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【note】『たまたま』に『たまたま』が重なると、それは友人になる

はいどうも

主夫にこだわり続けるはみばっちょです


先日、noteでの交遊関係、noteでできた友人について書きました


みたいな感じで、note上の関係がそのまま現実にシームレスでやってくる、そんな会話を現実で会った第一声でできそうな人

そんな人が、友人と呼べる人だろうと

ベースの判定基準がそこにあって、あとはどういった経緯でそんな関係を築くに至ったか
そこが、WEB上の関係性が『友人』にまで昇格するか否かの境目だと思ってます

はみばっ著 【note】ママ友から『ママ』を抜いて、それでも友でいてくれる人 より 


この時紹介したポンさんは、1つのオリジナルすぎる共通項で結ばれた関係性の友人




そして、今回はもう1人

全く別の人生を歩んできたはずなのに、思考と発想とベクトルがツーカーすぎて、ツレと呼んで差し支えない関係性になった友人のことを書きます


ということで、てん子さんです








元々てん子さんとの共通項のあれこれは、昨年末の時点で一度文章にしたことがありました


実はその後から現在に至るまで
半年ほどてん子さんとレスバを繰り広げていまして

レスバの舞台はDMではなく、なんととある御方の記事のコメント欄

コメント欄を間借りしてずっとやり取りが続いてますが、場を提供下さった某氏も、まさかここまで長引くとは思ってなかったでしょう




さて、ここでこんな疑問が生まれませんか?

「いや、そんだけあれこれやり取りすんなら、コメント欄なんか使わずにDMに移行すりゃいいじゃん」





これに対し私とてん子さん、申し合わせたわけでもないのに見解は一致していて



不特定多数の誰かに見られる可能性のあるコメント欄でやり取りすることは
やりとりの内容を『仮に誰かに見られても問題のないレベル』のギリギリを実現させる意識に繋がるし

その方が馴れ合いや内輪の理論へ向かわせず、人目についても問題ないギリギリのラインを攻めながら自分の言いたいことを言い合って

結果的に記事では消化しきれない思考や感情を成仏させるのが楽しい


ていうこの思考と感覚が、マジで説明もなしの共通認識になってました、


ちなみにこのレスバは、レスバというかもはや交換日記じゃね?ってレベルで
ほぼ週一、隔週でお互いが1000~2000字くらいの字数のコメントを投げつけ合うっていう
記事1本分と何ら変わらない濃さのものを、お互いに自分の記事の合間に書いています

ここの熱量がズレないし

「長文ないわー、キモッ!」もなければ
「私だけ長々書いて、重くない?」もなく


ドライブ中にツレとダベってる感覚です

ドライブ中って、お互い顔を合わせず、前を向いて会話が進行するじゃないですか

んでもってツレとの会話って、意外と聞かれたことに全部答える必要ってなかったりするじゃないですか

1から10の聞かれたことに対して1から10を10割答えてから自分のターン、ってよりは
自分の答えたい6割に答えて、そっから自分のターン
ツレの方も、答えを求めるよりも『相手に問いを投げる』のアクションの方が重要なので、それでOKみたいな


