アワビの介錯
夜のスーパーの値引きコーナーを物色していたら、アワビが20%OFFになっていた。
なんと320円である。
すごい!アワビがこんなに安く買えるなんて、めったにいないぞ。うん、買おう!
迷わずカゴに入れた。
家について、さあ、どうやって食べるのかな?とパッケージを見ると、酒を垂らして電子レンジ500ワットで2分、と書いてあった。
フライパンで焼かなくていいんだなあ。
ラクチンかも🥰
ペリ、とラップを剥がした。
グニ、とアワビが動いた。
ひゃー!生きてる!えー?
どうしよう、生きてるよ…
アワビって、生きたまま売ってるんだ…
もしかして、死んだアワビは食べちゃいけないのかな?
私は、魚やさんで買ってきた瀕死のタコやカニを水槽で育てているユーチューバーさんの動画を思い出した。
水槽があれば…いや、海の近くに住んでいれば…食べる、という選択肢以外を選んだかもしれない。
「水槽はないし、海も遠いしね…」
それに、もう瀕死かもしれない。
私はちょっと深めのお皿にアワビをのせて、おそるおそるお酒を注いでみた。
「うわーっ!」
「ギャーっ!」
アワビが叫んだので、思わず悲鳴をあげてしまった。
アワビは、身体をくねらせてうわーっと叫んでいる、いや、叫び声は錯覚かな。
…めっちゃ動いてる…
私は涙目になって、激しく暴れるアワビを見つめた。
酒をかけろと書いてあったのに…
こんなに元気なら、海に戻せばワンチャン生き延びるんじゃないかな?
でも、海は遠い…
いっそ酔っぱらってもらおうと、私はさらにアワビに酒を注いだ。
「うわーっ…」
アワビはさらに激しく動いたかと思うと、少しおとなしくなった。
どうしよう、ヤるか?
いっそ介錯でひと思いにヤるか?
でも、アワビの介錯って、どうすればいいんだろう?武士は首を落とすんだよね。
アワビの首ってどこかな?
私はもう一度パッケージの説明を読んだ。
「酒をふって、500Wで2分電子レンジで加熱してください」
…悪魔かな?
ああ、でも、命を頂くってこういうことだ。
ふだん何気なく食べてる豚肉も鶏肉も牛肉もお魚も、みんな生きてたんだ。
自らその命を奪う瞬間に立ち会わずにすんでいたから、ふだん意識してなかった。
この、命を奪っている、という意識は、忘れてはいけないことだったのだ。
私はアワビを見つめた。
生きてる。でも、海に戻せない以上、命を頂くしかない。
私はアワビに手をあわせてから、ラップをかけて電子レンジに入れた。
そして、2分間の間ずっと手を合わせていた。
そのうち、ポン、と音がして、命の気配が消える瞬間、アワビが辞世の句らしきものを詠んだ。
「いまひとたびの春の海かな」
電子レンジから取り出してラップを開けてみると、アワビは酒蒸しとなり見事にうまそうだった。
「いただきます」
自ら命を奪ってしまったアワビに対する罪悪感と共にその身を味わった。
柔らかく、酒と潮の香りがして実に美味であった。
美味しさと罪悪感の余韻に浸っていたら、アワビの辞世の句がいまさらながら心に沁みてきた。
あれ?どこかで聞いたことがある句だよ。
調べてみた。
あ・・・和泉式部だ。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな」
(わたしはもうすぐ死んでしまうでしょう。わたしのあの世への思い出になるように、せめてもう一度だけあなたにお会いしたいものです。)
アワビは、この歌を本歌取りしたのだ。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの春の海かな
私はもうすぐ死んでしまうでしょう。私のあの世での思い出になるように、せめてもういちどだけ春の海で泳ぎたい・・・
ああ、私は、百人一首をそらんじるアワビを、殺してしまった・・・
恋が始まる前にララアを殺してしまったアムロの気持ちが今わかった。
飲んで帰ってきた相棒にアワビの話をした。
「え?いいなあ!僕も食べたい!明日も売ってるかな?」
ごめん、でも、もうたぶんアワビは買わないと思う。美味しかったけどさ。
私は生まれ変わったら、たぶん、アワビかカニになると思う。
いただきます、と命を頂いたから、来世ではその運命を受け入れよう。
そしていざその時が来たら、百人一首から辞世の句を本歌取りできるように、今から勉強しておこう。あのアワビのように。
