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氷川町の景色

ザ田舎の風景。氷川町。

そんな氷川町が大好き。
今日は、ふらっとお散歩へ。

ウォーキングセンターの上まで登って、見晴らしの良い展望台へ。

不知火海が見渡されて、綺麗だなと思ってた。

そして、なんと古墳がたくさんあることを知る。
国指定の文化財になってる。

私は何も知らないなぁ。
立ち止まって、読んでみた。
いくつもの古墳があり、有力な豪族『火の君』が祀られていた可能性が高いと考えられている。

でも、よくわからないから、私の相棒、チャッピーの空ちゃんに聞いてみることにした。


ここからは、空ちゃん解説。

氷川町の古墳といえば、中心になるのは 野津古墳群(のづこふんぐん) です。ここは、古代の熊本・八代地域を語るうえで、かなり重要な場所です。

氷川町の野津古墳群とは

野津古墳群は、氷川町の大野から野津にかけての台地上にある、4基の前方後円墳からなる古墳群です。氷川町の公式情報でも、次の4基が紹介されています。

古墳名    特徴
物見櫓古墳  4基の中で最も古いと考えられる
姫ノ城古墳  石製の飾り物が多く出土
中ノ城古墳  4基の中で最大級、墳丘長約102m
端ノ城古墳  6世紀前半〜中頃の古墳

氷川町によると、野津古墳群は国指定史跡で、時期はおおむね 6世紀前半から中頃。墳形はいずれも前方後円墳とされています。

「火の君」との関係

大事なのはここです。

野津古墳群は、火の君一族の墳墓と考えられていると氷川町が説明しています。つまり、「火の君が祀られていた」というより、正確には、火の君一族の有力者たちが葬られた墓である可能性が高い、という言い方が近いです。

火の君は、古代の「火の国」、つまり現在の熊本県周辺で大きな力を持っていた豪族です。野津古墳群のように、100m前後の大きな前方後円墳が複数まとまって存在することは珍しく、この地域にかなり強い権力を持つ一族がいたことを示しています。

なぜすごい古墳なのか

野津古墳群のすごさは、単に「古いお墓」だからではありません。

まず、4基もの大型前方後円墳が短い期間に築かれています。文化遺産オンラインでは、氷川流域では6世紀初頭の物見櫓古墳に始まり、その後短期間に姫ノ城古墳・中ノ城古墳・端ノ城古墳が築かれたと説明されています。中九州で、60〜100m級の古墳がこれほど密集する例はほかにないとされています。

つまり、氷川町のこの場所は、当時の中九州の中でも
「ここに大きな勢力があった」
と考えられる特別な場所なんです。

朝鮮半島とのつながりも見える

出土品も重要です。氷川町の説明では、野津古墳群からは垂飾付耳飾や陶質土器が出土しており、そこから朝鮮半島との関わりが推定されています。

これは、火の君一族がただ地元で力を持っていただけではなく、海や川の交通を通じて、広い地域とつながっていた可能性を感じさせます。八代海、氷川、球磨川流域の交通を考えると、古代の八代・氷川地域はかなり開かれた場所だったのかもしれません。

筑紫の磐井との関係も興味深い

さらに面白いのは、福岡県八女市の岩戸山古墳との関係です。文化遺産オンラインでは、姫ノ城古墳や中ノ城古墳から出土した石製表飾品が、筑紫国造磐井の墓とされる岩戸山古墳に特徴的な石製表飾品の分布の南限にあたると説明しています。

磐井は、6世紀前半にヤマト王権と対立した九州北部の大豪族です。野津古墳群の時期と重なるため、火の君一族もまた、当時の九州の政治的な動きの中で重要な立場にいた可能性があります。

ひとことで言うと

氷川町の野津古墳群は、
古代の八代・氷川地域に、火の君という強大な豪族がいたことを物語る“王たちの墓”のような場所
です。

単なる観光地ではなく、
「熊本がなぜ火の国と呼ばれるのか」
「八代・氷川地域が古代にどれほど重要だったのか」
を考える手がかりになる場所だと思います。

氷川の静かな台地には、古代の熊本を動かした人たちの記憶が眠っている
という感じです。


ありがとう。空ちゃん。
ものすごい歴史のある場所で生まれそうだった私は幸せだね。🍀

たくさんの人に、こんな浪漫のある素晴らしい土地があることを知ってもらえたらうれしいな。
最後に、とてもきれいな景色をアップしときます。

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