ちゃんと関係を維持するために、不快にさせないためにちゃんと全部に答えなきゃ!みたいな変な気負いとか義務感とか持たなくていいじゃないですか


それがお互いに許容される空気感が醸されるのが、ツレじゃないですか


それです










昨年末の上記考察記事の段階では

『私とてん子さんは○○と△△な部分が共通するので、結果的に似た者同士なんだろう』

みたいな感じであれこれ探って書いていましたが


現在もう一度書こうとしたときに
考察しようがないという結論になりました


何でか知らないけど
本邦初公開くらいの勢いで書いた自分の感情や思考に対して
「いやちょっとwwwそれ私もなんすけどwww」

みたいな事の繰り返し



理由があってどうこう、なんて次元じゃなくて理屈抜きでなんか同じ思考・発想・ベクトルになっちゃってる部分ばっかりすぎて


じゃあ仮に『なんでそうなっちゃったの?』って問いが自分に向いたときに

「だってそれが私の生き方だから」

以上の結論になりようがないし、それ以上聞かれたって困るし


なので、なんで私とてん子さんがここまで同じなの?って問いに対しては

「だってそれが私らの生き方だから」

にしかなりようがない


たまたま同じ思考・発想・ベクトルで生きてる人間2人が

たまたま同じような平成ネット文化を辿ってきて

たまたま同時期にnoteを始めて

たまたま同じ家事育児系で物を書いていて

たまたま同じ時間帯に投稿していて

たまたま同じように365日投稿をしていた


この恐ろしいほどのたまたまが積み重なった成果物が、私とてん子さんの関係性なんです








私の家事育児スタイルは、自分を限界まで使い倒してナンボな、割と無茶する型




それに対して、てん子さんから

「すごい」
「やり過ぎじゃね?」
「なんでそこまで?」

みたいな評価を頂いたことは一切なく



逆に、てん子さんがシンママとして子育てにフル稼働する様子にこちらの腰が引けてしまったこともなく

お互いに「まーそーなるよねー」の感覚


自分にやれることは極限までやってナンボだよねの感覚は両者に共通してて
端から見るとストイック一択だけど、それが自分の生き方だから別に苦痛でもなんでもない

記事ネタとして睡眠不足や時間のなさを嘆いていたりはするけど、本心ではそこまで嘆いてない


何故なら、したくてやってるから


したくないなら、しなきゃいい
望んでないなら放置すりゃいい

それでもやるのは結局自分がその選択肢を選んでいるからだし、それでいいと思ってるからだし
それが生き方であり務めだと思っているから


シンママ家事育児と男性家事育児がここまで対等に存在できてんのも面白い話だとは思いますが

ベースとマインドが一緒で、家庭内での自分のスロットを使いきるって結果が一緒なら、まあ話しは合わん訳がないねってことになります



ネタ被りやら、発想が同じすぎてドン引いた数々をマガジンにしてみましたが

ホントに多いんですよ

「書こうと思ったら先に書かれたでござる」
「やけにピンポイントな思考に食いつかれた」

みたいなの

一度なぞてん子さんの記事から一文を丸々コピペして自分の記事に埋め込んで投稿する、なんて荒業もやってみましたが

元の思考が同じところに、表現方法まで同じなら
違和感仕事せずに、程よく馴染んでました


ちなみに
てん子さんが家事系の記事を殆ど書かれないのは、私が同じ発想からあれこれ書いちゃってるから、書く必要がなくなってる説はあります









『noteのフォロワーさん』と『友人』の違い

それは、評価の物差しがnoteじゃなくなること


私とてん子さんを比べたときに、フォロワー数はほぼトリプルスコア、記事へのリアクションも天と地の差があります

内容だって、てん子さんの方が面白い
はみばっちょのは小難しい

でも、そこじゃない


インプ稼げてないから釣り合わない、とか
面白さを提供できないと存在価値がない、とか


そんなんが軸ではなくなって

なので、てん子さんの『面白記事』を、実はさほど欲していない自分


私が欲しているのは
【てん子】というアカウントを使って面白記事を書いている『中の人』の価値観


勿論、人間としての表面に出ている嗜好だったり選択は違いだらけです
でも、そこに至るための過程である価値観・思考・発想・ベクトルがなぜか同じすぎるので

過程を通過したあとの違いについては、そこまで気になることはなく
違いがあることを安心して受け入れる余地があるというか

あまりに同じすぎてもそれはそれで逆に窮屈となるので、適度な違いがある方が、私が持ってないものを貰える余地があるってもんで







長くなってますが、最後に

色んな面からよく似ていると言われる、私とてん子さんのアカウントですが

これまた根っこに由来するものにはなりますが
『アカウントの見せ方』が同じなのはあります


私は『男性家事育児』
てん子さんは『シンママ/ワーママ/ワンオペ』

それぞれ属性を持っていて、それぞれ発信の軸に充分使える属性なのですが

その属性を全面に出して自分を語りたくない


ある種、どちらも『性別売り』を拒否ってんです
そうなると、性別や属性を取っ払った個人としての出来事や感情を語りたい

文章においてお互い性別を漂白してものを書きたい欲が強い


なので文章が何となく似通う結果になってます
性別バグってる2人組です









しかし何のかんの言って、私のnoteが1年以上モチベ落ちずに続いてこれたのは、間違いなくてん子さんのお陰です


どこまで続くか、続けるかを考えたあたりで

まだまだ先を目指してる人がいるんだと、90日どころか365日を本気で目指してる人がいるんだと

そしてそんな人が身近にいるんだと


この記事が何となく心のどっかに引っ掛かって
まあまあ続けてみますかね、と


てん子さんに引っ張られて、現在まで続いてるのは間違いないでしょう



そんな方が、恐ろしいほどのたまたまが積み重なってる方だったとは当時はつゆ知らず


そんなこともあるんですね、って感じで実に面白い

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