共に現れました。
浪士らのうち1人が駕籠に対する直訴を装い、井伊直弼の家来を切りつけ井伊家の武士と浪士らで斬り合いになりました。
そんな中、駕籠の守備が薄くなったところを別の浪士にピストルで撃ち抜かれます。
その後、井伊家の護衛は総崩れ。
井伊直弼は何度も浪士らに切りつけられ、最終的には薩摩から1名だけ参戦した浪士によって首を掲げられました。
⚪︎おわりに
大老井伊直弼を失った幕府は大きく権威を失墜しました。
そこで、幕府は今後権威回復に向けて動いていきます。
次回の記事は幕府の権威回復について解説したいと思います!!
⚪︎参考文献
・「詳説日本史探究」山川出版
・「詳説日本史研究」山川出版
・「YouTube高校」https://youtu.be/Nl5y7BKl-9I?si=mnyfvcG89UuNN1ZC
⚪︎画像出典
・Wikipedia
・朝日新聞
