息子へ告白。手術前、そして離婚するであろう前に、家族として受け入れる供養。
自分を守るために。
ひとりで抱え込まないために。
― 家庭を壊さないために、守る順番を変えた日 ―
供養を考えるようになったきっかけ
当初から、心のどこかで
「うちの子の供養はしないのだろうか」
という思いが、ずっと引っかかっていた。
友人の実家には、お母さんが大切にしている小さなお地蔵さんがあった。
流産した子のためのものだと聞き、いつもお水が供えられていた。
友人と私はすでに成人していたが、
友人のお母さんは、兄か姉にあたる存在として、変わらず手を合わせていた。
その光景を見ていたから、
「このままでいいのだろうか」
という感覚が、
私の中から消えることはなかった。
けれど、聞いても、誰も「お参りに行こう」とは言わず、
私自身も、どうすればいいのかわからないまま、時間だけが過ぎていった。
息子には第二子の流産を話せない事情があった。
この出来事の原因には、夫と姑が強く関係しているからだ。
夫と姑は、酷い人と思われかねない。
母として、息子に背負わせるには重すぎる話だった。
しかし、状況が変わったのは、夫婦相談を経てからだ。
心理師を通して夫の話を聞いた際、
私だけが再構築のため努力していると知った。
何も変わろうとせず、悩みもしていない夫の言葉…
お金を払ってまで夫の嘘を聞かされて、
離婚するしかないかと…宣言したあとに起きた。
夫が、息子を巻き込むような言動をし始めたのだ。
それも息子は、私には言えず、2週間ほど、1人でその問題を抱えていたのだ。
私の実家に、息子が心を許せる私の母と弟に会いに行って、なんとか持ち堪えていたのを、夫婦相談の2週間後に知ることとなった。
これまで伏せてきたことを、話さざるを得なくなった。
事情を知った息子は、
初めて私の話を、
静かに聞いてくれるようになった。
【後になって知ったのですが、息子も長い間、大きな心理的影響を受けていたようでした。
当時の息子は小学校高学年頃から心を閉ざしていたことに、今になって気づきました。
その背景には、家庭内で交わされていたさまざまな言葉や空気が影響していたのだと思います。
その詳細については、別の記事で丁寧に書きたいと思います。】
そんな大きな事が伏せられていた事に、息子はこれまでの違和感に深く納得した。
そして、息子は幼少期から今まで、家庭の中で、誰を信じて良いのか、ずっと分からなかったと打ち明けてくれた。
夫がこの供養に向き合うのは、
きっと最初で最後だと思っている。
自分のせいで、我が子の命を落とした事を忘れたいのだろう。
自分のルーツである本家の墓参りすら嫌がる人だ。
思えば、昔から人の生死の捉え方が私とは違っていた。
流産した自分の子のことなど、
もう忘れているのかもしれない。
それでも、息子には
「生まれてこれなかった妹」として
一度でいいから、
手を合わせてほしいと思った。
私は家族の死として扱いたかった。
あの子が居なくなったのは秋。
夫婦相談をしていた頃がちょうどその頃。
偶然にも20年目になる。
将来離婚する可能性が濃厚となり、
その前に、どうしても家族で供養をしておきたかった。
クリスマスに私自身の入院を控えていたことも、
背中を押した理由のひとつだった。
会社の車に同乗させたことへの不安
夫には、以前から何度も伝えてきたことがある。
休日に、会社の車に人を乗せないでほしい、ということだ。
それにもかかわらず、今回は息子を同乗させて来た。
「息子の車では危ないから」と言い、社用車で移動する形になった。
私は、事故が起きた場合の責任の所在について、強い不安を感じていた。
息子の大学入学に伴う引っ越し直前、
夫が社用車で信号無視で人身事故を起こした過去があったからだ。
事前に別々に来るよう伝えていたが、その指示は守られなかった。
自分一人であれば自己責任で済むことでも、
子どもを同乗させることについては、どうしても受け入れられなかった。
服装に感じた、決定的な違和感
もうひとつ、衝撃を受けたことがある。
それは、夫の服装だった。
私は息子に
「お墓参りに行く時の格好でいいよ」
と伝えていた。
スーツでなくても構わない。
けれど、50代の大人として、最低限の配慮はあると思っていた。
実際に現れた夫は、ブルーのジーパンだった…
私と息子は上下黒色の服であるのに対して、
夫は当事者なのに、
買い物に行くような服装…
私達と合わない服装であった。
「ああ、この人は、ここまでなんだな」
そう再確認した出来事だった。
帰り道に生まれた、かけがえのない時間
帰りは、「私が息子に話があるから」と伝え、私が息子を車に乗せて帰った。
結果的に、久しぶりに、息子とゆっくり話す時間ができた。
数時間勉強してもらい、迎えに行き、食事をしながら話をした。
親として、
「今、何を優先するべきか」
を考える時間になった。
学費と生活費について、息子と話し合ったこと
これからかかる学費と生活費について、
息子と現実的な話し合いをした。
息子は、父親には頼れないと感じていたため、
学校に通えば勉強時間を確保する必要があり、
アルバイトの時間をさらに減らさざるを得なくなるかもしれないと考えていたようだ。
生活費を稼ぐだけで精一杯になり、
学費についてはローンを利用するしかない、
そう感じていた様子だった。
一方で、
食費や日用品などについては、衰弱していく息子を見ると、
