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私はストックホルムへ行かないわけにはいかなくなった

私は、生後10か月でポリオという感染症に罹り、8歳からずっと車いすで生活してきた。
そして65歳になった頃体調を崩し、ベッドで過ごす日が増えていた。

「ああ、もう人生は終わった」

朝になっても起き上がる気になれない。
特に行きたい場所もない。
会いたい人もいない。
やりたいことも見つからない。

娘たちは独立し、夫は仕事へ行き、昼間の家には私ひとりだった。

窓から差し込む光をぼんやり眺めながら、
「私の人生、もう終わったのかな」
そんなことを考えていた。

とはいえ、何もしないのも退屈だった。

私は毎日オーディブルを聴いていた。
ある日、耳に飛び込んできたのは、
「定年後もお金を稼げることは素晴らしい」
という話だった。

私は思わず苦笑した。

今さら私がどうやってお金を稼ぐというのだろう。

私は作文も得意ではない。
特別な資格もない。
営業なんてできない。

でもその本には、

「ブログを書いてみましょう」

と書いてあった。

ブログ?
私はブログが何なのかも知らなかった。

それでもスマホで検索してみた。
一番上に出てきたのがアメーバブログだった。
とりあえず登録してみる。

そして「自己紹介」という記事を書いた。
書き方がわからないので、他の人の自己紹介を真似しながら書いた。
それが私の最初の投稿だった。

翌日見てみると、「いいね」が数個ついていた。
私は驚いた。
数人の人が読んでくれたのだ。

その時の私は本当に嬉しかった。
誰かが私の文章を読んでくれた。
それだけで胸が温かくなった。

その頃の私は、ある著者の方の本に夢中になっていた。
本を読み、メルマガに登録し、YouTubeを見る。
毎日のようにその人の言葉に励まされていた。
だからブログも、その人に宛てた手紙のようなものだった。
「今日も動画を見ました。」
「元気をもらいました。」
「私にもまだできることがある気がしています。」
そんなことを書いていた。

学生の頃、交換日記や文通が好きだった。
だから文章を書くというより、手紙を書く感覚だったのだと思う。

ところが、しばらく続けているうちに寂しくなってきた。
もちろん返事など来るはずがない。
相手は有名な著者なのだから。

でも私は勝手に返事を期待していた。
ありがとうと何度書いても返事はない。
なんだか悲しくなった。
そして書けなくなった。

じゃあ、何を書こう。
その時ふと、母のことを思い出した。

私は母を亡くしていた。
亡くなってからまだそれほど時間は経っていなかった。
そして私は後悔していた。
母のことを何も知らない。

母はどんなことを考えていたのだろう。
どんな夢があったのだろう。
本当に幸せだったのだろうか。
私は自分の話ばかり聞いてもらっていた。

でも母の話を聞いた記憶がほとんどない。
もっと聞いておけばよかった。
もっと話をすればよかった。
そんな後悔ばかりが残った。

そしてある日、気がついた。

もしかしたら娘たちも同じことを思うのではないか。

私がいなくなった後、
「お母さんってどんな人生だったんだろう」
と思うかもしれない。

だったら今のうちに残しておこう。
私はどんな人生を生きてきたのか。
何が嬉しかったのか。
何に悩んだのか。
どんなふうに幸せだったのか。
私は娘たちに向けて、自分の人生を書き始めることにした。

私は特別支援学校を卒業したところから書き始めた。

卒業したら大学へ行きたかった。
みんなと同じように受験をして、大学生になりたかった。
でも当時は今とは時代が違った。
車椅子というだけで受験できる大学は限られていた。
結局、私は大学へ行くことができなかった。
朝になると、
父も母も兄も仕事へ行く。
妹は学校へ行く。
家の中には私ひとり。

