ただ疲れただけなのに、胸がぎゅっとする日がある。
ただ疲れただけなのに、
胸の奥がぎゅっとして、
何をしたわけでもないのに、
“もう今日は無理だな”と小さく声が漏れてしまう日がある。
理由なんてひとつも見当たらないのに、
心だけが先に沈んでいってしまうような、
どうしようもない日。
そんなとき、
「どうしたの?」と誰かに聞かれても、
言える言葉が見つからない。
自分でもうまく説明できないことを、
誰かに伝えられるはずがないのだから。
ただ、
胸の内側に薄い膜が張っているみたいで、
触れられるだけで涙になりそうで、
でも泣いたら泣いたで、
もっと苦しくなりそうで。
そんな矛盾だらけの自分に、
どうしてかそっと目をそらしたくなる。
ーー
大人になると、
“なんとなく”で心がしんどくなる日のほうが、
ずっと多くなるんだと思う。
昔みたいに理由をつけて泣くことも、
傷ついたと声に出すこともできなくなって、
ただじっとしているうちに、
夜だけが深くなっていく。
そんな日がいつの間にか増えた気がする。
でも最近思う。
こういう “よく分からない疲れ”って、
心が「ちょっと休ませて」と
静かに伝えてきてるサインなんじゃないかって。
“休息の合図”だと思いたい私は、
勝手な人間なのだろうか。
自分に甘いだけなのだろうか。
泣きたいわけでもない。
誰かに助けてほしいわけでもない。
ただ、
今日の自分に少しだけ優しい場所が
必要なだけなのだと、そう思ってみたりするのだ。
少しだけ声を出さない時間とか、
ひっそり自分だけの呼吸を取り戻す時間とか。
そういう“静かな避難所”が、
ときどき心には必要なんだと思う。
いつも強くなくていいと思うし、
いつも笑ってなくてもいいと思う。
理由のないしんどさを抱えた自分を、
「そんな日もあるよね」って受け入れられた瞬間、
胸にあった膜がすこしずつほどけていく、
そんな感覚をよく味わうのだ。
無理して前を向こうとしなくていいらしい。
無理に何かを始めなくてもいいらしい。
今日を生きた、その事実だけで、
ほんとうは十分すぎるのだと思う。
それに
静かに立ち止まった日のあとって、
ほんの少しだけ景色がやわらかく見える気がしている。
心はそうやって、
自分のペースを整えていく生き物らしい。
今日もわたしは、自分のペースで生きた。
誰よりも自分がそれを、
認めてあげられる毎日でありたい。
