イチゴを食べながら、「これでいいのかな」と思った夜
2024年1月に、前職で私の部下であったS君が亡くなったと、当時の同僚から連絡があった。年齢は31歳、死因は急性心不全とのことであった。
以前から食生活が荒れており、野菜・魚は食べずに肉ばかりを食べ、しかも脂っこいものには目がないということは知っていた。死因がその食生活にあったかはわからないが、まさか31歳という若さでこの世を去るとは、思いもしなかった。
早速、当時一緒に働いていたメンバーに連絡し、4名で告別式に参列した。式場には木製の棺が置かれており、その中にS君は静かに眠っていた。S君とは不思議に私とウマが合い、よく一緒に食事に出かけたものだった。最後に会って食事に行ったのは、亡くなる3カ月前であった。
そのときには、いつものS君と全く変わったそぶりがなかったため、突然の訃報に驚いたのは言うまでもない。
棺のふたに小窓があり、そこからS君の顔を見た。本当に眠っているような安らかな表情であり、声をかければ起き上がるのではないかと思ったほどであった。
火葬場へはS君のご家族・親戚の方々だけが参列することになっていたため、私は焼香を済ませて、告別式の会場をメンバー3名と一緒に後にした。帰りの車中では、誰一人口を開く者はいなかった。やはり、みんなショックを受けていたのであろう。
私も、一言も発することなく、ただ窓から通り過ぎる景色を見つめていた。この無言の車内で、私は初めて“知り合いの死”に触れた夜へ戻っていった。
小学校の同級生にI君がいた。小学3~4年生のときに同じクラスだったが、ほとんど話をしたことがなかった。いわゆるクラス内でつるむグループが違っていたためである。
I君はスポーツが得意で活発な男子が多いグループに属しており、私はどちらかという斜に構えているようなやつらが集まったグループに属していた。
そんな活発なI君が学校に来なくなったのだが、休み始めた時期は、すでに記憶にはない。学校を休み始めてから1週間ほど経った頃であろうか、ホームルームの時間に担任の先生が「I君は病気のため、しばらく入院することになった」と言った。
その話が終わると、一瞬教室内がザワついた。しかし、先生が次の話題に移ると、また静寂が教室に戻った。
I君が入院したということに、私は少し驚いたが、特に親しかったわけでもないため、その後は特に気に留めることはなかった。
それから何カ月が経過しただろうか、学校から帰宅し自室でくつろいでいたときに、居間にあった黒電話が突然鳴った。母親がその電話に出てから数十秒後に、ちょっと気色ばんだ声で「1階に来て」と私は呼ばれた。
「なんかあったのかな?」と思いつつ、2階から1階へと早足で降りて行った。そして、母親にこう言われた。「さっき、クラスの電話連絡網で電話があって、I君が昨日亡くなって、今日通夜があるみたい」。
私はその話を聞くと、仲の良かった友人数名に電話をした。すると、全員すでにその連絡を受けていたようであった。
「どうしようか?」と相談し、クラスの大部分のメンバーが通夜に参加するようであったため、私も参列することに決めた。
通夜は、I君の自宅で行われていた。そこで、私は仲の良い友人と途中で待ち合わせをし、一緒にI君の自宅へ向かった。自宅に着くと、すでに何名かクラスメートの顔が見えた。
参列者は、順番に焼香をしていた。私はそれまで通夜や告別式に参列したことがなかったため、焼香の作法が分からなかった。一緒にいた友人たちも、みな同じことを口にした。
私は、親族の方であろうか、年配の男性の横で、その男性が行ったことをマネて焼香を済ませた。
焼香を済ませると、友人たちと一緒に帰宅の途についた。途中、誰かが「Iは死んじゃったんだな....」と口にした。すると私は知らず知らずのうちに、涙が流れているのを感じた。ほとんど話もしたことがない同級生の死に対して、だ。
他の友人も「人って簡単に死んじゃうんだね....」と口にした。それから私たちは無言で歩き、おのおの帰っていった。I君の死が、私が初めて経験した知り合いの死であった。
ふと我に返ると、車はある川の橋を渡っていた。私の自宅は、この橋を渡ってすぐのところにある。橋を渡り切り、100メートルほど走って、車は自宅前に到着した。
私は、同乗していた3名に、「お疲れさんでした。また、連絡するわ」と言い残して、車を降り家の鍵を開けた。
自宅では、妻がテレビを見てくつろいでおり、愛犬もいつものように吠えて私のことを出迎えてくれた。いつもの日常がそこには広がっていた。
私は2階に上がり、喪服を脱ぎながら、やりきれない気持ちで、S君やI君のことを思い出していた。すると1階から妻が「イチゴあるけど食べる?」と私を呼んだ。私は1階に降りると、イチゴを食べながら「これでいいのかな?」と思っていた。