がらんとした家でテレビを見たり、本を読んだりしていた。
自由なはずなのに、少しも自由ではなかった。

取り残されたような気持ちだった。
このままずっと家にいるのだろうか。
そんな不安があった。

そのうち私は思った。
何かしなければ。

そしてリハビリセンターで車の免許を取った。
初めて自分で車を運転した時のことは今でも覚えている。
どこへでも行けるような気がした。
世界が急に広くなった。

その後、仕事も紹介してもらった。
毎日決まった時間に出勤し、お給料をもらう。
当たり前のことかもしれないけれど、私にはとても嬉しかった。
社会の一員になれた気がした。

仕事をするようになると、少しずつ自信もついてきた。
すると今度は家を出たくなった。
親元を離れて暮らしたかった。

ところが、その頃は車椅子の独身女性に部屋を貸してくれる大家さんなど、ほとんどいなかった。
今では信じられないけれど、本当にそういう時代だった。
だから私は結婚した。

もちろん好きな人だったけれど、正直に言うと「家を出たい」という気持ちも大きかった。
今思うとずいぶん思い切った話である。

結婚してからの生活は楽しかった。
共働きだったので、それなりに自由になるお金もあった。
初めて海外旅行へ行った。
職場の友人たちと旅行へも出かけた。
知らない景色を見るたびに、
世界はこんなに広かったのかと思った。

そして家を建てた。
三十五年ローンだった。
銀行で契約書に印鑑を押しながら、
本当に払えるのだろうかと不安だった。
それでも、自分たちの家を持つということが嬉しかった。
しかもバリアフリーの家だ。
車椅子でも自由に動ける。
夢のようだった。

ところが私は、さらに欲張りになった。
子どもが欲しくなったのである。
今考えても無謀だったと思う。
家を建てたばかり。
ローンもある。
私自身も障害がある。
それでも欲しかった。
産めない年齢になったときに後悔はしたくなかった。

私は仕事を辞めて専業主婦になった。
夫婦で不妊治療を続け、ようやく二人の娘を授かった。
娘たちが生まれた時の喜びは、言葉では表せない。

夫は二人分の名義で借りた住宅ローンを返すために、一生懸命働いてくれた。
私は娘たちの成長を見ながら暮らした。

振り返ると、本当に幸せな時間だったと思う。
だからこそ、母が亡くなった時に後悔したのだ。

私は母の人生を知らない。
でも娘たちには知っていてほしい。

私がどんな人生を生きてきたのか。
何を面白がり、何に悩み、何を幸せだと思っていたのか。

そんなことを考えながら書き続けているうちに、少しずつ読んでくれる人が増えていった。

ある日、一件のコメントが届いた。
「毎回読むのが楽しみです。」
そんな言葉だった。
私は飛び上がるほど嬉しかった。
さらにその方は、
「NHKの朝ドラを読んでいるみたいです。」
と書いてくださった。
朝ドラ。
なんて素敵な褒め言葉だろう。
私はその日、一日中機嫌が良かった。

それから毎回、その人のコメントを待つようになった。
まるで遠くに住む文通相手の返事を待つような気持ちだった。
コメントが来ると嬉しい。
返事を書く。
また翌日書く。
気がつけば、私はその方に読んでもらいたくてブログを書いていた。

そんなある日だった。
メッセージボックスに見慣れない通知が届いた。
件名は、
「執筆依頼」
だった。
私はしばらく画面を見つめた。
執筆依頼?
私に?
何かの間違いではないだろうか。
ドキドキしながら、そのメッセージを開くと。