「親からある程度の援助があるもの」と期待した部分もあったのではないかと思っている。
父親は、
「転職は本人の自由」という考えを持っている。
これまでの数か月の行動から見ても、
大人としての最低限の支援として、
• 住居の提供
• 水道光熱費の負担
のみを行う考えであることが分かった。
本来であれば、
父親が学費を負担するのがいちばん合理的だ。
けれど、
それが現実的に難しいことも、
私はもう分かっている。
息子には、
「車のローンを払い終わるまで、絶対に新たなローンは組まないでほしい」
と伝えた。
中古車のローンは、あと3年残っている。
10年以上前の中古車のため、
今売却すれば残債だけが残る。
また、車がなければ夜遅い通勤・通学が難しくなる。
だからこそ、
今は手放すこともできない。
これ以上ローンを重ねれば、
生活が破綻してしまう可能性がある。
そのことを、はっきり共有した。
現実を踏まえたうえで、
私は次の方針を、息子と共有した。
• 生活費は私が負担すること
• 日常的な支出は、夫の家と私の家を細かく分けて考えないこと
• 家族カードのクレジットカードを使わせること
• 学費として「絶対に手をつけないお金」を決めること
• バイト代は、2年後・3年後の学費のために貯金すること
目標として決めたこと
まずは、
来年入校分の学費40万円を死守すること。
そして、
来年の貯金目標は40万円。
30万円できたら上出来。
少しでも心に余裕ができるように、
再来年の学費についても、
少しずつ考えていこうと話をした。
私は、息子にこう伝えた。
「苦しくなったら、必ず連絡しなさい」
「貯金はあるから、心配しなくていい」
扶養手続き拒否後の話
扶養の手続きを拒否されたあと、
息子の冷蔵庫を処分することにした。
私は、
自分が夫を責めることで、子どもがさらに窮地に追い込まれる構図
を理解した。
そのため、
感情的な言葉は使わず、
事務的な連絡として、次のLINEを送った。
「◯◯(息子)が一人暮らしした時の冷蔵庫は処分します。
◯◯は最短でも資格取得まで3年かかるので、
バイト生活中は賃貸を払える財力はありません。
処分料がかからないうちに買取してもらいます。
2018年か2019年製のため、3年も放置すると使えなくなります。
私の冷蔵庫は私には小さいので、
◯◯が必要になったら◯◯に渡して、
私は大きい冷蔵庫を購入します。
リビングに置いている冷蔵庫は、
氷が作れるか確認してほしいと言われていたので、
後日確認します。」
この連絡には、
息子が最低でも3年間はバイト中心の生活になる現実を、
あえて淡々と含めました。
返事は、いつものように既読スルーでした。
夫は
「既読=了解」
だと言い張るが、
業務連絡が複数になると最後の文しか読まれないこともあり、
正直、危険だと感じることもある。
それでも、
これ以上波風を立てないために、
私はこの形を選んだ。
扶養の手続きについては、
現在、夫が会社とやり取りをしているようだ。
年内に間に合うかは微妙ですが、
1か月程度であれば、今回は目をつぶろうと思う。
また、
夫から求められている
「税理士資格取得達成計画のプレゼン」については、
年内に設定される予定とのことだった。
夫と姑と息子の話
夫は一度私との夫婦相談の後、私に内緒で
「離婚するから、いずれこの家は売ることになる」
と息子に告げた。
子どもは無職の期間にあり、
生活や将来について不安を抱えている時期だった。
そうした中で、
別の週に「実家にお婆ちゃんに会いに行ってほしい」と頼まれたと聞き、
私は強い違和感を覚えた。
子どもは、高校生の頃から夫側の祖父母とは会っていない。
大学の入学祝いもなく、
進学について声をかけられたこともなかった。
成人のお祝いもなかった記憶がある。
当日、近況を尋ねたのは姑だった。
息子が、
「仕事を辞めて、資格の勉強をしている」と伝えると、
それ以上、話は続かなかったとのこと。
どんな資格なのか、
何を目指しているのか、
将来についての問いはなかったとのこと。
また、
どこに住んでいるのか、
食事をどうしているのか、
生活費は足りているのかといったことも尋ねられず、
自分の貯金を切り崩して生活していることも、
話題に出ることはなかったとのこと。
息子は祖母にとってはただ眺める対象だったのだろうか。
私はそのやり取りを聞いて、
「近況を知ること」と
「生活を気にかけること」は、
必ずしも同じではないのだと感じた。
家を手放すかもしれないという話と、
子どもを実家に連れて行くという判断。
その間に、
子どもの生活や気持ちは、
どこまで考えられていたのだろうか。
私には、どうしても理解しきれないままだった。
家を手放すかもしれないという話と、
子どもを実家に連れて行くという判断。
その間に、子どもの生活や気持ちは、
どこまで考えられていたのだろうか。
私には、どうしても理解しきれないままだった。
※
ここから先では、
供養当日に実際に起きたこと
亡き父と女の子の話
供養後、心がどう変わったのか
について、静かに書いています。
このあと、スピリチュアルという言葉では片づけられない、
子どもが感じていたこと、見ていた世界を
私なりの言葉で書きました。
供養の流れと、その時間に起きたこと
ここから先は
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