「出版に興味はありませんか」
という内容だった。
私は舞い上がった。

本になる。
私の文章が本になるかもしれない。

そんなこと、それまで一度も考えたことがなかった。
でも一度考え始めると止まらなかった。

本屋さんに自分の本が並んでいたらどうしよう。
帯には何と書かれるのだろう。
娘たちに見せたら喜ぶだろうか。
頭の中だけはすっかりベストセラー作家になっていた。

その後、別の会社からも似たような連絡が来た。
Zoomで話をしましょうという。
私はZoomというものを知らなかった。

まずZoomを調べた。
パソコンにインストールした。
使い方を調べた。

当日になると緊張して、何度も接続テストをした。
画面の向こうに現れた担当者は、とても感じの良い人だった。
私は期待でいっぱいだった。

ところが話を聞いてみると、共同出版という仕組みらしい。
本を出すためには費用がかかるという。
その金額を聞いて驚いた。

六十万円。

私は一瞬、本気で払おうかと思った。

だって本が出せるのだ。
人生で一冊くらい、自分の本を出してみたい。
そんな気持ちになった。

でも友人に相談したら、

「ちょっと待ちなさい」

と止められた。

後で調べると、そういう営業は珍しくないらしかった。
結局、その話はお断りした。

それでも私は嬉しかった。
なぜなら、
「あなたの文章は本になります」
と言われたことが嬉しかったからだ。

そこから私のアンテナは完全に出版へ向いてしまった。
そんな時、友人が新聞広告を教えてくれた。
出版社の出版相談会だった。
横浜のホテルで行われるという。

私はブログの記事を印刷し、プロフィールまで作って参加した。
まるで受験生のような気分だった。
ところが、そこでも最初に言われたのはお金の話だった。

私は心の中で、
「ああ、またか」
と思った。

それでもせっかく来たのだからと、持参した原稿を見てもらった。
担当者はパラパラとページをめくりながら言った。
「面白いですね。」
その一言で私は嬉しくなった。
さらに、
「こういうコンテストがありますよ」
と教えてくれた。
優勝すれば商業出版の可能性もあるらしい。

帰りの電車の中で私は考えていた。
もしかしたら本当に出版できるのかもしれない。

そして私は、ベストセラー作家養成講座という講座を見つけた。
当時の私は本気だった。
清水の舞台から飛び降りるつもりで申し込んだ。

講座はZoomだった。
ところが私のパソコンは古く、カメラもマイクも付いていなかった。
だから私はパソコンまで買い替えた。
今思うと、本気にもほどがある。
でもその時は夢中だった。

六か月間、出版について学んだ。

企画書を書いた。
タイトルを考えた。
読者を考えた。
そして最後に出版オーディションがあった。
プレゼンをするのである。

私はプレゼンなどしたことがなかった。
パワーポイントもよくわからない。
それでも必死で勉強した。
夜遅くまでスライドを作った。
何度も練習した。

そして本番の日。
他の参加者のプレゼンは見事だった。
話し方も上手い。
スライドも美しい。

私は完全に場違いだと思った。
もう無理。
そんな気持ちだった。

ところが不思議なことが起きた。

審査員の編集者の一人が手を挙げてくださったのである。
しかも有名な出版社の編集者だった。

私は信じられなかった。
天にも昇る気持ちだった。
もしかしたら本当に出版できるのかもしれない。
私はその日、興奮して眠れなかった。

後日、その編集者の方とZoomで打ち合わせをした。
編集会議に企画をかけてくださるという。
結果が出たら連絡します。
そう言われた。

私は待った。
毎日待った。
メールを何度も確認した。
まだかな。
どうなったのかな。
期待と不安で落ち着かなかった。
ところが一週間経っても来ない。
一か月経っても来ない。
数か月経っても来ない。
私は半分諦めながら、それでも待ち続けた。
そして、ある日。
ついにメールが届いた。

私は息を止めるような気持ちでメールを開いた。
結果は不採用だった。
編集者の方は、
「私は良い企画だと思いました。自信を持ってください」
と書いてくださっていた。
でも編集会議では通らなかったらしい。
理由も書かれていた。

フォロワー数が少ない。
メディアへの露出がない。
販売の見込みが立たない。

そんな内容だった。
私はしばらく画面を見つめていた。

やっぱり世の中そんなに甘くない。
そう思った。

でも不思議なことに、その頃の私はそこまで落ち込まなかった。
なぜなら、そのメールが届くまでの間に、私は別のことに夢中になっていたからである。

フォロワー数を増やすことだった。
出版したい。
そのためにはメディア露出が必要。
フォロワー数も必要。
そう思った私は、SNSの世界へ飛び込んでいった。

毎日noteを書く。
Facebookへ投稿する。
Xにも投稿する。
いろいろな人の記事を読む。
コメントを書く。
いいねを押す。
また読む。
またコメントを書く。
まるで終わりのない仕事のようだった。

朝起きてスマホを見る。
夜寝る前にもスマホを見る。
通知が来ると嬉しい。
フォロワーが増えると嬉しい。
数字が伸びると嬉しい。
でも翌日にはもっと欲しくなる。
今思えば、完全に数字に振り回されていた。

そんな頃、全国出版オーディションというものを見つけた。
もちろん応募した。
その頃の私は、出版という言葉を見ると飛びついていた。

一次審査はYouTube動画だった。
自分で動画を作り、それをオーディションチャンネルで公開し、再生回数で競うという。

私は動画など作ったことがない。
どうしたものかと思ってFacebookに書いた。
すると、

「手伝いますよ」
と言ってくださる方が現れた。

私は驚いた。
SNSには本当に親切な人がいる。

スマホを三脚に立てた。
一人で話した。
何度も撮り直した。
緊張して変な顔になった。
それでもどうにか撮影した。
そして動画編集をしていただき、YouTubeへ公開された。

私はまたSNSでお願いを始めた。
見てください。
応援してください。
シェアしてください。
毎日そんなことばかり考えていた。

結果は落選だった。
次のステージには進めなかった。

私はクタクタだった。
本当にクタクタだった。
出版したい。
出版したい。
出版したい。
そのために頑張っているはずなのに、
いつの間にか数字ばかり追いかけている。
何のために始めたのかもわからなくなっていた。

そんな頃だった。
私がブログを書き始めるきっかけになった著者の方が、新刊発売に合わせてクラウドファンディングを始めた。

私は迷わず支援した。
大好きな著者だったからだ。
そのリターンの中に、

「やりたいこと実現コミュニティ」

というものがあった。

六か月間、その著者の方と一緒に学べるらしい。
私は面白そうだと思った。

その時はまさか、そのコミュニティが私の人生をひっくり返すことになるとは思っていなかった。

第一回のZoomミーティングの日。
参加者たちは小さなグループに分かれた。
そして司会の女性が順番に質問した。

「何の制約もなかったら、何をしたいですか?」

私は本を出版したいと言うつもりだった。
そのために参加したのだから。
ところが、
私の番になった瞬間。
口が勝手に動いた。

「海外へ留学してみたいです。」

自分で言いながら驚いていた。
え?
何を言っているの?
私は。
本を出版したいんじゃなかったの?

その時、私は六十八歳だった。
電動車椅子。
英語は話せない。
体力もない。
お金もない。
長時間飛行機に乗る自信すらない。
海外留学なんてできるはずがない。

だから私は、
「まあ、その場の夢みたいなものです」
というつもりだった。

ところが周りの人たちは違った。
「いいじゃないですか!」
「やりましょうよ!」
「叶いますよ!」
みんな本気だった。

私は笑いながら聞いていた。
この人たちは優しいなあ。
でもできるわけないよね。
そう思っていた。

ところが数日後。
一通のメッセージが届いた。

「お話ししませんか?」
知らない女性からだった。

やりたいこと実現コミュニティの運営メンバーらしい。
Zoomでお話ししませんか、と書かれていた。

私は少し身構えた。
何の話だろう。
何か勧誘だろうか。
でも断る理由もなかったので、お話をすることにした。

約束の時間になり、Zoomを開いた。
画面の向こうには二人の女性がいた。
二人とも、とても素敵な人だった。
仕事もできそうで、自信にあふれていて、キラキラして見えた。

私は少し緊張した。
そんな二人が、なぜ私に会いたいと言うのだろう。

話を聞いて、さらに驚いた。
二人とも私のブログを読んでいたのである。
しかも全部。

私は思わず聞いてしまった。
「なんでですか?」
すると一人が笑いながら言った。
「あっぱれだからです。」
私は意味がわからなかった。

するともう一人が続けた。
「私たち、あなたを応援したいんです。」
応援?
私を?
なぜ?

ますます意味がわからなかった。

私はただ、自分の人生を書いていただけである。
娘たちに残そうと思って書き始めたブログだ。
出版したいとは思っていたけれど、有名人でもない。
お金持ちでもない。
車椅子で暮らしている普通のおばさんだ。

なのに二人は本気だった。
「海外へ行きましょう。」
そう言うのである。

私は慌てた。
「いやいや、無理です。」
「英語も話せません。」
「お金もありません。」
「体力もありません。」
「そもそも飛行機に乗れるかどうかもわかりません。」

すると二人は笑った。
「だからクラウドファンディングをやるんです。」

クラウドファンディング。
私はその言葉を知っていた。
ついこの間、大好きな著者のクラウドファンディングを支援したばかりだったからだ。

でも私の中では、
クラウドファンディングとは、

すごい人が、
すごい夢を叶えるためにやるものだった。

まさか自分がやるものだとは思っていなかった。

「いやいやいや。」
私は首を振った。
「そんなの無理です。」
「誰がお金なんか出してくれるんですか。」

すると二人はあっさり言った。
「出してくれますよ。」

その自信がどこから来るのか、私にはまったくわからなかった。

Zoomが終わった後も、私はしばらく呆然としていた。

一体何が起きたのだろう。
なぜこの人たちは私を応援してくれるのだろう。
何かの間違いではないだろうか。

でも、なんだか面白そうだった。

結局それがすべてだった。
私は昔からそうだった。

よくわからない。
でも面白そう。
そう思うと動いてしまう。

だから、
「じゃあ、やってみます。」
と言ってしまった。

そこから先は、まるで急流に乗ったようだった。
クラウドファンディングを成功させるためのチームができた。
文章を書く人。
ページを作る人。
相談に乗ってくれる人。
応援ライブをしてくれる人。
次々と人が現れた。

私はただ驚いていた。

こんなことが本当にあるのだろうか。

ページが公開されると、さらに不思議なことが起きた。
私の知らないところでシェアされている。
私の知らない人が支援してくれている。
応援メッセージが届く。
また支援が入る。
また応援メッセージが届く。
私は毎日パソコンを開いては驚いていた。

リターンも最初は簡単なものしか考えていなかった。
お礼のメッセージ。
絵はがき。
その程度だった。

すると今度は、
「成功するためのアドバイスをしますよ」
という人まで現れた。
私はますます混乱した。

なぜだろう。
なぜみんな私を応援してくれるのだろう。

何度考えてもわからなかった。
でも支援は増え続けた。

ファーストゴールを超えた。
セカンドゴールも超えた。
気がつけば八十万円近い支援が集まっていた。
当初の目標は五十万円だった。
私は完全に予想を超えていた。

そしてある日、ふと思った。

これはもう行くしかない。
やっぱり無理でした。
そんなことは言えない。
こんなにたくさんの人が応援してくれたのだ。

私はストックホルムへ行かなければならない。
いや、
正確に言うと、

私はストックホルムへ行かないわけにはいかなくなっていた。

六十五歳の時。
私は人生が終わったと思っていた。
ベッドの上でオーディブルを聴きながら、
これからどうやって生きていこうかと考えていた。

その私が今、
六十八歳になって、

電動車椅子で一人ストックホルムへ行こうとしている。

人生というのは本当にわからない。

だから最近思うのである。
何かを必死に探さなくてもいいのかもしれない。

人生を変えた出来事は、
たいてい予定表には書いていなかった。

ブログもそうだった。
出版もそうだった。
そしてストックホルムもそうだった。

あの日、
娘たちに人生を残そうと思って始めたブログが、
まさか私を北欧まで連れて行くとは、

夢にも思っていなかったのである。

#創作大賞2026
#エッセイ部門

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